(7)
閨に呼ばれることの意味がわからないほど、マウヤは
けれども故郷で「のろま」と蔑まれていたマウヤは、当年一五にして清い体のままであった。
すぐに返事は返って来て、マウヤはややあってから気を引き締めて部屋に入る。
クナッハは、蚊帳を吊った広い寝台ですでに体を横たえていた。頬杖をついた姿勢で、どこかとろりとおぼつかない瞳をマウヤに向ける。
クナッハの夜空色の瞳は、月明かりしかない部屋の中で、より黒く色づいていた。底なしの暗闇のような瞳は、しかしマウヤにとっては想像の中の、母の胎内の暗さにも似て、どこか恐怖より安堵感を呼び起こす。
輝かしい稲穂のごとき
クナッハはいつもと同じ、堂々たる様子であった。けれども夜闇の中ではどこか儚げにも映って、その普段は垣間見ることの出来ない一面を不意に覗いてしまったような焦りが、マウヤの背骨を駆けて行った。
「なにをしている」
クナッハの言葉でマウヤは我に返る。「みとれていました」などと言っている暇もなく、マウヤは心臓を緊張に高鳴らせながら、蚊帳の入口を開けた。
クナッハの着物のように手触りの良い布が掛けられた寝台へ横たわるまでに、マウヤの心臓は破裂してしまいそうだった。が、無論そのようなことが起こるはずもなく。
マウヤはクナッハがわざわざ空けたその右隣へと、赤子が「はいはい」でもするような姿勢で乗る。乗って……そのままの姿勢で固まったまま、思わずクナッハのほうを見た。
「どうした」
「あの……ここからどうすれば」
「はあ? ……はあ。そのまま横になれ」
マウヤの突拍子もない問いにも多少慣れて来たのか、クナッハは素っ頓狂な声を上げつつも、冷静にこの愚鈍な侍者へ的確な指示を飛ばす。マウヤはその通りにゆっくりと突っ張っていた手を崩し、寝台から膝を離し、それはそれは時間をかけて体を横たえる。
そうしたあと、マウヤはやっと前を見ることが出来た。眼前には、同じように頬杖をやめて枕に頭を横たえさせたクナッハが、あの夜色の瞳でマウヤを見ていた。
やはりその瞳は、部屋に入ったときと同じ印象を受ける。いつもの鋭い光を失って、さながら月光のような弱々しくも、どこか人を惑わせる光を放っているのだ。マウヤがそう思うからには、つまり彼は今のクナッハの蟲惑的な雰囲気に呑まれている、ということであった。
クナッハが「閨に呼んでやる」と言ってから夜を迎えるまでのあいだに、マウヤは兄貴分のハスフと行き会っていた。もちろんそうなると相談せざるを得ないのがマウヤという人間である。
「閨に呼ばれたならいいじゃねえか。少なくとも嫌われてはいねえわけだし。ただ……」
結局その言葉の先をハスフは口にしなかった。なぜ言わなかったのか、マウヤにわかるはずもなく、大いなる不安を抱えて、今彼はクナッハの寝台の上にいる。
さすがに房術を伝授してくれとまではあけすけに言えなかったし、ハスフもあえて教えようとはしなかった。
「最初はだれだって初めてなんだ。まあ、気にするこたあねえよ。とりあえず好きなようにやらせてやればいいのさ」
とは言われたものの、本当にそうなのだろうかと珍しく疑り深くなっていたマウヤである。けれどもどうにもこうにも出来ないのも、また事実であった。
「ふ」
隣から吐息が漏れ出るような笑いが聞こえた。もちろんその主はクナッハ以外にいない。
クナッハは口元をゆるめてマウヤを見ていた。
「そう緊張するな。取って食うというわけではないのだ」
「は、はい……」
「閨に呼んだからといって無体をするつもりはない。今日は
マウヤはその動きの鈍い頭で、ゆっくりとクナッハの言葉を
そうしてから、全身から力が抜ける思いに駆られた。
それからとてつもなく恥ずかしくなって、今すぐ外へと駆け出したくなった。
「閨に呼ぶ」と言われたからには「
幸いなのは「
だが夜闇の中でもマウヤが羞恥に頬を赤らめたのは、クナッハに伝わったらしい。しかしこの主はいたいけな侍者をからかうことはせず、また吐息のような笑みをこぼすだけであった。
「ところでお前」
「は、はい?!」
「お前が以前よく摘んで来ていた花を覚えているか? 花弁が五枚の白い花だ」
「花……はい」
それはマウヤが都のはずれの花畑の中で、一等きれいだと感じた花であった。
「好いた女が出来ても軽率にあの花は送るなよ」
「え?」
「あれはな、『嫁取りの花』と呼ばれているのだ」
「そ、そうだったんですか」
「ああ。その昔、北の神が人間の娘を嫁に取る代わりにあの花を置いて行った。それからだいぶ時が経って、いつしか人間たちは嫁にしたい娘にあの花を贈るようになったのだ」
そんないわれなど知らなかったマウヤは、感心すると同時に己の無知を恥じた。
「す、すいません……」
「ん? なぜ謝る」
「いえ、あまりにも場に合わない物を……と」
クナッハはまた「ふふ」と柔らかく笑った。今日の主はひどく機嫌が良いようだ。
「よい。どうせ私にはあれを贈ってくれるような輩はいないのでな」
そんなクナッハの言葉に、マウヤはどう返せばいいのかわからなかった。しかしそんなマウヤの困惑すら、今宵のクナッハにとっては楽しむべき反応のひとつであるようだ。マウヤはを見る夜色の瞳は、楽しげな色を帯びていた。
「ところでお前、お前は私を男か女か、どちらだと思っている?」
「え?」
マウヤは予想だにしなかったクナッハの問いに、大いに戸惑った。
たしかにクナッハは男とも女とも取れるような声と、姿をしている。
男にしては高い声、男にしては恰好の良いというよりも繊細な美しさを備えた容貌。
女にしては低い声、女にしては背が高くすらりとした肢体は、しかし
マウヤは閨に呼ばれた時点で、クナッハは女だと思っていた。
では以前はどうだったのかと言うと、意識していなかった。クナッハが男であれ女であれ、仕えるべき主には変わりがなく、またいずれの性かわからずとも、なにも問題はなかったのである。
「ええと」
「まあどちらと思おうと、普段の生活では変わりがないか」
「はい……」
「正解は『両方』だ」
「りょ、両方……?」
マウヤの戸惑いは先ほどより大きくなって、彼の心臓を騒がせた。
――「両方」? 両方とはどういう意味なのだろう?
クナッハの言葉が意味するものを理解出来るだけの知識は、マウヤの中にはなかったのである。
それを察したらしいクナッハは、マウヤを見つめていた目を天井に向けて、静かに語り出した。
「私の体は両性具有というやつなのだ。つまり男であり、女でもある。あけすけな言い方をすれば、女を孕ませられるし、逆に私が子を孕むことも出来る。そういう体のことを『両性具有』と言う」
「ではクナッハ様は男神であり女神でもあるということなのですか?」
「ああ、そうだ」
マウヤは通常とは違う身体構造をクナッハが持っていることに疑問を呈さなかった。なにせクナッハは「神様」なのだ。人間とは違う。だからそういうものなのだろうと、素直に納得することが出来た。
しかしまたクナッハはそんなマウヤの納得にもヒビを入れて来る。
「私は今は神などと言われてはいるが、元は人間だった」
「え?! 人間だったんですか?!」
「ああ。……これでも王子と呼ばれるような身分であったこともある」
「王子……ということは元は男だったのですか?」
「いいや」
クナッハの顔は微笑んではいたが、その横顔はどこか寂しげであった。
「私は生まれたときから男であり、女であった。そして男とも言えず、女とも言えなかった」
「ということは、クナッハ様のお父様とお母様は、クナッハ様を男として育てられたのですか?」
「まあ、その辺りのことは少々複雑でな。……なんだ、この際お前には全部話してやろう。
クナッハは自嘲的にそう言ったが、マウヤは間髪を入れず是と答えた。
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