二度目の自己紹介

 


 ―――『キレイだ』。



 そう零した新の言葉に、俯いたまま目を見開く。



 その言葉を素直に受け取れない理由がある彼女は、それをどう受け止めていいのかわからず身体を震わせている。


 何故なら、彼は自分を嫌っている。 ついさっきも怖がらせてしまったばかりだ。 そんな言葉をかけてくれる筈がない。


 挨拶も途中に言葉を奪われ、咀嚼し難い言葉に時を取られていると、



「す、すみません……! 自己紹介もせずに突然……」



 我に返った新は、慌てて頭を下げて謝罪し出した。


 確かに一言目としては不躾だが、そうさせてしまう彼女の魅力が罪なのかも知れない。 だが、そうとは思ってもいない彼女は俯いたまま、寂しそうな声色で呟く。



「……綺麗だなんて……嘘です……」



 謙遜などではなく、本心から感じた事を言葉にしたのが伝わると、


「い、いや、嘘じゃないですよ……あなたなら誰だってそう思います……!」


 こちらも本心からの言葉を返す。

 寧ろ何故そんな事を思うのか、彼女なら当然言われ慣れている言葉だろう。 新はまだ目も合わせてくれない絶世の美女に困惑する。


「私は、女らしくないので……」


「そんなこと……誰も思いませんよ」


 この容姿でこんな女性の武器を晒して、どうしてそんな台詞が出てくるのか。 僅かに膨らむ胸の谷間に目がいってしまい、慌てて目を逸らす新。



 だが、彼女の言葉は自分を信じていない。



「少なくとも、新さんは……私が嫌いです……」



 ついには自分がこの女性を嫌いだとまで言ってくる。 全く理解出来ない新は、瞬きの回数を増やして音量を上げる。



「き、嫌いもなにも……! 俺はあなたを知らないし……」



 思えば挨拶も途中、自己紹介もしていない。

 わかっていた事だが、彼女は自分を知っている。 会いたいと言われていたのだから当然だ。 しかし、会ってもやはりいつ、どこで、それがわからない。


 向こうが一方的に知っているのだろうが、その理由すら見当がつかない新は、この会話の迷子になってしまいそうだった。



 その時、彼女の口からそのヒントが出される。



「自己紹介は、以前もうしました」


「え……」



 そんな馬鹿な、こんな目に焼き付くような美女を忘れる訳がない。 その自信が強過ぎて、新は記憶を辿ろうともしなかった。


 恐らくは彼女の勘違い、人違いをしているのだろう。 確信にも近い思いを持ち始めた新は、その思いを言葉にしていく。



「それなら……覚えてると思います。 年上の女性なんて知り合いにそんないないし……」



 それを聞いた彼女は、またそうではないと新の言葉を否定するように、次のヒントを口にする。



「……私は、新さんと同い年です」


「――は? そ、そんな訳……」



 ヒントを貰った筈が、益々頭の中を掻き乱されてしまう。 どう見ても信じられない。 例えばこの女性が同じクラスに居たらと考えると、とてもじゃないが場違いに感じる。


 薄く化粧をしているし、服装のせいもあるのかも知れない。 だが、それにしても……という思いが拭いきれずにいる。



( じゃあ、学校で? いや、揶揄ってるのか? 大体学校でだって会ったことなんかないし…… )



 俯く彼女をまじまじと見てみるが、やはり初めて見る “綺麗なお姉さん” だ。 少なくとも高校生にしか見えない。




「「…………」」




 お互い黙り込み、僅かな沈黙の後、組んでいる手にぎゅっと力を込めた彼女が遂に顔を上げた―――




「私の名前は―――夕弦ゆづるです」




 泣き出しそうな顔で名前を告げる。



 素性は明かされた。 これが『答え』の筈。


 それを告げられた新は、やっと目を合わせてくれた夕弦に見とれながら、



「ゆ、夕弦さん……ですか」



 彼女の名前を確認するように呼び、目の前にある美しい顔に魅入っているだけ。



「覚えて……ないのですか?」


「えっ、ええと………すみません、忘れる訳ないと思うんですが……会っているなら」



 こうまで言われては自分が忘れているのかも知れない。 だが、どうしてもそれは信じられない。 そんな葛藤が夕弦と会ってからずっと続いている。



「そうですか……」



 忘れられたというのに、何故か夕弦はどこか安堵した表情をして呟く。



「あっ、す、すみません……! いつまでもお客様を立たせてしまって、どうぞお掛けください」


 大分長い挨拶になってしまい、つい立ったままになっている事に気付けなかったのを謝罪すると、


「ああ、すみませ―――ひッ……!」


「……どうされました?」


 腰を下ろそうとした新が突然悲鳴を上げる。 夕弦はその様子に首を傾げ、新の視線を追って振り返ってみると、


「さ、沙也香さん?」


 サイコなピエロのような目で二人を見ている不審者使用人を見つける。



「お気になさらず、私はお嬢様の魅力に間宮くんがプッツンして襲い掛かった場合、彼の人生をプッツンする為に見ているだけですので」


「プ、プッツン……」



 殺意の目を向けてくる沙也香に、新は背筋を凍らせて怖々と呟く。



「そ、そんなこと……! 新さんが私に………する訳ないです………」



 真っ赤に顔を紅潮させ、もじもじとまた俯いてしまった夕弦。




「……可愛い……」




 恥じらい、身をよじる夕弦に思わず出た呟き。 その言葉が夕弦の耳に届くと、露出の多い白い肌までも赤みを帯び始める。



「………嘘、逃げてしまう癖に……」



 何のことだかわからなかったが、拗ねたように赤い顔を背けた美女の仕草に堪らなくなった新は、我を忘れて手を伸ばし―――



「に……逃げる訳……」



 そんな男がいるものかと、取り憑かれたように震えた指先が夕弦の肩に触れる、寸前―――




「――いっ……! だあぁぁぁ……っ!!」




 膝を落とし絶叫する新。



「あ、あらたさんっ!?」



 何事かと急いで目を向けると、新の腕を捻り、蔑むような目で見下ろす沙也香の姿があった。



「さ、沙也香さん、やめてくださいっ!」


「お嬢様、このスケベぇは今お嬢様の身体に触れようとしました。 故に息の根を止めます」



 夕弦の言葉も聞く耳を持たない沙也香は、欲望に駆られた少年に極刑を言い渡す。



「してないしてないっ! いっ――だだだ! ごめんなさいしましたぁぁぁっ!」



 冤罪を訴えるも、あっという間に自白を引き出されて懺悔する新。



「ふはははっ! 簡単に口を割るたぁ情けねぇ! その程度のエロ根性でお嬢様に触ろうとするたぁ――」







 ――――やめなさいッ!!――――







 瞬間時間が止まるような鋭い声に、使用人ボディガードの手が離れる。



「だ、だってぇ、この全力エロ少年が……」



 口を尖らせた沙也香がぼそぼそと不満を零す間にも、夕弦はへたり込んだ新に寄り添うように膝をつき、心配そうに痛み、顔を歪める新を覗き込む。


「大丈夫ですか?」


「え、ええ、なんとか……」


 痛んだ腕を労わるように手を添える夕弦。


「申し訳ありません、お客様にこんな乱暴なことを……」



( ち、近い…… )



 眉尻を下げて謝罪する夕弦の顔が近寄り、胸の高鳴りに痛みを忘れる新。



「へ、平気です。 それに、触ろうとした俺が悪いし……」



 拷問での自白とはいえ、それを認め反省する新。



 軽蔑されても仕方ない。 自制出来ない自分が情けなくなり、沈んだ表情で目を伏せていると―――







「え―――」






 突然の出来事に声を漏らす新。




「お、お嬢様っ!?」




 沙也香の悲鳴の原因、それは床に座り込んだままの新に、事もあろうか大事なお嬢様が自ら抱きついてしまったからだった。





「嬉しい、そんな風に思ってくれて……」





 嫌われるとさえ思っていた自分に抱きつき、『嬉しい』と言ってくる夕弦。 自ら飛び込んだ守るべき存在に、沙也香も手を出せずにおろおろとしている。





「私を……女だと思ってくれますか?」




 ―――不思議な問い掛けだった。



 最初からそう思っている。 思わず手が伸びてしまったのは、当然その上であまりに魅力的だったからだ。






「新さんだけには、そう思ってもらいたい………私を、女だと思い出させて………いいえ、思い知らされたひとだから………」






 頼りない白のワンピースから押し当てられる胸の膨らみ、開いた華奢で美しい背中。




 どれを取ってもこう答えるしかない―――





「……そうとしか、思えません」





 同級生同士の言葉遣いではない二人の、 “男女” としての出会いが始まる。



 向かい合えるように離れた夕弦は、新に潤んだ瞳を向け―――









「私は――――、夕弦です……」









 今、二度目の自己紹介をしながら、夕弦はウィッグを取り去った――――


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