思い出した権利

 


 校内を震撼させた『連城みやび名前呼び事件』の後、放課後になる頃には新は連日の心労で限界に達していた。



 虚ろな目で席を立たずにいた新に、今日は朝挨拶をしたきりだった凪が傍に立つ。



「間宮くん」

「……ああ、鶴本さん」


 覇気の無い返事を返されるが、凪はそれも仕方ないという顔で再度声を掛ける。


「部活いこう」

「うん……でも、ちょっと疲れちゃって。 それにさ、行っても落ち着かないし」


 昨日のような事がまた起きるだろう。 何しろ今日は今日でまた騒ぎを起こしたばかりだ。


「一緒に入れば平気だよ」

「そう……かなぁ」


 なんとか重い腰を上げさせようと誘うが、新は中々その気にならない。


「普段の生活をしたい、でしょ? 少しでも、力になりたいから」


「つ、鶴本さん………」


 潤いを無くした身体に、凪というオアシスが浸透していく感覚を覚える。



「どうしても嫌なら、無理には――」

「行く」


 力が漲ってきた。

 そうだ、ここまできたら逆に怖い物など無いのではないか。 開き直った新は凪の誘いを受ける事にした。



「……うん。 いこう」



 二人で教室を出て、美術室へと向かう。



 当然また凪も注目に晒されるが、凪もある意味覚悟が出来ていた。 それは、昨日告白を終えていた事もあるだろう。 そしてもう一つ、今日みやびと新の事件を目の当たりにしてしまったからだ。


 勿論嫉妬もした、焦る気持ちもある。 だがなりより、新の日常を取り戻してあげる手助けをしたいと思った。


 そうしてあげたいと思ったし、元々その日常の中に自分は居たのだから。 自分の為にも、それを取り戻したかったのだ。





 美術室の前に着くと、さっきまで勇ましかった新の顔が緊張しているのが伝わってくる。



「いつもみたいに入って、いつもみたいに出よう」


「……うん」



 細く弱々しい声が、どこか気持ちを落ち着かせてくれる。 平常心でドアを開け、二人は部室に入って行った。



 中には三人の女子生徒と、新以外でただ一人の男子部員が集まっていた。 まだ顧問の先生は来ていないようで、各々に座り準備をしていた、が……


 部室入るとやはり注目の視線を集めてしまう、それはもう想定済みの事。


「おつかれ」


 今まで通りに挨拶をする新。

 凪もそれに続き、二人は椅子に座って準備を始める。



「あっ」

「間宮先輩……」



 後から入って来た二人の女子生徒が新を見て思わず声を漏らす。 昨日みやびとの事を訊いてきた二人だ。

 ゴシップ好きな印象のある彼女達は、早速今日の事件を訊こうと話し掛けてきた。


「なんか、すごかったみたいですね!」

「学校一の美少女と全校公認のカップルなんて漫画みたいっ」


 目を輝かせて話す後輩達。

 彼女達じゃなくても憧れるような話だ。 思春期の女の子には仕方のない反応だろう。


 確かに事件にはなった。 だが “カップル” というのは違う。 そこはわかって貰わなければならない。 しかも、今隣に居るのは同じ日に想いを伝えられた凪なのだから。 彼女の為にも言わなければと感じた新は、



「あ、あのね……」



 詰まりながらも切り出した時だった。



「連城さんは派手だね、でも間宮くんはお付き合いしてないんだって」



 凪の声には一切余分な感情は感じなかった。 それが逆に真実味を増したのか、後輩達は少したじろいだ様子で、



「え、でも連城先輩に好かれてるなら……」

「うん、もう付き合ってるって事だよね?」



 昨日の告白、そして今日二人で手を繋ぎ歩いていた事実からみれば当然の回答なのかも知れない。 だが凪は、



「連城さんは素敵な人だし、皆憧れてるけど、だから間宮くんも好きとは限らないよ。 間宮くんにだって―――




 話を聞いていた後輩二人も、当人である新でさえも凪が何を言おうとしているのかわからなかった。


 それはみやびに対して、平凡な男子である新には無かった、いや、無いと言葉。





 ―――選ぶ権利はあるんだから」





「あ……」



 忘れていた何かを思い出したような、そんな声を漏らす新。



 周りからは『なんであんな奴が』、『こんなチャンスもう一生ない』と言われ、そもそも “選択する権利” という存在自体を見失っていた。



「そ、それは……そうだけど……」

「断る理由が……」



 正論ではあるが正論に聞こえない。

 どうしても納得出来ない彼女達に、凪が最後に言ったのは―――




「誰を選ぶのも間宮くんの自由だよ。 それが連城さんでも、他の人でも。 それに、間宮くんから誰かに告白したっていい、全く違う誰かに。 だって間宮くんは、まだ誰のものでもないんだから」




 ――まるで、目から鱗が落ちたような気分だった。



 解放されたというか、当たり前のものを取り戻した感覚。 勿論みやびに強制されたりした訳ではない。 あくまで周りから押し付けられた呪縛のようなもの。


 凪はそれを取り除き、気付かせてくれた。





( 俺は―――自由だったんだ……… )






 ―――それから顧問の先生が部室に入り、部活動は普段通りに始まり、そして終わった。







 美術室を出て、凪と二人で下校する。


 今まで何度もあった事だが、目立たない二人は噂になるような事はなかった。


 ただ、これからはどうだろう。この二日間、沢山の人に注目を浴びた。 少なからずあの後輩二人は感じた筈だ、新と凪の普通ではない関係性を。



「ありがとう、鶴本さん」



 クラスメイト、友達、告白してくれた人。 どれでもなく、恩人として新は礼を述べた。



「なにもしてないよ、当たり前の事だし。 ―――当たり前が好きでしょ?」



( それ……大好き )



 似た者同士の二人は、平穏を共有していた。



「でも、ご褒美くれるなら……」


 僅かに俯き、顔を紅潮させる凪。 何かお礼が出来るならしたい、そう思った新は、


「な、なに? なんでも言ってよ……!」



 凪は立ち止まり、新を見上げておねだりしたのは―――




「私も、名前で呼んでほしい」


「えっ、そんなんでいいの?」

「うん」


「じゃあ、凪ちゃん?」

「……ちゃんはいらない、かな」


「じょ、徐々に減らしていきます!」



 照れながらも努力すると約束してくれた新を見て、嬉しそうに笑った後―――





「約束だよ、あらたくん」





 新の大事な『癒し』は、今日も疲れを吹き飛ばしてくれる。



 だが、凪にとって新の存在は癒し以上に大事なもので、新のに自分もなりたいと願っている。



 大人しい凪が、後輩とはいえあんな言葉を言えたのも、好きな人の為なら……だから――――


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