第5話 ふぞろいな二人

 枯葉を踏み締める音が鬱蒼と繁る森に響く。

 痕跡は森に踏み入れた途端あっという間になくなったが、歩き続ければ会えるだろうという確信に似た思いを抱き、奥へ奥へ進む。帰り道なんて考える余裕もなく、ただ我武者羅に。 

 やがて川沿いの開けた場所についた。広場のようなその場所は木々が生えておらず、ぽっかりと森に穴があいているようであった。

 こんなところがあったんだとあたりを窺おうとした視線の先に、誰かが石の上に腰掛けているのが見えた。流れるような銀髪が日差しを受け、暗い森を煌々と照らす。手にした銀糸を胸元でぎゅっと握り、ばくばくする心臓を抑え呼吸を落ち着けた。 


「ハク……」


 呼びかけると、彼ははっとした顔をして立ち上がりこちらを向いた。

 

「ヨウ……なのか?」

「うん、久しぶり」


 記憶に残る面影はおかっぱ頭なのに、今や髪は長く腰までのび、ひとくくりにまとめられていた。

 丸みのないシャープな顔立ち。

 初めて聞く低い声。

 見上げなければ重ならない視線。

 一つ一つが離れていた時間を否応にも物語っていた。


「僕の方が身長高かったのに、すっかり越されちゃったね」

「本当にヨウなのか? 幻覚や妄想じゃなくって?」

「その言い草はひどいな。僕は一目で分かったのに」

「けれど10年だ。ここまで来るのにそれだけかかった。なのに……どうして……あの日のままなんだ……?」



 ――吸血鬼に3回血を吸われると吸血鬼になる


 事実はそうじゃない。


 どれだけ血を吸われても人が吸血鬼になることはない。

 ただ、吸われ続ける限り、若く健康な状態を保てる。


 なんでも吸血鬼が血を吸うときに唾液が人の体内に送りこまれると、その中に含まれる何かが、人の成長を緩やかにするそうだ。

 でも不老不死ではなく、老いるスピードが非常にゆっくりになるだけだ。けれど、端からはそう見えるから、吸血鬼になってしまったと勘違いされていた。


 「好みの血に出会えれば、なるべく長く楽しめるよう保存したくなるだう。そしてそれこそが、人が吸血鬼に全面戦争を仕掛けてきた理由なのだよ」


 長老がぽつりと言っていたことがあった。

 

「我々とて種の生存を脅かされれば本気になるさ。彼らはそこを見誤った。それだけのことだ」

 

 そう語る彼はどこまでも穏やかな顔であった。



「吸血鬼に血を吸われ続けるとそうなるんだって。誤解しないように言っておくと、別に吸血鬼になった訳じゃないし成長はしているよ。身長だって36mm伸びている。ただ普通の人よりスピードがゆっくりってなだけ」


「俺のせいなんだ……あの日、俺が無理やりヨウを連れ出していなかったらこんなことになっていなかった。ずっと探し続けていた。手がかりを掴んでこの結界内にいるのが分かって迎えにきたんだ。ここから逃げよう。大丈夫だ、治療法だって見つかる。あっちにはその手の術式に強い奴がいるし、何があろうと俺が守るから」 

「ごめんね、でも一緒には行けない」

「どうして?」

「叶えたい夢ができたんだ。だからここにいなきゃいけない」

「洗脳だ。そうやって思いこまされているだけなんだ。逃げないよう呪縛がかけられているんだよ」

「違うよ、これは僕の意思だ。それにハクが思っているほど吸血鬼は悪い存在じゃないよ」

「人類を滅亡に追いやった奴らがか!?」


 沈黙が生まれた。絡み合う視線が痛い。

 再会を待ち望んでいた。でもこうなるだろうとも分かっていた。


 吸血鬼にさらわれた幼なじみを助け出す。

 その思いを秘め、ハクはどんなことでも耐えてきていたのだろう。

 だからこそ彼にとって吸血鬼という存在は


 ――倒すべき絶対悪でなくてはならない

 


 いつだったか人と吸血鬼の間に何があったのか詳しく教えてほしいと長老に頼んだ時のことだった。


「私が語ったら、お前はそれを全て真実と思ってしまうからだめだよ。私とて、全部を見ていた訳ではないし、あくまで勝者側の視点にすぎないからね。それじゃあアンフェアだろう?」


 と言われ、じゃあ人側の残した資料を欲しいと頼んだら、秘密の地下書庫に連れて行ってくれた。

 心して読むように、と渡されたそれの中身はそりゃあひどかった。

 怨嗟の塊。

 過去への賞賛と吸血鬼への怨念じみた激情が永遠とつづられていた。


「もっと客観的な視点で述べられたものもあったのだけれど、それは彼らの方で握りつぶしてしまったのさ。塵になる前に回収しようと思ったが間に合わなかったよ。残念だ」

 

 やれやれと長老がため息をつく傍ら、人類こそが絶対正義と主張するそれに驚くしかなかった。

 気持ち悪い。

 そう思ってしまうのは、僕の心が吸血鬼よりだからなのだろう。

 倒すべき邪悪な存在と教わっていたのに、ここへ来てみたら実情はまるで違い彼らは穏やかな隣人であった。そんな彼らに寄り添っていたかった。

 けれどそれはハクと敵対することを意味していた。

 

 こちら側とあちら側。

 あんなに一緒だったのに、すべての始まりのあの日に引かれた線が明確に2人を隔てていた。


『ホワイト! 坑結界術式があと十数秒ともたねぇ! 戻れ!』


 どこからか割り込んだ声が沈黙をやぶった。

 はっとした顔をしてハクは腰にあった機械を手に取った。


「ヨウ、時間がないんだ。この手をとって。そうじゃなきゃ力づくでも……!」


「本人の了承を得ない転移術式は高確率で不幸な結果になるよ。その場に足だけ残ったりとかね」


 わざと突き放すように言った言葉に、ハクの顔が歪む。

 きりりと心が痛む一方でそんな顔もするんだ、とも思った。

  

 ハクの周囲が光に包まれボコボコと穴が空いた。


「きっと助けだすから……!」


 ドオンという衝撃音とともに眩い光があたりを包む、

 思わず目をとじ、開けたときにはハクは消え去っていた。

 畑のように荒らされたその場所はただただ重い空気だけがあたりを包んでいた。

  

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