好意の裏側
手を差し伸べられた新は、凪と二人で学校を後にした。
校門を出るまで、今や時の人となってしまった新にはどうしても注目が集まり、懸念していた通り少なからず凪も道連れになってしまった事実は否めない。
「ごめんね。 やっぱり見られてた」
責任を感じる新は辛そうに俯く。 すると凪は、
「大丈夫」
そう言ってくれる子なのはわかっている。 だからこそ胸が痛むのだ。
「でも、どう思われたかわからないし、鶴本さんまで噂を立てられたら……」
周囲の反応は考えれば切りが無いが、大半は良からぬ噂となるのは予想出来る。
もし新と凪が恋仲だと思われようものなら、あの連城みやびに告白されたのにどうしてあんな子と……などと言われれば、今の自分と同じ苦しみを凪にも与えてしまうのだから。
自分の為にそんな事になったら……そう思うと胸が抉られるようだ。 そうなっても、恐らく力の無い自分には凪を風評被害から守る自信が無いから。
新がその表情に悔しさを混ぜた時、
「こんな経験、私も初めてだから……」
「……うん」
やはり凪もダメージを受けている。 そういう声だった。
「だから……思った。 一人だったら挫けちゃう、傍に来て良かったって」
「鶴本さん……」
凪は言った、自分達は『似ている』と。
確かに新も感じていた事だが、果たして自分が逆の立場だったら、今の凪のように勇気持って手を差し伸べ、苦手な注目を浴びた後この台詞を言えるだろうか。
“無関係なのに” 、 “やっぱりやめておけばよかった” 、そう思わないと言い切る事は出来ない。
奇しくもこの学校にはみやびと似た存在、生徒会長森永泰樹が居る。 凪が泰樹に告白されたと置き換えれば、今の凪と自分を入れ替えて想像するのは容易い。
「このまま、帰る?」
並んで歩く凪が、前を向いたまま口を開く。
「え……どういうこと?」
何故そう言ったのかわからない新は、凪の横顔に視線を向ける。
凪はチラチラと新を見ながら、
「色々あったから、聞いてほしい事もあるんじゃないかな……って」
「そりゃ……でも、これ以上甘える訳には……」
話したいし、相談したい。
だが既に受ける必要の無い被害を被っている彼女に、重ねてお願いなど出来ない。
「ゆっくり話せる場所があるの。 それに、間宮くんが喜んでくれるかも知れない所だから」
新が直接何かをした訳ではないが、迷惑をかけた負い目を感じているのがわかるのだろう。 凪の方から積極的に誘ってくれている。
「あ、ありがとう。 じゃあ、相談聞いてくれる?」
好意に甘えると言った新を見て、今度はしっかりと目を合わせた凪は、
「うんっ」
と、柔らかい笑みを作って応えた。
◆
二人がやって来たのは、最寄り駅から二つ離れた駅前にある雑居ビル。
慣れた様子で入って行く凪に続いてエレベーターに乗り目的の部屋に着くと、凪は鍵を取り出してドアを開ける。
「どうぞ」
「う、うん」
あまりこういうビルに来たことがなかった新は、少し戸惑いながら中に入る。
すると―――
「はぁ……これは、すごいね」
部屋には至る所に写真が飾られている。 人、動物、景色、建物等、見た事もない様々な写真達。
「お父さんが仕事で使っている部屋なの」
「そうなんだ、写真家さんなんだね」
部屋を見れば一目瞭然。
感心した様子で新が言うと、
「少し狭いけど、何か描きたくなるような写真もあるかと思って。 部室、行きづらいでしょ?」
「……うん」
学校に安住の地は無い。
凪はそれを痛感した新を元気付けようと案内したようだ。
部屋には作業机と別に小さなテーブルが一つ。 それに向かい合わせて置かれた椅子が二脚あり、新はその奥の椅子に通された。
凪はコップに冷たいお茶を淹れてテーブルに置き、手前の椅子に腰掛ける。
「ありがとう」
「いいえ」
お互い一口お茶を含んで一息つく。
新はきょろきょろと写真を見回し、一時悩みを忘れて目を輝かせている。
「色んな所に行くんだね」
「うん。 今は北海道に行ってるみたい」
「へぇ、綺麗な景色がいっぱいあるんだろうなぁ」
自分も足を運べたらどんな絵を描くだろう。 そう考えると心が弾む。 そんな新を見て、
「良かった。 少し元気になったみたいで」
「あ、ああ。 うん」
凪は嬉しそうな新を見て言ったのだろうが、結果直面している現実に引き戻された。 そして、その相談を切り出そうとするが、先に話し出したのは凪の方だった。
「 “あらた” ……って呼んでたよね。 間宮くんは、連城さんのこと “みやび” って」
「……うん」
「どうして?」
学校で呼ぶ事自体少なかっただろうが、もし呼ぶなら『連城さん』、だった筈だ。 動転していたあの事故の後、確かに新は『みやび』と呼んでいた。
「幼馴染なんだ、みやびとは」
「……そう」
「知ってる奴は何人かいる筈なんだけど、俺昔から存在感薄いから、皆それを忘れちゃってるんだと思う」
それで良かった。 関係性すら知られない方が生活しやすかったから。 なのに、今は望まずに有名人だ。
「お家、近いの?」
「近いどころか、隣だよ」
「………」
思い詰めたように俯く凪。
ある程度想像していた所はあったが、思う以上に二人の距離は近い。
「あんまり、言わないでほしい。 これ以上騒がれたくないから……」
「うん、わかった」
信用している凪にだから言った。 それに、これから相談をするにも話しておいた方がいいと思ったのだろう。
「とにかく、ちょっと頭を整理しなくちゃ」
やっと落ち着いて考えられる、それに相談相手にも恵まれた。
普通はまず同性が相談相手になりそうなものだが、男連中からは良く思われていないのが現状だ。
寧ろ応援してくれるのは女子。 みやびが人気薄の新に好意があると知って、憧れの生徒会長への希望が見えたのだから。
だが、必ずしも凪がその大勢の女子達と同じ気持ちかというと、それはまた違うように感じるが。
「間宮くん、携帯」
新の携帯が震え、凪がそれを伝える。
「あ、うん」
短い振動、どうやらメッセージの着信のようだ。
『部活に行ったんだよね? 私ももうすぐ帰るから、お家に着いたら教えて』
既読にはせずに画面を見つめる新。
その曇った表情を見た凪には、誰からの連絡だったのかは明らかだった。
「連城さん?」
「……うん」
衝撃の告白からみやびとは話せていない。 当然みやびはきちんと時間を取って新と話しをしたいのだろう。
「どうしたら、元に戻れるんだろう……」
呟くように零す新。
その言葉に凪は疑問を覚えたらしく、首を傾げながら話す。
「そうじゃなくて、間宮くんの………気持ちが、決まらないと……」
新は元の平穏な生活を取り戻したい気持ちが先走り、考える順序がちぐはぐになっていた。
『告白』があったからこそ、今この状況になった。 まず考えなければならないのは、その『返事』ではないか、そう凪は言っているのだ。
「そ、そっか、そうだよね」
気付かされ、やっとスタートラインに着いた新は目を瞑り、真剣な表情で腕組みをしている。 凪は両手を膝に置き、時折不安そうに新の様子を伺う。
そして、目を開いた新は、
「難しい……」
「ど、どういう、意味?」
――『難しい』。 それは何を指して言っているのか、思わず前のめりになってしまう凪。
「うん。 今程じゃないけど、昔からみやびはモテたし目立ってたから、そういう風に見た事がなかったっていうか……」
先日部屋に来た時には少し考えたが、すぐに捨てた思考だ。 新にとってみやびは恋心を抱くようになる前に、成長過程で届かない存在になっていたのかも知れない。
「そっか」
どこかほっとした顔でテーブルのコップを見つめる凪。
――だが、
「そりゃ可愛いのはわかってるし、いい奴だとは思うけど……」
幼馴染のみやびを誰かに可愛いというのが照れ臭かったのか、少し頬を赤くする新。
「……そうだよね」
寂しそうに呟く凪。
結局は新もみやびを可愛いと思っている、それは当然の事だとわかっていた。 わかってはいたが……だ。
会話が途切れ、暫し沈黙の時が過ぎる。
「「――っ……」」
静寂の中、再度震える携帯電話。
『ちょっと美術室覗いたけどいなかった、もう学校出たの?』
「ぶ、部室に来るなって……!」
今までみやびが部室になど来ることはなかった。 だが自分を、気持ちを曝け出した連城みやびの行動は今までとは違う。
顔を顰める新は、語気を強めて話し出した。
「気持ちを決めるにも、やっぱり付き合ったらどうなる、断ったらどうなるって考えちゃうよ。 俺達は長い付き合いだし、親同士も仲が良いから。 だから……みやびとちゃんと話し合わないと……!」
単純な関係じゃない。 自分の気持ちも、みやびへの返事も、二人で話し合ってみないと見えて来ない。 一人では無理だ、そう新は思った。
だが、凪が思ったのは――
( ……そんなの、付き合うに決まってる。 隣同士なら、どっちかの部屋で話すんでしょ? あんな可愛い子に二人きりで言い寄られたら……無理だよ、絶対……! )
膝に置いていた手をぎゅっと握り、微かに肩を震わせる。
「それに、どうしても学校の皆がどう思うかも気になる……出来れば俺は、今までの生活に戻りたいし」
「………じゃあ、さ」
下を向いて、新の目を見ずに凪は言葉を紡ぐ。
「間宮くんも気持ちが定まらないなら、返事……待ってもらえば?」
「まぁ、話し合ってまとまらなかったら――」
「付き合ったら男子にやっかまれるし、断ったら女子から睨まれるよ?」
今のままでは二人の話はまとまる。 そういう確信があった凪は新の言葉を遮り、不安を誘うような台詞を言い放つ。
「な、なんで女子に……」
「だって、皆森永くんとチャンスがあるかもって喜んでたから」
「な、なんだよそれ……!」
選択肢はあっても結果は同じじゃないか、そんな理不尽な状況に困惑する新。
「男子には、返事はしてないから付き合ってない。 女子には断った訳じゃないから、まだ連城さんは間宮くんを好きなまま……になる」
「おおっ! なるほど!!」
その手があったか、と目を見開き喜ぶ新だったが、凪は苦しそうな表情をしている。
( ……私は――――最低だ…… )
目をしぼめ、唇を噛む凪。
今の新は気付かないようだが、この案は明らかに上策とは思えない。
何故なら、結局新がみやびと話し合って堕ちてしまったらそれまで、もし引き伸ばすのが成功しても、みやびがずっと新を諦めない保証も無い。 なにより本人も最低だと思う理由は……
――――待たされるみやびの気持ちを蔑ろにしているからだ。
感心した新の明るい声が鼓膜から胸を突き刺す。 それでも嫌だった、時間が無かった。
このまま帰ったらきっと二人は話し合い、恋人になってしまう。 そうとは限らないが、新や他の生徒達と違う立場でみやびの告白に衝撃を受けていた凪には、実は新と同様に心に余裕が無く、焦り、不安で堪らなかった。
こんな事は間違っている。 それに、きっと新だって直に気付く筈だ。
そう思っても、言わずにはいられなかった。
情けない自分に嫌悪感を感じていると、新の携帯が長い着信を伝えて来る。
「はぁ……ちょっとごめん」
そう言って新は立ち上がり、玄関の方へ向かいながら通話を始めた。
「もしもし………いや、まだ帰ってない」
返事の無い新を案じてか、電話を掛けてきたのは当然みやび。
「………うん、帰ったら――ッ!?」
突然声が途切れる。
少し間を置いて、不審がるみやびの声が携帯から聴こえる。
「か、かけ直すから……あとで……」
言葉を言い終わると、新は返事を待たずに通話を終えた。
背筋を伸ばされた新の背中には、感情を抑えられなくなった小さな温もりが貼り付いていた。
後ろから、白くか細い手が前に回されている。
「卑怯で、汚い自分が嫌になる……」
その意味も、この状況も理解出来ないでいる新は、またも混乱の時を迎えようとしているのだった――――
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