1.出逢い

  シニストラ大陸にあるクルールは、大陸で強大な力をもつ大国の一つとして数えられる。

 かつては大陸に数ある国の一つでしかなかったが、王が代替わりした頃を境に、敵国を次々と降しながら自国の力を大きくさせていった。


 時は流れ現在に至るまで、シニストラ大陸の東部全域——およそ三十四もの国を次々と支配下に加え、クルールは東方を支配する大国へと成り上がる。

 これを機に王は自らを覇王と呼称し、国の総称を覇王国クルールとした。


 そんな国内には、旧クルール建国時より存在する永い歴史をもつ学舎がある。

 かつての旧魔導国から続く歴史ある学舎の名はアルトベルト学院。


 旧魔導国アルトベルトの地にあるその学院は、大陸に名を轟かせた英傑、賢人など数多くを輩出してきた名門である。


 そこでは魔力を身に宿している者であれば、王族、貴族、平民、と身分に隔てなく在籍することが許されている。

 魔力を宿して生まれた者は貴重であり、魔力持ちは軍事や、国の発展にも欠かせない存在だからである。

 同時に魔力持ちは、それを制御する術を身につけずに生き続けることは叶わない。


「身に余る力は災いをもたらす」とはこれで、自らの力を御せずに生き続けることは困難であり、体内の魔力に蝕まれて死に至るためだ。


 また、学院内では生まれ持った身分に価値はない。価値を示すのはただ一つ、『力』——それがここでの唯一の『価値』であり『権力』である。


 この学院で力を手にすれば、例えどんな出自の者でさえ、富と名声を手にする事が叶いもすれば、権力を欲する者には、それを手にする事も叶わぬ願いではない。


 長い冬が過ぎ去った芽吹く発芽の頃。今期も新たな子達が、この学院の門へと足を踏み入れる――……



***


 アルトベルト学院内、西の塔へと続く道をフラフラと歩く。徹夜明けの陽光に目を細めながら、肩ほどまで伸びた赤毛に無精髭の男、ワイズ=アルジャンは疲労を感じさせる大きな溜息をはいた。


 この時期になると男は寝る暇も惜しいほどに仕事に追われる。

 新入生が入学してくる時期が特に忙しいのは毎年のことではあるが、悩ましきは人手不足だ。

——ふと、気づけば仮眠ばかり。この五日間ほどまともに眠れてはいない。



「……クソっ……そろそろ体がもたんな」


 ずしりと、重くのしかかる双眸の瞼。たまらず大きな欠伸をした時、不意に背後から袖を引かれた。


「あの……さっきからずっと呼んでるのですが」


 ワイズが振り向くと、そこに少年が立っていた。


「入学式がある塔はここですか?」


 制服に描かれる学院の紋章の色を見ずともわかる。今期の新入生だろう。

 顔にかかる中途半端な長さの赤毛を、男は鬱陶しそうに掻き上げる。


「……ああ、ここではないぞ。逆側にある東の塔の一階にある広間だ。ほら、ここから見えるだろう?」


 ワイズが校舎を挟んだ反対側に聳える塔を指差し示すと、それを見た少年が呆然とそれを眺める。


「ああ、そっちだったか。ありがとうございます。

——ところで、先生はあちらに向かわれないのですか?」

「……俺はただの管理人だからな。教師どもなら既に西で集まっているだろ」


 そう言うと、管理人の男は眠そうに欠伸をした。


「失礼しました。――あ、名乗り遅れました。ジン=シュバルツです。イルミナより参りました」

「ああ、……天空皇国か」


 大陸東方を支配する覇王国クルールの国土とは逆に、大陸西方に位置する五大国が一つ、天空皇国イルミナ。

 クルールだけでなく他の大国にも、子供らが魔力の制御を身につけるための場は当然あるが、そのうち幾つかの大国からは国交の一環としてこの国クルールに入学してくる子供がいる。

 

 ワイズは名乗ることはしなかった。素っ気なく返事して、頷いただけ。少年と談笑する時間すら今は惜しいのだ。

 現時点で頭にあるのは、残った仕事をさっさと終わらせて酒を飲み、ゆっくり眠りにつくこと。

……とは言え相手は新入生。そろそろ急がせるべき。


「そろそろ行け。式も始まる頃合いだ」


 それで話を打ち切り、男は踵を返す。

少年はその背に向かって感謝を告げると、東の塔の方向へ去っていった。


「……漆黒の髪と灰色の瞳」

 

 ふと立ち止まり、ワイズは背後を振り返る。——少年の容姿が妙に頭に残る。

……が、すぐにそれを意識の外へと追い出した。

 眠気に抗いながらも残った仕事を終わらせるために、重い体を引きずるように歩いた。



***


 東の塔の手前にある巨大な橋は、学院の地に初めて足を踏み入れた者にとって、その歩みを止めてでも眺める価値のあるものだ。


地面に散りじりに埋まった屑魔石の欠片が、この地の魔素の流れに反応しているかのごとく鮮やかに光り輝く。

 その情景は実に美しく、夜空の星々の一部が地で輝くようである事から、通称『星屑橋』と呼ばれている。


 毎年、入学へ向かう新入生たちの視線をそれらが当然の如く釘付けにするため、東の塔の前は渋滞してしまう。

 ジンが星屑橋に着いた頃には、殆どの生徒が橋を越えて塔内へと移動を終えた後で、幾人かが橋に残っている程度であった。


 ジンも塔に向かって急ぎ足を早めるのだが、その橋の中間を超えた辺りで急ぐ足を緩めた。

 彼の視線の先では、何か揉め事が起きている。たったそれだけのことではあるが、その構図がどうにも気になる。


 向い側にて、道を通さんと塞ぐ集団。そして、それに対する二人の男女。そのうち少年の方は地面にしゃがみ込んでおり、それを庇うように少女が前に立ち抗議している。


 どう見ても、行く手を阻む側が事の原因のようには思えるが……

 ジンは歩調を緩めながらも、橋の上を歩いた。

 近づくにつれて会話が耳に届き始める——


「――いい加減にしてよ!」


 淡い金色の髪の少女が、道を塞ぐ者達に向かって声を張りあげ、その手は強く握りしめられていた。

 対して道を塞ぐ側は、嘲笑をもって少女を見ているだけだ。


「私達があなた達に何かした? 彼に謝って! そこを通して!」

「 分かんないかなぁー! お前らみたいな下民がさぁ、貴族である我々と同じ場にいることが罪深いという事にさぁッ!」

「そ……そんなのおかしい! ここでは身分なんて関係ないって聞―——―きゃッ!?」


 握りしめた小さな拳が震え、少女は尚も訴えかける。だが、リーダー格の少年はそんな訴えを嘲笑い《あざわらい》、少女を激しく突き飛ばした。


「——お前らよくもッ!」


 少女に対しての乱暴を目にした傍の少年が憤慨し、相手にとびかかった。


「エーヌ待っ……痛っ!」


 すぐさま立ち上がり、少年を制止しようとした少女であったが、突き飛ばされた拍子に足を痛めたのかその場から動けなかった。


「はは! おいおい、僕は肩に手を置こうとしただけなのにさぁー。ひ弱な下民の子には力が強すぎたようだぞ」


 少女を突き飛ばした者が満足そうに笑い、それに倣うように周囲の面々も笑い出す。

 さきほど相手に飛びかかった少年は、二人がかりで地面に押さえつけられていた。


——くだらない。


 ジンは小さく溜息をつく。そうして、その場へと歩みよる。流石に放っておけるわけがない。


「その辺で、やめたらどうだ?」


 突然、少女を庇うように間に割って入ってきたジンを、おそらくリーダーである少年が眉を顰めて見た。


「は? なんだお前?」

 

 背後にいる少女からも、小さく「……え?」と驚きに声が漏れでる。

 ジンは、わざとらしく集団の面々を見ると細く笑った。


「さっきから聞いてれば貴族がどうとか口にはしてるが、たった二人に対して集団ってのは……貴族として恥ずべきことじゃないのか?」

「——っ。お前……男爵家の跡取りである僕に歯向かうのか?」


 痛いところを突くような指摘に、リーダーの少年は一瞬顔を歪ませたが、すぐにジンへ向かって微笑んだ。忌々しい者への牽制のつもりなのだろう。

 だが、当のジンはそれを鼻で笑って一蹴した。


「爵位なんか関係ないね。俺は外の国から来たからな。

そもそも、この学院で身分を振り翳すことに意味でもあるのか? もしお家柄を自慢したいだけなら別の学院をお薦めするが? どうせ、最低限の魔力制御は学んでいたんだろう?」

「……いい度胸してるじゃないか余所者が。よほど死にたいと見える。——お望み通り罰を与えてやるよ!」

「き、キール君!? さすがにそれは……」「も、もうすぐ入学式もあるし……」


 リーダーの少年が装飾の施された剣を持ち出すと、周囲の者達が焦ったように止めようとするが、キールは聞く耳を持たない。

 その様子を面白がるように見つつ、ジンも懐へと手を伸ばす。


「うるさいッ! いま奴をズタズタにしなければ僕の気が済まなっ……! ……ぅ」


 不意に、癇癪を起こしていたキールの動きが止まる。その視線は目の前の憎き相手ではなく、別の方へと向いていた。

 周囲がざわつき、その場に緊張した空気が漂う。


「?」


 それを不思議に思い、ジンは彼らの視線の先へと顔を向けた。すると、ちょうど後方からきた二人の生徒が傍を通り過ぎるところであった。

 すれ違う時に、そのうち一人の瑠璃色の瞳がジンへと向けられるが、それはほんの一瞬。

 ジンの前を過ぎ去った後、瑠璃色の瞳の生徒はピタリと歩みを止めた。

 ちょうど、集団のリーダーであるキールの前。周囲の生徒たちが息を呑み、期待の眼差しがその場に集中する。

 自らの取巻き達の視線を浴びるなか、キールの口もとがいやらしく歪む。

 


「ぉ……おお! シオンじゃないか! ここで君と会えるなんて、僕はとても運がいい。——僕もこれから入学式に向かうところだったんだけど、躾のなってない痴れ者がいてさ」

「……」


 当人と向かい合い、ペラペラと饒舌に語りかけるキール。対して、瑠璃色の瞳の少年の傍に立つ少女は、いかにも嫌そうに顔を顰めそれを見ていた。

 尚もキールは喋り続ける。


「——そうだ! この無礼な下民どもに罰をくれてやったら、僕と共に塔へ……」

「……邪魔」


——が、放たれた一言にて、勢いよく喋り続けるキールが凍りつく。

 ぼそりと小さな声であったのだが、妙に場に通る冷たい声であった。


 唖然とした顔で瑠璃色の少年とキールを交互に見つめる取巻きと、口をぱくぱくさるリーダーの少年。


 始終を見ていたジンはたまらず吹き出した。彼の背後からも、座り込んだままの少女が必死に笑いを堪えている気配を感じる。

 そんな周囲の事など興味ないというように、再びシオンが口を開く。


「……邪魔」


 冷たく言い放たれた一言に、キールが石のように固まりつき、取巻き達は慌てて道をあける。

 道があくとシオンが歩き出し、傍にいた少女もそれを追うように動き始めた。


 その後、先の出来事がかなり効いたのかキールは力なく項垂れ、取巻き達はリーダーを支えるようにして去っていった。

 


  ****


「大丈夫か?」

「……おかげさまでね」

 地面に押さえ込まれていた少年が制服の汚れを払う。その視線は、今なお集団が去った方を睨みつけている。

 ジンは座り込んだままの少女へと歩み寄った。


「立てそうか? 俺達もそろそろ急がないと」

「あ、うん」


 声をかけられた少女の淡い金色の髪が揺れ動く。少女は立ちあがろうとしたが、途中で動きを止めた。

 ジンともう一人の少年を見上げて白い歯を見せる。


「あ、私いいや。ここで少し休んでからあと追うよ。だからさ、二人は先に行っていいよ。——あと、助けてくれてありがとう」


 秘め事のように己の状況を誤魔化そうとする少女。ジンは苦笑すると、膝を折り少女の顔の高さまで目線を落とした。

 少女は不思議そうに緑玉色の瞳を揺らした。


「隠そうとしなくていい。足でも挫いたのか?」

「……うん。さっき……突き飛ばされた時にね。あ、だから先に行っていいよ! 迷惑かけちゃうから——あイタッ!?」


 罰が悪そうに苦笑する少女。その額をジンが指で弾いた。

 弾かれた額を抑えて、少女は目を丸くする。


「持ちつ持たれつつ、だ。——これから、迷惑掛け合うことになるんだから。ほら、乗れよ」

「う、うん。……ありがと」


 そう言って体を反転させた少年の背に、少女は僅かに戸惑いながらも身を預けた。

 

「お前は? 歩けるか?」


 少女を背に乗せて立ち上がると、ジンはもう一人へと声をかける。

 少年は少し顔を顰めて、黒髪の少年をめつけた。 


「あのさ、『お前』って呼ぶなよ。ちゃんとエーヌって名があんだからよ。——あと、こっちは問題ない」

「そ、そうか。すまないエーヌ。……俺はジン。ジン=シュヴァルツだ」

「——私はリアンだよ。よろしくね!」


 耳の後ろからヒョイっと顔を出して、少女が白い歯を見せる。


「——っ!」


 不意に間近に顔を寄せられたことに内心は驚きはしたが、幼さの残る少女の笑顔につられてジンの顔も綻んだ。


「ああ、二人ともよろしくな」


 西の塔のある方から低い鐘の音が鳴り響く。それは入学式が始まる合図。

 鮮やかに光輝く星屑に見惚れる時間もないまま、新たに出会った彼らは慌ただしく星屑橋を渡り塔へ向かうのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る