(8)
「父は小国の王で、母はその何番目かの妃であった」
「妻がたくさんいたんですか?」
「お前が暮らしている村からずっと西の、遠い遠い国の話だ」
故郷の村とこの神都しか知らぬマウヤには、遠い西国のことと言われても、想像がつかない。
マウヤの村は一夫一妻制である。たしかに庄屋のような裕福な家には「お
マウヤはこのとき初めて、一夫多妻というものを知ったのであった。
「その頃はまだ父に子はあれど、すべて娘であった。娘は王にはなれぬしきたりであったから、父は男児を欲した。無論、それは妃たちも同様。ここで男児を産めばその子はゆくゆくは王となり、そして自らは王母となれる。妃たちはみな競って男児を産もうとした。それは私の母も同様だった」
「王母になると、良いことがあるのですか?」
「良いこと……か。まあそうだな。王母の一族が、王の血縁として権勢を振るえる。それは彼らにとって『良いこと』なのだよ」
そうは言われても、マウヤにはまったく想像も出来ない領域であった。しかし彼らにとっては、一族から王母を出すのは垂涎するほどのことなのだ。……学のないマウヤには、さっぱりわからないのだが。
「そうして母は私を腹に宿した。母はお抱えの占い師に問うた。『この子は男か否か?』。占い師は答えた。『否。この子は女である』と。しかし母は納得しない。同時期に別の妃も妊娠していたのでな。猶予はなかったのだ。ゆえに母はどうしても
「……でも、そんなこと出来ませんよね? 普通は」
「そうだな。だが出来るものもいる。――『神』と呼ばれるものたちのことだ」
「じゃあ、お母様は神様にお願いして――あれ? でもクナッハ様は……」
クナッハの母は男児を欲した。しかしその腹の子は女児であった。そしてクナッハの母は腹の子を男児にしなければならなかった……。
マウヤはその答えを出す前に、とてつもなく嫌な予感がして、背筋がぞくりと冷たくなった。
「……母は神々に祈った。ときに生贄をささげて。けれども神々は応えなかった。『それは出来ない』と。――けれどただ一柱だけ、母の祈りに応えた。それは、いわゆる悪神というものだった」
マウヤはクナッハの言葉の先を聞きたいような聞きたくないような、複雑な思いに駆られた。
「やがて十月十日を経て産声を上げた子は、男であり女であり、完全な男でなく完全な女でもなかった。母は神に抗議をしたが神は取り合わなかった。『お前の望み通り、女を男に変えてやったぞ』。神はそう言った」
「それで……それからどうしてクナッハ様は、神様に?」
「簡単な話だ。私の体のことは隠され王子として育てられたが、結局は母の一族は政争に敗れ、私も無実の罪で処刑される身となった。それを唯一憐れんでくれたのが、クナッハという神だったのだ」
「――え」
「おどろいたか? 『クナッハ』の名は、私がもともとつけられていた名ではないのだよ」
いたずらが成功したような顔をしたクナッハに、マウヤは素直に何度もうなずいた。
「じゃあ、そのクナッハ様を助けてくれた……クナッハ様は?」
「今は天上におわす。単に『クナッハ』と言えば彼のことを指すので、私は『ダラムーニャのクナッハ』と呼ばれている。まあ、この地に他に『クナッハ』はいないから、ラーエウトなぞはいちいち『ダラムーニャの』とは呼ばんが……」
自らを救った「クナッハ」のことを語る主の顔は、至極穏やかなものであった。「クナッハ」を敬愛していることが、ありありと伝わって来る。そのことにマウヤはそっと安堵した。
クナッハの物語は悲劇なのかもしれない。けれども行きついた先には、救いがあったのだ。
「クナッハ様は、その『クナッハ様』のことを尊敬していらっしゃるんですね」
「ああ、そうだ。恐れ多くも父のように思っている。……まあ、私は子としてはまったく似なかったがな。彼とは違って私は信望を集めることは出来なかった。神々の中で、かつてはただの人間だった私は、どうも浮いているようでな。だからそれが
クナッハは積年の思いを吐き出すかのようにそう告げた。
そんなクナッハを見て、どことなくマウヤは――恐れ多くも――自分自身のことを思い出していた。
マウヤは家族に愛されていた。けれども家族でないものはそうではなかった。村ではずっと「のろまなマウヤ」として親しい友人すらいなかった。
神都では唯一、ハスフという兄貴分が出来たものの、他の侍者たちからは「田舎者」として今でも輪から外されているのが現実だ。
「クナッハ様は、わたしのことはわずらわしくありませんか?」
気がつけば、マウヤはそんな疑問を口にしていた。
クナッハは天井に向けていた夜色の瞳を、またマウヤへと注ぐ。月明かりを反射する美しい瞳の中には、マウヤがいた。不安そうな表情をしてクナッハを見るマウヤが。
「そんなことはない」
クナッハは
「お前のことは、それなりに好きだ」
「それなりに」
「それなりに、だ」
クナッハらしいその答えに、マウヤも自然と
そこでマウヤの意識は途切れた。どうにもこうにも体力やら眠気やらの限界で、蝋燭の火を吹き消すようにすいと眠りの底へと落ちてしまったのである。
翌朝、そのことを詫びたマウヤであったが、クナッハは「気にしていない」と笑ってくれた。
その証拠とでも言うように、クナッハはその日も閨にマウヤを誘った。もちろん色気のないほうの誘いで、その日は昔話もなく、クナッハの隣で眠りについた。
とろとろとした眠気の中で、マウヤは家族の隣で寝ていた日々を思い出す。
自分を愛してくれる家族が隣にいるような安心感の中で、マウヤは眠る日々を送った。
クナッハの隣は、それほどまでに居心地が良かったのである。
そうしたことが一週間ほど続いたあと、珍しくクナッハの家をおとなう者が現れた。それはラーエウトでもその侍者のナナトでもなく、マウヤとは顔見知りの、メワンという青年であった。
「久しぶりだな、マウヤ」
門前のはき掃除をしていたところを親しげに声をかけられたものの、マウヤは彼がだれなのか最初はわからなかった。しかし名乗られたところで、ようやく彼が庄屋夫婦の三男坊であることを思い出したのである。
「どうしたんですか? 神都になにか用が?」
マウヤがおどろくのも無理はない。基本的に神都に足を踏み入れる人間は、侍者となるために訪れた者か、そうでなければ商人くらいである。普通の人間が来るような場所ではないのだ。
「用って……手紙を送ったはずなんだが。読んでいないのか?」
「手紙? 手紙なら読んでもらいましたよ。日照りが続いているという話でした」
「それは一枚目だ。二枚目にちゃんと来るって書いてもらったはずだ」
「……二枚目?」
マウヤは首をかしげた。二枚目などあっただろうかと考えながら、すでにその手紙はクナッハによって破られてしまったことを思い出す。
そしてメワンのほうもマウヤが不思議そうな顔をしたことで、彼がことの次第を把握していないことを悟った。
「二枚目に『帰って来い』って書いたんだよ」
「え? ど、どうして?」
「どうしてもこうしてもないだろ。日照りがひどくなる前に、お前には侍者をやめて村に帰ってもらって、おれが代わりにラーエウト様の侍者になるって決まったんだ」
「え?」
マウヤはほうきを握りしめたまま、その場で固まった。
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