ジレンマ

 


 みやびによる魅惑の荒療治の甲斐もあり、新が自分を取り戻したその数日後――――




 放課後、いつものように部活に誘おうと凪が声を掛けてくる。


「あらたくん、部活行こう」

「あっ、ちょっとやることあるから先に行ってて、追いかけるから」


 何気ない言葉を交わす二人。 こうして負い目無く新が部活に行けるようになったのも凪のお陰だ。


「うん、わかった。 先に行ってるね」


 全てが元には戻らない。 だが、失った日常を少しだけ取り戻したような喜びを感じる凪だった。





 ◆





 凪が美術室に入ると、まだ他の部員は誰も来ていない様子。 とりあえず鞄を机の上に置き、椅子を引こうと手をかけた時、部室のドアが開いて一人の生徒が入室して来た。


「……お疲れ様です、鶴本先輩」

「おつかれ、萩元くん」


 凪が挨拶したのは、美術部で新以外ただ一人の男子部員、二年生の萩元俊哉はぎもととしや


 俊哉はドアを閉めると、何故かその場に佇み動かない。 なにをしているのかと不思議に思った凪は、


「どうしたの?」


 暗い顔で俯く俊哉、男子にしては長い髪が表情を隠している。 その顔を上げ凪に歩み寄り、何か言いたそうな顔で見つめてくる。


「萩元……くん?」


 何度か瞬きをして、新より少し背の低い俊哉を見上げる。 普段から口数の少ない後輩なのは知っているが、そのせいか彼がなにを考えているのかがわからない。



 静けさを保つ教室。 だが、ただ見つめ合う時間はそう持たない。 俊哉は追い立てられるように口を開いた。



「間宮先輩とは、一緒に居ない方がいいと思う」


「……なんで?」



 か細く優しい声が、その提案に異を唱える。



「今の間宮先輩の周りは、騒がしすぎる……からです」


 奥歯に物が挟まったような言い方をする後輩に凪は少し眉を寄せ、


「あらたくんはなにも変わってないよ? だから、私も変えるつもりは――」

「鶴本先輩が傷つくからですよ!」


 わかってもらえないジレンマから声を荒げる俊哉。 突然の事に怯んだ凪だったが、すぐにその瞳に力を戻し応える。


「あらたくんだって傷いてる。 離れたら私まで彼を傷つけるし、助けになれないから」

「な、なんでそこまでするんですか!? 鶴本先輩まで変な噂されてるんですよっ……! 」


 そこまでする義理があるのか、新と凪の関係を熟知していない彼は、自分の考え、或いは気持ちを前に押し出してしまう。


「そ……そう……」


 視線を下げ、顔を赤らめる凪はどこか嬉しそうにすら見える。 それに苛立ちを覚えたのか、俊哉の音量が増す。


「心配して言ってるのに、ちゃんと聞いてくださいッ!」



 口数の少ない筈の後輩は、別人のように言葉を吐き出す。



 そして、俊哉が感情をぶつけている教室の外では―――








( は、入りづらい……! )




 いつからそこに居たのか、美術室の前で佇む新の姿があった。 大体の話は理解しているらしく、迷惑な自分にやはり責任を感じている様子で、ドアを開けるのを躊躇している。




 その教室の中では―――







 興奮冷めやらない後輩を再度見上げ、凪は柔らかい声で諭すように話し出す。



「萩元くんが心配してくれるように、私もあらたくんにそうするんだよ?」

「違う……っ! だって鶴本先輩には関係ないじゃないですか、わざわざ巻き添えになる必要なんて……!」


 どうしてわかってくれないのか、当然の事を説き伏せられずにいる俊哉は歯痒くて仕方がないようだ。


 だが、それは彼自身にも言える事で、


「同じだよ、萩元くんだって関係ないのに、こんなに私に必死にしてくれ―――いっ……」



 何が彼の琴線に触れたのか、俊哉は凪の両肩を掴み取り乱す。



「同じじゃないッ! 俺はなにも被害なんてないけど、鶴本先輩は言われてるんですよ!? あんな地味なのが連城みやびの恋敵かって!! 俺は……俺はそれが―――」



 熱情が知らずに力を込め、掴まれた肩の痛みに顔を歪める凪。 その時―――




「「――!!」」




 勢い良くドアを開け、新が教室に入って来る。

 眉間に皺を寄せ二人に近付くと、俊哉の身体を自分に向けさせ、凪から手を離させる。



 そして向かい合い、いつになく真剣な顔で―――







「な、凪ちゃんは可愛いぞっ!! あほかっ!」







 後輩を叱った経験のない、新の斬新な叱咤が炸裂する。



 茫然としていた俊哉だったが、徐々に我を取り戻し、悔しそうに顔を歪めると―――



「……んなの、知ってるよ……」



「――わっ!?」

 


 呟きを零し、新と半身をぶつけながら、開いたままのドアの向こうへと走り去ってしまった。






( なんか俺……最近よく突き飛ばされるよな…… )






 俊哉の消えた方に視線だけを向け、この頃の自分を省みていると――





「ん?」




 これも最近あった、覚えのある感触。




「……可愛いって……ほんと?」




 いつの間にか抱きついた凪が、ほぼ90度の角度で新を見上げる。



「な、凪ちゃ……」



 期待を込めた熱い瞳が、新が僅かに所有する “女の子対処の書” を焦がしていく。



「どこが?」



 実力者なら恐らく選択肢は数多だろうが、こちらは残念ながらまだまだ若輩者。



 そして、捻り出した答えは―――






「い、いまの………顔?」






 採点は審査員によるだろうが、それでも凪は嬉しそうに新の胸に顔を埋めた。




 不運な展開が多い新にとって、今回幸運だったのは―――





( 女子部員、いなくてよかった……… )





 それは、珍しく事件に取り上げられなかった出来事だった。 が………




 俊哉との今後は定かではない――――









 ◆








 住んでいる人間を想像させる立派な家の入り口。

 デザイン性が高く、都内としては広い敷地に立つ三階建ての家。



 その部屋の一つから聴こえる、二人の会話――――



「こんな……とても着られません……」


「なにを言うんです? のでしょう?」


「それは……」


「だったら必要な事です。 私にお任せください、必ず……」






 ――――彼をここに連れてきますから――――




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