鈍感な名探偵

 


 母との会話に時間を割き、見事無策のまま部屋に戻った新。


 お盆を床に置いて、どう機嫌を取ろうかと考えていると、



「あのね、初めてあらたくんのお部屋に来れて、嬉しい」



 柔らかな表情で微笑む凪。

 あの手この手でと思案に暮れていた新は、突然の変わり様に目を丸くしている。


「そ、そう?」


 何の取り繕いも無く機嫌を直した凪を勘ぐり、探りを入れるように新が訊くと、「うん」と偽りの無い笑顔で応えてくる。



( ……これは、 “時間が解決する” ……というアレ、かな? )



 なんとも都合のいい思考回路ではあるが、一時いっとき一人になった凪が気持ちを入れ替えたのは間違いないのだから、ある意味作戦は成功と言えるのかも知れない。


「連城さんは、幼馴染だもん。 何度もお部屋に来てたっておかしくないし……」


「凪ちゃん……」


 やはり明るく話せる訳ではないが、新がついみやびの名前を出してしまったのも仕方がない。 本心では聞きたくなかった事でも、理解しようとする健気な凪に胸を打たれる新。


「私がヤキモチ妬いちゃっただけ。 ごめんね」


 微かに首を傾げて許しを乞うその姿に、堪らなく込み上げる庇護欲。



「な、凪ちゃんが謝ることないよ……! 俺が悪い……っていうか、無神経だから……」



 こうも相手から折れて来られてはどうしようもない。 元々謝ろうと思ってはいたが、一層素直になってしまう。


「ごめん」


「ううん。 いいよ」


 部屋に入ってすぐに起こった一件は丸く収まり、無事気の合う二人に戻れたようだ。


 笑顔で許してくれた凪を見ていると、新の口から自然と感情が零れ落ちた。



「凪ちゃんの優しい目は、癒されるな」


「――えっ……。 わ、私、タレ目だから……」



 恥ずかしそうに肩を縮めるその姿は、元々小さな身体がまるで可愛らしい小動物のように映る。


 新は笑みを浮かべ、



「それにしても、俺がヤキモチ妬かれるなんてね」


「……どうして?」


「だって、女の子にモテた事なんてないもん」



『どうして』、などと少し前の新なら愚問だった。


 ヤキモチどころか、誰かに想われているなんて夢にも思わない生活だったし、半ば諦めて欲しがりもしなかったのだから。


「……もっと、早く好きって言えばよかったかな……」


「へ?」


 凪の小さな後悔は新に届かなかったようだが、その後の言葉は、間違いなく胸に刻まれた事だろう。



「なんでもない。 いいの、今の方が……もっと好きだから……」


「っ……」



 一度言われた言葉とはいえ、この歳まで無縁だった好意に中々慣れるものではないらしく、新は顔を赤くして俯いてしまった。



「………」


「………」



 二人共黙って下を向く、なんとも甘酸っぱい時間が部屋に流れる。 もし告白したのが凪一人だったなら、もう二人は恋人同士だったのかも知れない。


 だがそれも、みやびの告白によって引き出されたものだったのは間違いない事実だ。




「……あの、お話って?」


 沈黙を破ったのは凪の方から。

 新が言っていた『話したい事』、それを聞かせて欲しいと切り出す。


「ああ、うん。 萩元のことなんだけど」


「萩元くん?」


 美術部ニ年の萩元俊哉。 美術部で新を含め、僅か二名しかいない男子部員の一人だ。


「あれから、部活来なくなったし」


「そうだね……」


 部室で凪に新とは関わらない方がいいと力説し、それに異を唱えた凪を説き伏せようと思わず肩を掴んで声を張り上げた。 そこに新本人が割って入り、俊哉は顔を歪めて部室から走り去ったのだ。


 あの日から、俊哉は部活に顔を出さなくなったらしい。


「やっぱり、気にしてるのかな」

「うん。 私は、別に気にしてないけど」

「俺も別に」


 基本的に温厚でのんびり屋の二人は、俊哉の事をいつまでも根に持ってはおらず、寧ろ最初から怒ったつもりすら無さそうだ。


「最初入部して来た時は男が来て嬉しかったけど、取っ付き難くてあんまり話さなくなったんだよね」


「私も、あんな風に話すのは初めてで……」


「でも、あんなに喋る萩元は初めて見たな」

「うん、あんまり人と話さないもんね」


 俊哉に対する印象は大体同じで、今回の事もまた同じように感じているようだ。



( 萩元があんなに熱くなるなんて、よっぽど俺は迷惑な存在………だよね。 ―――いや、まさか…… )



 自分が凪の学校生活において悪影響なのを再認識した後、何かに気付いたのか、真剣な眼差しで凪を見る新。


「ど、どうしたの?」


 珍しく引き締まった表情をする新に気圧される凪。



「凪ちゃん、もしかしたら……」



「……なに?」



 謎を解き明かした名探偵のような目をする新。 凪は少し不安そうに眉尻を下げている。



 そして、吐き出した言葉は―――




「萩元は……凪ちゃんを好きなのかも知れない」


「――ええっ……!?」



 突き付けられた衝撃の事実に仰け反る凪。

 新は似合わないキメ顔で前のめりに凪を覗き込んでいる。




 殺風景な部屋に訪れた沈黙。

 凪は落し物を探すように目線を落とし、キョロキョロと言葉を探している。


 それはどうも落ちていなかったようで、困った顔をして首を傾げると、




「………なんで?」




 新を好きにはなっても、 “好かれる” という経験が無く、自分に自信があるタイプでもない凪。 出てきた言葉もわからなくもない。 が、



 客観的に見てみれば、凪だけでなく新にしても、俊哉は大分わかり易い言動をしていたように感じる。



 ―――それもまた、のんびり屋の二人ならではの、遅すぎる発見だったのだろう。


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