休む間もなく

 


 凪と別れ、新が家に着くまで考えていたのは、相談した筈のみやびの件ではなく、今さっき起こった凪との事だった。


 まさか凪が自分のことを想っていたとは、夢にも思わぬ出来事だった。 それも、あの大人しい女の子が、あんなにも大胆になるものか。 癒しの対象だった筈の凪を相手に、逆にこんなに体力を使ったのは初めてだった。





「もう、だめだ………」



 部屋に着くと上着も脱がず、ベッドにも辿り着けずに床に力尽きる。


 行き倒れのようにうつ伏せになった新。

 ふと目を開けると、みやびから “監視役” の任を受けているぬいぐるみと目が合う。



「……お前は、この部屋専門だからな……」



 あくまで常駐、出張はみやびから許可が下りなければ許されないシャチくんである。

 少し何も考えずに休もう。 そう思い瞼を閉じようとした時、折り返しを忘れていた相手から呼び出しが鳴る。



みやび雇い主から電話だぞ、シャチ」



 連絡を忘れていたのは悪いが、もう精神力はとっくに尽きている。 頼むから代わりに出てくれ、そう縋る新を見つめるシャチくんは当然無言。



「言いつけ以外はしないって? つれない奴だな」



 物言わぬぬいぐるみに愚痴をこぼす新。 やっと一人になっても、今日は中々安息の時は訪れない。



「はい…………もしもし?」



 気怠そうに電話に出ると、すぐに応答の無いみやびに再度呼び掛ける。



『………家、着いたの?』



 明らかに沈んだ声。 これは適当に対応していたらまた泣かれる危険性がある、そう直感した新は気持ちを切り替え、



「今着いた、ごめん遅くなって」

『ううん。 ごめんね、しつこくして』


「いや、いいよ」



 判断は正解だった、このテンションは危うい。

 それにしても、一日にしてモテる男の受難、そんな対応をする事になった新。


『会える? これから』


 ――当然そうなる。

 しかし、疲労困憊の新は、


「ちょっと、今日は疲れちゃって……。 明日でいいかな? 明日は必ず時間作るから」


 本当は今日だろう、そんな事はわかっている。 みやびにとっても、今日は大きな変化があった日なのだから。



『ごめんね……私のせいで』


「でも………さ、みやびが叫んでくれなかったら、俺どうなってたかわからないし。助かったよ」


 疲れ果て逆に冷静になったのか、あの時大声を上げて危険を伝えてくれたみやびに感謝を述べる。



『それでも、新が生活し難くなったのは私のせいだし……とにかく、ちゃんと会って話したいの。 ……明日でいいから』


「わかった、ごめん」



 そう言って身を翻し、仰向けになって天井を見上げる。


『一つだけ、訊いていい?』

「え、うん」


 とりあえず話は明日。

 ひと安心していた新にみやびが尋ねたのは―――




『新……誰といたの?』



「っ……!」




 ―――息を呑む新。



 ついこの間までは即答出来たその名前は、今日みやびから告げられた想いと、奇しくも同日に、ほんの一時間程前に受けた告白により出し難くなった。



「と、友達……ちょっと、相談に乗ってもらってて……」



 こんな嘘を吐く事など無かった新は、明らかに動揺しているとわかる声音で答えてしまう。 



『………そう』



 みやびは、それ以上言及する事は無かった。

 する必要が無かったのだろう。 嘘を吐き慣れていない新の言葉など、電話越しにでも簡単に見破れる。


 恐らくは、そのが誰なのかも。



「じゃあ、明日」


『うん、明日ね』



 追求を恐れるように通話を終えようとする新。

 それを敢えて見逃してあげるみやび。



 羨望の眼差しの中を生きるみやび姫君の誘い、それを断る目立たない凡夫



 身分差の恋、といっても焦がれているのは姫君の方だという、なんとも奇妙な展開になってしまった。




( 明日……か。 ていうか、そもそも明日どうやって学校を乗り切るんだよ…… )



「……行きたくない」



 一人呟いた時、左手の携帯電話が震える。



『お家着いたかな?』


「………」



 今度は凪からのメッセージが届く。



「何故か突然需要が殺到した不人気商品………の気分だ」


 自虐的な感想を述べる新。


『着いたよ』


 返事を返すと、すぐに既読の表示になり、僅か数秒後、


『今日はごめんね。 相談どころか余計に困らせちゃって』


( レス早…… )


『大丈夫だよ』


 短く返事を返していく新。

 鈍感な彼は気付いてないだろうが、これは恐らく凪の探りなのだろう。

 家に着いているのはわかっていた、凪が知りたかったのは#その後__・__#の事。 もしみやびと会っていればこんなに早くは返事をしないだろうし、会っていても自分からのメッセージを見て告白を受けるのを思い留まる可能性も出てくる。 その証拠に―――



『私は、伝えられて良かった。 まだ、間宮くんの感触が残ってる』



「――ぶッ……っ!!」



 強烈なメッセージ。

 こんなものをみやびと居る時に喰らわされたら堪らないだろう。 攻防一体の乙女の一撃に思わず吹き出す新。


 凪自身も羞恥の中思い切ったのだろうが、新に与えた衝撃は大きかったようだ。



( そ、そんな事言われると……俺も…… )



 自分を見つめ、焦がれる凪の顔が浮かび、その華奢で柔らかな感触が蘇ってくる。



( こ、こんなもんどう返事すれば…… )



 疲れも忘れ、高揚感と答えの出ない焦りにジタバタと悶える。



( 『俺も』? いや、なんかやらしい……『そうだよね』? 絶対違うっ! なんだ……? この返事の正しい言葉はなんだぁぁッ!! )



 引き出しの少ない自分と格闘する新。



 ―――結局、これだというものも捻り出せず、また送られてきた凪からのメッセージに助け舟を出される。



『変なこと言ってごめんなさい。 でも、嘘でも褒めてくれて嬉しかった』



( こ、これは…… )



 恐らく……



 ―――つ、鶴本さんは可愛くなくないしっ、貧相でもないっ! い、いい身体だ!―――



 この下手くそなフォローの事だろう。



( それは……忘れてください…… )



 失敗作、それは自分でも自覚しているらしく、ぐったりと沈む新。 それでも、これならと返事を思いついたようで、携帯の画面を操作し始める。



『嘘じゃないよ。 それに、励ましてくれてありがとう』





 その後も、まるで恋人同士のように何度かやり取りを重ねた二人。



 話し合いを待たせているみやびの事を忘れている訳ではないだろうが、新には目の前の相手を対応するだけで手一杯だ。



 そして明日からは、平穏ではないとわかって学校に向かわなくてはならない、そんな日々が続く。





 ―――新の、詰め込み過ぎた激動の一日は、やっと終わりを迎えた。




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