母の優しさ
玄関のドアを開け新が出迎えると、こじんまりと立つ凪の姿が見えた。
「いらっしゃい。 どうぞ」
「お邪魔します」
少し緊張した面持ちで返事をする凪。
なにしろ今日は病欠で届け物をしに来た訳ではない。 咄嗟に出たという節もあるが、新も話があると言っていたからには、初めてのお部屋訪問になるのは間違いないからだ。
「あらあら、久し振りねぇ!」
凪が家に上がると、新の後ろから近付きながら声を掛けてくる母親の声が聴こえてきた。 前を向いたままげんなりする新の脇から顔を出し、見覚えのある女の子に興味の視線を送っている。
「お、お久し振りです」
野次馬的な母親の登場に慌ててお辞儀をし、挨拶をする凪。
「また新とおんなじクラスになったんだって?」
「は、はいっ」
これから “ 話すぞ ” 、という雰囲気をあからさまに感じた新は、手遅れになる前に圧倒されている凪に救いの手を差し伸べようとする。
「母さ――」
「なんだかちょっと見ない間に大人っぽくなったわねぇ!」
あっさりと呑み込まれる “救いの手” 。
「わ、私なんか、全然子供で……」
同年代の女子と比べれば幼く見られる事が多い凪。 嬉しくも感じるが、とても自信の持てる部分ではないようで複雑な顔をしている。
「そんなことないわよ! 最初見た時はまだ可愛らしい小学生みたい――」
「あっ! 俺のスケッチブックありがとう! ちょっと上で話あるからっ!」
「えっ? う、うん……」
凪の持っていたスケッチブックを奪うように受け取り、二階へと誘導する新。
「飲み物持っていくわねー」
「俺が取りに行くからいいよっ!」
下から聴こえる母の声にお構いなくと応え、二人は新の部屋へと避難を開始した。
「ごめんね、 “獲物” を見つけると喜んじゃって……」
階段を上りながら苦笑いで声を掛けると、
「ううん、平気だよ。 明るくて、優しいお母さんだもん」
「……そんないいもんじゃないよ」
後ろの凪から痒いことを言われ、素直に喜べないでいる新少年だった。
「つまらない部屋だけど、どうぞ」
「えっ、あ、………うん」
どう返事していいかわからずに部屋に入って行くと、言われた通り殺風景というか、物の少ないシンプルな部屋が視界に映る。
( 想像通り……かも。 ―――ん? )
新の性格からしてごちゃついた部屋は想像していなかった。 だが、それ故に目に付いたのが―――
( あのぬいぐるみだけ……なんか、違う…… )
これでも新は隠したつもりだったが、長年置いてあって本人には溶け込んで見えても、初めて部屋を見る凪には “彼の趣味ではない” 、そう違和感を感じたようだ。
「どうしたの? はい、座って」
「……うん」
クッションを置いて座るように促す新。
訝しげな表情をしながらも、凪はとりあえず鞄を置き腰を下ろす事にした。
「これ、凪ちゃんのね」
「ありがとう」
入れ替わったスケッチブックを元に戻すと、もう実は目的の殆どが終了してしまう。
( なんか、元気ないような……そんなことないか。 えーっと、いつもみやびが来るとまず…… )
来客リストがみやび以外ほぼ無い新は、どうしてもそこに依存してしまう事になる。
「あっ、上着かける?」
「え? ううん、平気」
「そっか」
( 上着はかけない……か。 でも、ブレザー着てるとくつろげないよな、俺なんか出来れば着てたくないけど。 みやびは絶対脱ぐから皆そうなんだと思ってた………ん? ――ぬ、脱ぐ!? )
突然何かを感じた新は、眉を寄せて思案し始める。
( まさか……いやらしい意味に取られたんじゃないか? そ、そんなことないよな、普通の会話だし、考え過ぎだ……… )
新規のお客様に慣れていない新は、自分の言動に自信が持てないようだ。
気のせいだろうと顔を上げた時―――
( え…… )
凪はどこか不満気な顔でチラチラと新に視線を送って来ていた。
一方凪は―――
(
お互いバラバラの思考を繰り広げる二人。
凪が自分の言葉に気分を害したと勘違いした新は、
「へ、変な意味じゃないからねっ!?」
「え?」
「みやびは来るといつも上着脱ぐからさ、つい癖で訊いちゃっただけで、別に変な意味はないから……っ!」
―――自分は潔白、邪な気持ちは無い。
それを伝えたいあまり、出す必要のない名前を出してしまう新。 それもとんだ勘違いから、今凪が気を揉んでいる案件の有力候補を引き合いに出してしまったのだ。
当然、凪の瞳は昏い影を落とし―――
「……私は、連城さんじゃないから……」
その表情と沈んだ声に、流石の新も自分の失態に気付いた、が時すでに遅し。
「い、いや、そうじゃなくて……」
「………」
そうじゃなかったのは自分の方だが、何とか下がった凪の目線を上げようと足掻く新。
「比べた訳じゃなくて、その、みやびだと何も感じないけど、凪ちゃんだと感じる、というか……?」
と言って比べる新。 大体これでは “変な意味“ 、になってしまう。
恐らく言いたかったのは、みやびに『上着かける?』はいつもの事だが、凪にだと脱がせたように感じる、という事なのだろうが……
「………」
無言の凪は目で語る。
誰が見ても自分より大人びた身体のみやび。 それと比較して彼女より自分に女を感じるなどとよく言えたものだ、と凪は捉えたようだ。
「………飲み物、取ってくるね」
足掻く程に泥沼の状況。 居た堪れなくなった現場からひとまず逃げ出し、体勢を立て直す事にしたようだ。
一人になった凪は、部屋の中をもう一度見渡して呟く。
「せっかくあらたくんのお部屋に来れたのに、嫌な顔してたら勿体ないよね……」
新が策を講じる必要も無く、自ら気持ちを切り替えてくれる稀少な女の子の呟きだった。
一方、下に降りた新はというと―――
台所でお盆に冷たいお茶を二つ置いた息子を見て、しみじみとした声で母が話し掛けてくる。
「新……みやびちゃん以外で部屋に来た女の子なんて、初めてね……」
「……だから?」
白けた流し目で応える息子。
「まあ、みやびちゃんからすればあんたはただの景色の一つ……」
「………で?」
「可愛らしい良い子ね、鶴本さん……だっけ?」
穏やかな表情……というか、憐れみすら感じる母の目に、お盆を持った新はなんとも言えない顔で視線を返す。
「あんたはチャンスが少ないと思うから、母さんは協力を惜しまないわよ……!」
――― “私にも責任がある” 、そんな顔だった。
もし今、自分がみやびを含め三人の女子に告白を受けていると言っても、この母から相談という協力は得られないだろう。 寧ろ現実逃避でもしたのかと自分を心配し、現実から目を背けるなと諭されるのが関の山だ。
「母さん……」
「息子よ……」
お互いが同じように寂しげな表情を作り、その実全く違う感情を持って見つめ合う。
そして新は―――
「ありがとう」
その言葉を聞いて、『まだ私がいないとだめね』。 そう母は感じているのかも知れないが、新にとっては『一人でやるしかない』。 そういう決意の言葉だった。
チャンスを掴む気も無く先に攻められ、防戦一方の平凡美術部員は、どんな恋模様を描くのか。
親から少しずつ巣立っていく息子。
間宮新中学三年生、初夏の風を感じさせる五月の終わりの事だった――――。
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