近寄れない夢

 


 今までの生活が一変したこの日、新は普段よりかなり早く床に就いていた。


 心身共に限界ではあるが、それでも自分はちゃんと眠れるだろうか、そんな不安に駆られる新。 だが、寧ろ考える事が多過ぎたのか結局何も纏まらないまま、いつの間にか意識は夢の中へと落ちていった。





 ―――

 ――――――

 ―――――――――――

 ――――――――――――――――




 いつもの通学路、制服姿で歩く自分がいる。

 背中を丸め、俯き、全てから閉篭もるように。


 それでも感じ、聴こえてくるのは、蔑むような視線と、自分を嘲笑う耳障りな、言霊のような囁き。



( 校門……こんなに遠かったか…… )



 歩いても歩いても、辿り着かない。

 蝕まれていく精神、摩耗していく心。



( 別に、俺から望んだ訳じゃない……欲しがった訳じゃないのに……! )



 確かに憧れの女子であるみやびと皆の知らない所で会っていた。 だがそれは、自分達は元々そういう関係で、寧ろみやびの方が望んで会っていた。 それに優越感を持っていた訳ではないし、自分を優しく気遣ってくれるみやびに、当たり前の対応として接してきただけだ。



( 俺が、冴えない奴だからか……そんなことわかってるよ……だから、目立たずにやってきたろ…… )



 身を引きずる思いで歩く新。

 顔を歪め、耳を塞ぎながらも………



( 校門……でも、着いたからってこの先も……)



 学校に安息は無い。 それはもうわかった。

 もう今までと同じように過ごし、穏やかな気持ちではいられない。



( あ…… )



 引き返そうかと思った時、校門に一人の少女が立っているのが見えた。



( た、助かった……助けて…… )



 やっと見つけた味方、まだ遠くて顔は見えないが、見間違える筈がない。


 短めの黒髪、小柄で華奢な、自分と似た者同士の彼女。


 新の、大事な癒し―――



( 鶴本さん……―――あれ? なんで……なんでだ……?)



 近付こうとしても、凪との距離は縮まらない。



( い、今行くから、待ってて! )



 そう叫ぶも、凪には聴こえているのかすらわからない。


 表情の見えない、近付けない凪の小振りな唇が動き、囁くような声が、この距離で聴こえる筈がない音量で耳を打つ。




『嘘つき』




( な、なにが? 俺は嘘なんか…… )




『付き合わないって言ったのに』




( なに言ってるの? 俺は誰とも付き合ってなんて―――ッ!? )




 誤解、勘違いだと訴える新の右腕に、さっきまで感じなかった気配が絡み付いている。




( みやび……? ……なんで…… )




 腕を絡ませ、自分を見上げ、甘えるように微笑むみやび。




( ち、違うっ! 俺は別にみやびと―― )




 慌てて校門に向き直る新。




( え…… )




 だが、そこに居た筈の凪の姿は無く、立っていたのは―――




( ……みやび……ど、どうなってんだ? みやびは俺の隣に…… )




 右腕に目をやるが、校門に居るみやびの姿は当然消えている。



 ―――混乱する新。


 正面に視線を戻すと、校門には凪から入れ代わったみやびが薄茶色い瞳に雫を浮かべ、自分を見つめている。




( なんだよ………俺が何したっていうんだ………そもそも俺はなんにもしてないだろ……っ!! )




 そんな目で見られる謂れは無い。

 人生で一番慌ただしかった一日も、新が自発的に起こした事件なんて一つも無いのだから。




( なのに、なんで俺が…… )




 弱々しく俯いた時、新の目に映ったのは―――




( ……… )




 気付けば自分の胸に顔を埋め、しがみ付く凪が居る。


 もう言葉も出ない。 正面に居るみやびに視線を戻そうにも、目を合わせ辛くなってしまった。 かといって抱きつく凪を振り払うわけにもいかない。



 ただ立ち竦み、茫然と視線を落としていると……






 ――――あらたッ!! 上ッ!!!






 今日一度聴いた、危険を伝える声。

 緊急だとわかる声音にも拘らず、新はゆっくり、ぼんやりと見上げた。




( ……ぁあ……)




 ―――あの『教訓』が落ちてくる。



 新の上に真っ逆さま。

 避けられない、逃げ切れない。




 それを確信した時―――――

 ―――――

 ――




「……ぅあっ……ぁぁああッ!!」




 ベッドの上で踠き、悲鳴を上げる新。

 じっとりと汗をかいた額を拭い、息を整えている。



 身体を起こして携帯の画面を見ると、今は深夜の一時を回ったところだ。

 気持ちを落ち着かせるが、すぐには眠れそうもない。 新は夜風にでも当たろうとベランダに出る。



「元はと言えば、あの額縁が原因なんだ……」



 あれが落ちて来なければ、そう呟き眉を寄せる。 それを言えば、クラスメイトが下手なサーブを打たなければ、体育の授業がバレーでなければ、辿って行ってもきりが無い。


 今更時間は戻らない、それでも思ってしまう『原因』の所在を恨む新。






「眠れないの?」






 真夜中の静寂に落ちた、一滴の雫のような声。

 その広がる波紋の中心に新が目を向けると―――



「………みやび」



 夢で涙を溜めていた幼馴染が、パジャマ姿で優しく微笑んでいた――――。



 

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