月と塵

 


 部屋に戻った新は夕弦の前に座り、早速事情を説明しようと口を開く。


「あの――」


「連城さんがいらっしゃるなら、私はもうおいとましますので」


 その言葉を遮り、事情を察した夕弦の方から身を引くと申し出てきた。


「えっ? いや……」


 口籠る新は『違う』、とは言わなかった。

 やって来るのはみやびではなく凪、だがどちらにせよ、新にとって夕弦が居ない方が好ましいに違いはないのだ。


「連城さんは私を良く思っていませんし、新さんを困らせたくありませんから……」


 そう言って腰を上げた夕弦に、新は何の声も掛けてやれなかった。


 だが―――



「っ……」



 ―――息を呑む夕弦。



 解っている。

 頭では理解していても、途切れそうな声で、寂しそうに微笑んだ姿が目に焼き付いてしまった。 そうして立ち上がりドアに向かう夕弦の背中を見た新は、無意識と言ってもいい程自覚無くその手を取った。


「同じクラスの、同じ部活の子が来るんだけど、いいかな?」


 振り返った夕弦は、とても共演者としては役不足な平凡少年を見つめ、


「……お邪魔では、ないですか?」


 画面越しにも抱きしめたくなるようなヒロイン級の顔を見せる。


 本当なら帰した方がいい。

 だが、そんな思考を飛ばしてしまう程に魅せられた男は、


「もちろんです!」


 どんどん自分を追い詰めてしまう。


( だって、どうすんだよこんなの……! お前ならどうするんだ……!? )


 心中では誰に向かってか自分を正当化する叫びを上げ、間も無くやって来るもう一人のヒロインを搔き消す。


「わかりました」


 頬を染める美少女は俯き、その視線は繋いだ手を見つめている。


「あっ、ご、ごめん」


 それに気付いた新は慌てて手を離し、夕弦は繋がれた手をもう片方の手で包み、それを胸に当てて微笑む。



「来て、良かった」



「………」



 聴こえた声、言葉。

 目に映った仕草、姿。


 全てが脳に響く。


 衝動は身体を動かそうとし、それに抵抗する理性は脆弱で、今にも呑み込まれそうだ。

 そもそも理性それが弱いのか、突き動かす衝動それが強過ぎたのか。


 徐々に支配される身体はじりじりと動き出し、その発信源へと近付いていく。


「……新さん?」


 無言で間近に迫って来た新に呼び掛けるが、今は届きそうもない。 夕弦は意図せず放ってしまった自分の魅力に責任を取らされてしまうのか。 あるいは、焦がれる相手だからのか。


「あっ、いらしたみたいですよ、その―――」


 夕弦に聴こえたインターホンの音は、新には聴こえない。 目の前の声さえ―――




 ◆




「そんな気を遣わなくていいのにぃ、ありがとうね、凪ちゃんっ」


「いえ、本当にご迷惑おかけして……」


 土産を受け取った恵美子は階段を見上げて眉を寄せる。


「あのコったら迎えにも来ないで、何してるのかしら。 来るのは知ってるんでしょ?」


「はい」


「まったく……。 でもね、本当は凪ちゃんを行かせたくないの」


「えっ」


「だって今日ね、すっっごいイケメンが来てるのよ~」


 うっとりとした顔でゆらゆらと身を揺らす恵美子。



( ……イケメン。 良かった、本当に男友達なんだ )



「だからっ、あれを見たらウチのなんて月とスッポンにもなれないただの石? いや砂? ちりにしか見えなくなっちゃうわよ~」


 実の息子を粉々に砕いた後、それを拾い集めるように恵美子は柔らかな目で凪を見つめ、


「それでも可愛い息子だからね、会いに来てくれる貴重な凪ちゃんが取られちゃうのは可哀想だと思って」


 塵でも何とか目を凝らして見て欲しいと、そう願いを込めるのだった。


「わ、私は……」


 凪は気の弱そうな顔を一度下に向け、その願いに応えようと顔を上げる。


「あらたくんが見えなくなることなんて………ないです」


 小さな勇気が真っ直ぐな目を向けさせ、それを受けた母は目を見開く。


「そっか。 それじゃあいってらっしゃい! 大人の階段は上っちゃダメよぉ」


「っ……は、はぃ……」


 茶化しながら送り出す恵美子に裏返った返事をして、凪は階段を上って行く。



( イケメンの男友達って、誰だろ? )



 凪の知る限り、新に恵美子が言うような男友達がいるのを見た事は無い。 そんな事を考えながら、階段が残り二段となった時―――



「間宮くん、これで明日のテストは大丈夫そうだね」



 ―――部屋の中から聴こえた声。



 凛々しく落ち着いた、自信に満ちた声だった。



 その部屋の中では―――




「新さん、お友達がいらっしゃいました……座りましょう」


 それは、耳元で囁く、熱を帯びた女の声。



 それから数秒後、部屋にノックの音が響きドアが開く。 可愛らしいワンピースを着た小柄な女の子に見えたのは、自分を迎える苦笑いの少年と、視界の端には、端正な顔立ちをした美少年が座っていた。



( ……森永くん? な、なんで…… )


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