2.魔導の円環

 学院の中央に位置する校舎。その広間の一室。そこに新たに学院の生徒となった子達が集まっている。

 ある者は興奮で騒々しく、ある者は不安に黙して、それでも誰もが共通した期待を抱いて。

——それは多くの生徒にとっての待ち遠しい魔導の時間。


 最初の行事入学式が終わって次の日。学院の生徒となって初めての授業は魔法関連である。

 子供達にとっての最優先事項は、魔力の制御。そのために学院に身を置くのだから当然といえる。

 とはいえ、そうでなくとも、少年や少女らが異能により事象を起こしうる事に憧憬を抱くこともまた当然といえよう。

 

「ジン! エーヌ! 魔法だよ! 緊張するなぁ、でも楽しみだ」


さきほどから騒々しくしている淡い金髪の少女。彼女に苦笑まじりに頷くと、ジンは視線を周囲へと向けた。

 前方で陣どるように集まる集団。その中に見覚えのある尊大な少年が視界にはいった。


「あいつは、キール=ワートリコ。この国の貴族生まれのクズ代表」


 不意に始まった隣人の解説。ジンは図らずも吹き出した。

 栗色の髪と、それより少し暗い焦茶色の瞳の少年は、忌々しいものを見るように顔を顰める。


「なんだエーヌ、随分と嫌ってるな?」

「当然! 理由なんて言わなくても分かるだろ?」


 星屑橋でのことを思い出したジンは「確かに」と苦笑混じりに頷く。

 そのまま後方まで順に見回すと、二人の生徒が目を引いた。そのうち一人の瞳の色がジンの記憶に新しい。


「あれは……、えー……名前なんだったかな?」


 瑠璃色の瞳の少年。長い睫毛と美しく整った容姿、短い髪や制服でなければ一見して女子生徒と間違えただろう。

 エーヌが失笑しつつ、ジンに教える。


「ああ、あの時の! 思い出すだけで笑えてくらぁ——確か名前はシオンって呼ばれてたな。聞くところによると、かの英傑ミストラルの家の子らしいぞ」

「……ああ、ミストラルか」


 この国で屈指の名家。国外にもその名が知られる『王の守護者』であるミストラル家。

 西の国でも音に聞くその名に、ジンは「なるほど」と納得した。


「——つまり、あの身分主義な集団はミストラル家とお近づきになりたいわけだ」

「見事に相手にされてなかったけどな。あれは滑稽だった」 

「ね、二人とも! 誰か入ってきたよ! 魔法の先生かな?」


 またもやエーヌが腹を抱え始めたところで、隣の少女から声がかかる。

 興奮気味のリアンが指差す方へと視線を向ければ、目深くフードを被った白いローブの誰かが広間に入ってきたところであった。


 今まで騒々しく談笑していた生徒達の声がぴたりとやみ、白フードを追う視線がそそがれる。

 それらの視線にも意に介さず、その者は広間の前方へと歩を進めた。


「お初にお目にかかります。私は魔法……つまり魔導を担当する、カルム=スゴンドビューと申します」


 魔導へいざなう教師が自らの名を口にすると、その澄んだ声が不思議と夢心地すら感じさせた。

 少しの間だけ、それに酔いしれてしまったジンは我にかえる。

 周囲を見回すと、その場に集まる生徒の大半が魅了にかかったように呆けた顔をしていた。


「な、にを……?」


 この状況に困惑した生徒はジンだけではなかった。同様にすぐに覚醒した生徒たちは、警戒心をあらわに教師に視線を向けている。


 当の教師は、生徒たちを観察するようにさっと視線を走らせると、楽しげに口元をゆるめる。その後、おもむろに指を鳴らすと、残りの生徒らが我にかえった。


「——失礼。生まれついての体質の為か、魔力を振りまいてしまいましたね。気をつけてはいたのですが、なにせ、魔力制御のできない子は抗う力も弱い」


 口では謝罪を口にするものの楽しげに歪む口元には、意図してそうしたのだと、この場にいる者に分かる事であった。


「つまりは、諸君らが何よりも優先して身につけるべきは魔力の制御です。諸君らが知ってのとおり、身に宿る魔力を制御できなければ、いずれそれは我が身を滅ぼす過ぎた力。——力を御せれば自然とその心配もなくなりますし、先ほどのような他の害意を防ぐことも可能となります」


 そうして淡々と言葉を続ける魔導の教師がフードを取り払う。——瞬間、周囲の生徒の多くが小さく息を呑んだ。

 銀の長髪が軽く揺れ動き煌びやかな輝きを放つ。恐ろしく整った顔は人形のように美しい。広間に感嘆の息が漏れた。


「わッ! すごく綺麗な女の人だね」

「——お褒めの言葉は嬉しいのですが、私は女ではありませんよ」

「ふぇッ!?」


 感嘆の声あげるリアンは、ジンの耳元で感想を告げる。すると、ジンが頷くよりも早く、当人から声が返ってきた。

 淡い金髪の少女が、さきほどとは違った驚きの声をあげる。


「ご、ごめんなさい……」

「構いませんよ。よく勘違いされますので」


 慌てて謝罪するリアンに、魔導の教師は薄く微笑をみせて頷く。


「——それでは、まず基礎的なところから始めましょう」


 教師が小手を振るう。それに伴って銀色の髪がふわり舞う。

——瞬間、ジンは手に違和感を感じた。見下ろして確認すると、自らの指には見覚えのない指輪があった。

 装飾もなにも施されていない素朴な指輪。その表面には、飾り気もない無骨な小石が一つ嵌め込まれているのみ。

 

「……なんだこれ?」

「私、いつの間に指輪なんて……」


 両隣から同時にあがる怪訝な声にジンは苦笑した。


「これは『魔導の円環』だよ。はじめの頃は魔力を制御する役割もあるし、魔法を使う時にも媒介として事象に変換する役割がある」

「へぇー、結構地味めなんだな?」

これが私の指輪かぁ。——なんだかワクワクするよね」


 自らの指にあるそれを繁々と眺めるエーヌ。その表情にはやはり怪訝さが残るが、反対に少女の方は幼い顔を煌々と輝かせていた。


 周囲の生徒達の反応も様々であった。特に前の方を陣どる集団からは、この無骨な指輪の見た目からだろう、不満そうな空気が漂っていた。

 そんな不満の中から挙がった一人の生徒の手。自然とそちらに皆の視線が集まる。


「なにか質問でしょうか? キール=ワートリコ君」


 魔導の教師はそれを見て薄く微笑む。

 おそらくは毎度のこと故か、生徒が何を言わんとするかを既に知り得ているのだろう。

——だが、あえて問う。意図しない答えを期待するように銀色の瞳が少年をじっと見据える。

 

「僕の名を知ってもらえて光栄です先生。ではご存じでしょう? ワートリコ家が我が国でどのような地位にあるのかも?」

「ええ。存じていますが?」


 微笑みをもってスゴンドビューは応える。しかしジンには、彼の銀色の瞳が既にがっかりと興醒めしたよう陰った気がした。

 同時に隣にいるエーヌが軽く舌打ちをし、複数の生徒が同様に蛇蝎だかつの如く敵意のある視線を注いでいる。



「——つまり、僕が何を言いたいいのか……もうご理解いただけてますよね?」

「さて何でしょう? ぜひお聞かせいただきたい」

「——なっ!」


 スゴンドビューは微笑んだまま、こてりと小首を傾げた。長い銀髪がそれに合わせゆらりと揺れる。

 相対するキールは耳を赤くして教師を睨みつけたが、すぐに教師を嘲るように口元をつりあげた。


「やれやれ、たかがいち教師だと知り得ないことも多いみたいですね。

——いいですか? 貴方も知っての通り我がワートリコ家は男爵位。にもかかわらず、下民が持つような見窄みすぼらしい指輪を使うなんて滑稽だと思われませんか? 高貴な者がこのような品のない物を身につけるとでも?——早急に身の価値に値する物に取り替えていただきたい!」


「ほう? 貴方は実に興味深いことを仰りますね。——まぁ、いいでしょう。お望み通り身の価値に値する物をご用意しましょう。もちろん貴方だけでなく諸君らひとりひとりに、ですが」


 教師がそう口にすると、主に前方に固まっていた身分主義の貴族の子らは当然とばかりに頷いた。

 スゴンドビューはじっくりと生徒達を見分するように見やると、つぎつぎと移動の指示をだし始める。

 

 生徒のうち半数以上は離され、分けられた生徒達は不思議そうにお互いを見あう。

 いくつかの班に分けらた生徒達の中からさらに、ジンを含む幾人かが教師に手招かれ、彼らは首を傾げつつも教師の側へと歩みよった。


 そうして分けられた生徒達が困惑顔を向けるなかで、スゴンドビューは微笑を崩さずに言う。


「では諸君らの要望通り、身の価値に等しいものをご用意してもらいましょう————何でしょうか? キール=ワートリコ君」


 またもや挙げられた抗議の手に、教師や周囲の視線が集中する。が、それをした本人は顔に「不満」と書いてある通りの事を口にした。


「すみません、先生。ですが、僕の勘違いでしょうか? 不相応な者達がこの班にいるように思うのですが?」


 敵意を向けられた視線。それを向けられたのはジンとリアンだ。

 ここより離れた班にいるキールを支持する取巻き達は賛同の声をあげ、エーヌをはじめとした平民出自の生徒達は芋虫を噛み潰した顔でキールを睨みつけた。

 ジンは呆れ混じりに溜息を呑みこむと、少年を黙って見返した。


「ほう? 不相応とは?」


 首を傾げ聞き返す魔導の教師に、キールは当然のように言葉を続ける。


「お気づきになりませんかね? どう見てもこの班の中に異物が混じり込んでることに! 余所者や下民はこの場に相応しくありません。そもそも、こいつらが僕と同価値の指輪を手にするなんてありえませんよね? 不相応ではありませんか?」


 キールは下劣なモノを見るような目を二人から逸らすと、教師に向けて同意を期待するように視線を向けた。

 同時にジンの隣に立つリアンから奥歯を強く噛み締める音が聞こえた。


 もともと侵略に侵略を繰り返し、他国を支配して大国へと成り上がったのが覇王国クルールである。

 戦に敗北し支配された国と、勝利し支配した国があるのだから、貴族間でもこういった力の上下関係が存在するのは当然。


 それは領地間の貴族同士でも同様であり、いわずとも貴族と平民の間にも当然の身分差がある。

 ゆえに、学院に在籍する貴族の子にもこういった身分主義者が多くいる。


 だが、ここではアルトベルト学院である。出自や身分以上に重要な価値がある。それは学院に在籍する以上、誰もが知り得る常識であるといって良い。


 だが、それを咀嚼そしゃくも承諾も了承も納得すらも、ましてや分別もしない子は多い。


 その話は、アルトベルト学院に入学する以前の遥か前からジンは知っていた。

——とはいえ、さすがに不快感を禁じ得ないジンは顔を顰めた。

 一方の魔導の教師はあっさりと頷いてみせた。

 

「なるほど。全てではありませんが、貴方が言うことも一理あるのかもしれませんね」

「……は?」

 

 思いもしなかった教師の返答。ジンとリアンだけではない、エーヌや他の平民の生徒も唖然となった。

 ジンは聞き間違いなのかと教師を見上げたが、スゴンドビューはただ微笑むだけであり、そこから意図を読み取ることはできなかった。

 


***


——無骨な指輪に自身の魔力を注ぎ込む。

——自分自身をそこに投影するかのごとく丁寧に。

——それは自身であり、自身はそれである。

——彼を自身で満たし、自信を彼で満たす。


 広間から生徒達の声が上がり、それと同じくらい、さまざまな息が漏れる。

 誰もが自身の指にあるそれを何度も眺めては、不思議そうに角度を変えては再度それを眺め、同じ班の者と指輪を見比べていた。

 なかには、その結果に落胆し呆然と固まる子もいる。 


「さきほど申し上げたとおり『魔導の円環』は、己の魔力をもって完成する自身の魔力そのものであり、唯一無二の自身の力の結晶です。それは自らの成長に合わせて姿を変えます。——即ち、我が身の価値に値するものですね」


 教師言わく、指輪は最高位の錬金士により作りだされた土台であり、その時点では魔導具としての役目を果たさない。

 指輪に自身の魔力を注ぎこみ同調をさせることによって、初めて「魔導の円環」として完成する。


 魔力を注ぎこみ自身の魔力で染め上げた指輪は、自身そのものと呼んでも違いない。が、そのことだけが生徒達の心を虜にしたわけではない。


「見て見てジン! わたしの指輪!」


 先にあった揉め事など忘れたように、少女の幼い顔は興奮していた。ジンは苦笑しつつ少女の掲げる指輪へと視線をむける。


「へぇ、水晶みたいで綺麗だな」


 掲げた指輪には色のない透明の石がついていた。

 その石は魔力を通す前と比較する必要もないほど美しく透き通っており、それは少女の魂そのもののように思えた。


「でしょう? スゴンドビュー先生が言うには、無色透明なのは珍しいんだって。ふへへ。なんだか嬉しいな」

「確かにあまり見ないよな。石も結構大きいし、リアンは魔力が多いんだろうな」


 少女は小柄なうえ幼い容姿のためか、その小さな指にある石がいささか大きすぎるようにも見える。

 それは即ち、保有する魔力総量が他者より高いこと意味する。


「それで? ジンはどうなったの?」

「ああ、こんな感じになった」

「わ! ジンの指輪の石、真っ黒だ!?」


 ジンがリアンに見えるように小手をかざすと、少女は興味深くそれを眺め始める。その好奇心の張り付いた表情が、とても幼い子供のように見えてジンは苦笑した。

 その純粋で無垢そうな反応を見ていると、ついつい驚かせたくなってくる。


「リアン、面白いものをみせてあげるよ」

「ん? ————ぅんんんん!?」


 ジンの言葉に首を傾げ、再び指輪に視線を向けたリアンが石の異変に目を凝らす。そして、その目はすぐに驚きで見開かれた。

 リアンが少し大袈裟ではないかと思うような声をあげる。


「——え? ぇぇぇえええええ!? すごい! ジン、これどうやったの?」


 ジンの指にある指輪の石が、ゆっくりとその姿を変えてゆく。

——それは闇を閉じ込めたような黒色から、透き通った鮮やかな紅色へと。


「俺も変わった魔力性質らしくてさ。自分の意志で魔力の性質を変化させることができるんだ。……とはいえ、魔力量に関してはリアンには劣るけど」


 リアンがあげた驚きの声を聞きつけて、広間にいる生徒の大半が何事かと首を伸ばしている。なかには、指輪の変化を目の当たりにして歩み寄ってくる者もいた。

 特に、リアンをはじめとする女生徒達は、ジンの指輪を眺めながら感嘆の息をもらしていた。


 指輪に自身の魔力を注ぎ込んだことで共通して見た目が良くなったが、指輪に埋め込まれた石に関しては生徒により差があった。大半は艶のある鈍色の石になり、生徒によってはそれよりも光沢のあるものであった。


 これは単純に魔力の性質、量、純度によっても違ってくるし、もちろん己の成長次第で石は宝石のように輝く。

 例外もあるが、ジンやリアンの他にも、同班の生徒の指輪には他が羨む変化が見受けられた。


 広間の生徒が各々の指輪に魅入り、騒つくその一方で、例外となった身分主義の少年は立ち尽くす。握りしめた拳は小刻みに震え、そこには光沢のある鉄色の石のついた指輪がある。


「——ふ……ざけるなよ! ……なにかの間違いだ……不正に決まってる」


 怒りに打ち震えるキール。そこから少し離れた場所から眺めていたスゴンドビューは、冷笑を浮かべ人知れず静かに呟いた。


「おめでとうございます。あなたの渇望かつぼう通り、ものが手にはいりましたね」



****



「なぁ、やっぱりガ……頃から……してたのか?」


 ジンは口の中にあったパンを咽下えんげすると、焦茶色の瞳を見返した。

 昼食の時間になると食堂がごったがえす。全学年の生徒が一気に昼食をとるため食堂内はとても騒々しい。

 目の前で食事を取る友人の声が、周囲の潮騒のような音の中にかき消されてしまったので、彼が何を訊ねようとしたのかジンには分からなかった。


「えっと……すまないエーヌ。今なんって言った?」 


 それを理解したエーヌは一つ頷くと、身を乗り出して再び言葉を口にした。


「ガキの頃から教わってたのか? その、魔力の扱いなんかを」


 次は聞き逃さないようにと耳を寄せていたジンは「ああ」と頷いた。


「エーヌの言う通り、ある程度の基礎は教わってた。うちの家が治めてる領地は国の中でも魔獣が頻繁にでる場所だったからな。幼い頃からその討伐にも連れてかれてたし……」

「魔獣が?」


 焦茶色の目を丸くして、エーヌが小首を傾げる。

 その顔に書いてあるのは、驚きと疑問である。ジンは苦笑して説明する。


「魔獣って魔力がなくても、なんとか討伐できるのもいれば、魔力がない太刀打ち出来ないものもいるんだ。だから俺は幼い頃から訓練は受けてた。

——て言ってもある程度地位のある家だと、学院入学前から教師を雇ってるか、俺みたいに親が教えるかして基礎的な制御は身につけてたりするんだけどな」

「なるほど」


 ちぎったパンとチーズを食べながら、ジンは友人の様子をちらりと覗き見た。

 エーヌは自身の指輪に視線を落とし、そこに埋め込まれている灰色の石を軽く指で撫でている。


「俺が言っても、その……いい気持ちはしないかもなんだけど——……焦ることはないと思うぞ?」


 すでに一定の魔力の制御ができる自分が口にするのも、とは思ったが、ジンはそれを言葉にした。

 実際、この友人は焦りを抱える必要などないのだ。まだ本格的に魔法の授業が始まったわけでもなく、それに必要なものを手に入れただけにすぎない。

 これから成長していくのだから、じっくり伸ばしていけばいい。


「まぁーな。……でも、焦っちまうんだから仕方ないだろ? ジンはともかく、こいつには驚いたよ」


 エーヌは溜息をつくと、隣の少女を見やった。

 淡い金髪の少女は実に幸せそうに食事の手をすすめている。彼女は何食わぬ顔で、ジャムをバゲットに塗りたくっていたが、その手を止めてエーヌを見た。


「ん? なんだよ?」


 エーヌが眉を寄せると、当の少女はスッと手の甲を掲げ、得意げな笑みを浮かべる。そこには無色透明の大きな石が存在感を放っている。

 天井の窓から射した陽光が、彼女の指輪に射して煌々と輝く。


 あからさまに、わざと見せつけたのだろう。リアンの挑発にエーヌは目を三角にした。


「……こん野郎にゃろめ」


 少女の額を弾こうとするエーヌと身を守ろうとするリアンの攻防戦が始まった。

 笑いながそれを観戦していたジンであったが、「そういえば」と、今更なことが気になって声をかけた。


「二人はこの学院にくる前からの知り合いなのか? こうやって見てると付き合いが長いようにも見えるから」

「——あうっ!」「はは! 次はこれより強いの弾いてやるからな!」


 ジンが声をかけたと同時に、眼前の小さな攻防戦に決着がついた。

 ぱちんと心地よい音が鳴ると同時に、額を弾かれた少女が痛みに呻きうずくまる。それを見下ろしながらエーヌはケラケラと笑うと、ジンの方へ体を向き直した。


「ああ、リアンこいつとは、二年前からの付き合いなんだ。——と言うか今更だなジン」

 

 呆れた顔で指摘するエーヌに対し、もっともな指摘をうけたジンとしては、それを苦笑で返すほかない。

 

「私とエーヌはね、ここにくる前は同じ孤児院にいたんだ」


 リアンがエーヌの説明に補足をつける。額をさすっている素振りからするに、エーヌに弾かれた額がうずくのだろう。

 そんな少女が付け足した話に、ジンは小首を傾げた。


「孤児院というのは……やはり戦争で?」

「まぁ、そういう境遇の子は多かったよな。敗戦した国から孤児を集めて連れてきてさ。——俺の場合も戦争って言えばそうだが、家族全員を燃やされた。……くそっ! 思い出すだけで胸くそ悪くなってくる。……ちなみに俺は五年ほど前に孤児になった」


 エーヌはそう言うと、一気に水を呷る。

 話しながら昔を思い出したのだろう。そのまま苦い顔になるとエーヌは黙ってしまった。

 悪いことを聞いたな、とジンは後悔した。


 クルールという国が大国となるにあたって歩んできた道は覇道である。

 誰もが知る大陸東の侵略国家が、他の国を侵略し支配していく道中では多くの民が犠牲を強いられる。


 家、友人、家族……今まで当たり前にあった生活が奪われていくなか、戦争などで居場所を失った子供達は、支配国側である覇王国の領地内に引き取られていることはジンも噂で耳にした事があった

「あ、私はね——」


 このまま話を打ち切り別の話題にしようかとリアンへ視線を向けたが、当の少女はそれを察してはくれなかったようだ。

 ジンは、話題の変更を密かに諦めて話の続きに耳を傾けた。


「——父さんが病気で死んで独りになっちゃって。でも父さんが死ぬ間際に知人に頼んでくれて、その人にこの国に連れてきてもらったの。私が魔力持ちだったのを父さんもその人も知ってたんだと思う。その後は学院に入学するまでの二年間を孤児院で生活してたんだ」

「…………二人には辛い話をだったな」


 少女の話が終わると、ジンは「すまない」と頭を下げた。

 エーヌは「気にすんな」と残った昼食を口に放り込み、リアンも追って頷いた。


「そういや、その知人ってのはその後どうしたんだ? 一応は親父さんの知り合いだったんだろう? 二年くらい面倒見てはくれなかったんか?」


 皿を空にしたエーヌが、思い出したように少女へ問うた。

 ジンもそれは気になっていたことだったので、再び少女へと耳を傾ける。


「うーん……。確か、父さんがそれも含めて頼もうとしたらしいけど、何か事情があるみたいで断られたみたい。でも、仕方ないよ。そこまで迷惑かけられないしさ。——それでも父さんが死んだ後、旅の途中に色々と面倒は見てくれたよ! 魔力制御も少し教わったし。無愛想だったけど、とても面倒見のいい人だったなぁ」


 ジンは、それでストンと腑に落ちた。おそらくエーヌも同じことを思っていただろう。半目で少女を見下ろしていた。

 

「ああ、それでか。……リアンの魔導の輪が他の生徒より完成されてる理由」

「ずりーよなぁ。孤児院じゃ二年も一緒だったんだから、せめて俺に教えてくれよな」


 がくりと肩を落とすエーヌに少女は慌てて弁解をした。


「えっと、ごめんね……エーヌ? 訓練を受けたことを、その人に口止めされてて……。あとエーヌに魔力があるって知ったの最近だったし……」

「あー……。まぁ、そう気を落とすなよエーヌ。仮に知ってたとしても、結果的には良かったのだと思うぞ?」

「あん? なんでだよ?」


 魔力制御というのは実は繊細である。

 子供の成長と共に肉体に保有する魔力は多くなってゆく。それは幼い頃までは普段の垂れ流しの状態で支障はないが、およそ十代頃になると、とたんに困難になってくる。


 魔力量や純度によって差はあるが、平均では十二歳から十三歳頃から魔力制御の訓練を開始し、そして、多くの子が学院でそれを習うことになる。

 学院では「魔導の輪」を使用して訓練してゆくことになるが、それより以前に魔力制御を学ぶものはその指輪の補助なしに基本訓練をすることになる。


 しかし、それは完璧に管理し得る教える者がいてこそできることであり、その管理者の補助なしで行うことの危険さは……

 

 焦茶色の瞳がジンを力無く見据える。ジンはその瞳を見返して知る限りのことを伝えた。


「もし、制御に失敗したら……良くて重傷、悪ければ……」

「…………悪ければ?」

 

 緊張の混じった顔がジンを見やる。


「ほぼ即死。魔力が膨れて内側から弾けた者も過去にいたと聞く」

「……まじかよ……」


 予想外のことに唖然とするエーヌを見てジンは微苦笑した。


「とにかく、魔力制御は慣れるまでは危険もあるから、教師の監視下でやったほうがいい。……焦る気持ちはあると思うが、なるべく俺も協力するから」


 ジンは食事を終えて立ち上がると、エーヌの肩へ軽く手を置く。

 黒髪の友人の配慮にエーヌは頷いて応えると、徐に少女のほうを振り向いた。


「すぐ追いついて……いや、追い抜いてやるからな!」


 向けられた挑戦的なそれに、少女は腕を組み翠緑玉のような瞳を細めて不敵に笑う。


「ふふ、どうかな? ま、遥か高みで見物して——ぁうっ!」


 言い終わる前に、少女は再び額を抑えることとなった。

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