(4)
先に口を開いたのはナナトのほうだった。
「お久しぶりだね。どうやら無事に侍者になれたみたいで――」
ぺらぺらと舌の滑り良く話し出したナナトに、マウヤは戸惑いを覚える。
もしかしたらナナトも勘違いしていただけで、マウヤを騙したわけではなかったのかもしれない。
そんな思いが頭をよぎるも、彼の次なる言葉にその考えはたちまち霧散した。
「なんてね。本当に契約までいっちゃうとは思わなかったよ。村はだいじょうぶ?」
マウヤはおどろいてナナトを見た。途端にニタニタと、悪意に満ちた笑みとぶつかって、マウヤは気後れしそうになる。
「ど、どうして……」
「え? 別に理由なんかないよ?」
「え?」
マウヤはびっくりした。ナナトがあのような行いをした背景には、なにかしらの理由があるのだろうと、マウヤはハナから決めてかかっていたのである。たとえばマウヤがなにかしらナナトの気分を害してしまっただとか――。
けれどもナナトはあっさりと、それを否定した。
「別に、代々仕えてるのと違う神に間違って仕えちゃったらどうなるかなって、思っただけ」
「なっ」
「そんな顔しないでよ~。せめてもの情けに、豊穣神を選んであげたんだからさあ」
ナナトはからからと笑うが、マウヤはふつふつと怒りが湧いて来るのを感じた。
今までに感じたことのない、暴力的な感情がマウヤの心を支配しそうになる。なにかしらナナトを痛い目に遭わせたい。そんな思いが頭のうちから湧いて出て、マウヤの理性的な部分は困惑する。
けれどもナナトはラーエウトの侍者で、マウヤはクナッハの侍者だった。ここで問題を起こすわけにはいかない。
マウヤがそう考えていることがわかるからこそ、ナナトはこんな風に挑発的な言動を取ることが出来るのだった。
「ところで間違って仕えた神様のこと、ちゃんと愛せてる?」
「…………」
「黙らないでよ。つまんないなあ」
マウヤは口が上手いほうではない。むしろ口下手で、だからこそ彼は「のろま」と呼ばれるのであった。
けれどものろまはのろまなりに、経験を積んでいる。ナナトのような輩は真正面から相手をするだけ消耗する。マウヤはそれを経験的に知っていた。
けれどもどうしても、どうしてもナナトが次に口にした言葉は、いかに温和なマウヤと言えども許せるものではなかった。
「まあ愛せるわけないよね。愛が足りないからきっと村は
マウヤは目の前がちかちかと明滅して、次に真っ白になったのを見た。
「どうした」
我に返ったのは、語気を強めながらもどこか困惑したクナッハの声が聞こえたからだ。
気がつけばマウヤはナナトの衿をつかみ上げていた。それからどうしようとしたのかはわからない。ただ衿をつかんだのとは逆の手は、爪が手のひらに食い込むほど、きつく握られていた。
「ああ、なんか俺の侍者が失礼なこと言ったんだろ」
「ええ~ひどいです~」
「……まあ、こんなやつなんで。相手するだけ無駄だから。すまんな、坊主」
マウヤはゆっくりと頭が冷えて行くのを感じた。けれども心臓はバクバクと大きく脈動し、体の芯は熱いような冷たいような、よくわからない初めての感覚に襲われている。
それからややあって、マウヤはひどく緩慢な動作でナナトの衿をつかむ手を離した。
「……すいません」
「うん。いいよー」
ふたりのそんなやり取りを見たあと、クナッハは嫌そうな顔をしてため息をついた。
愛が足りなければ村が亡びる。
そんなナナトの言葉が頭から離れず、マウヤはしばらく話しかけられていることに気づかなかった。
「マウヤ。おいマウヤ!」
「……あ、え?」
「なにぼーっとしてんだよ」
市場の露店で赤い果実を手にぼんやりしていたマウヤに声をかけたのは、彼よりも三つか四つは年かさのハスフであった。
ハスフはマウヤと同じく侍者をしており、それも七つの頃からだと言うから、ずいぶんな先輩である。
そしてマウヤの唯一の侍者仲間であった。
「なるほどなあ」
市場から外れた場所に転がっていた木箱にマウヤと並んで座ったハスフは、彼からことの顛末を聞かされてそんな声を出す。
ハスフには神を間違えて契約してしまった話も最初にしていた。そのときのハスフはずいぶんとマウヤと、マウヤの村を心配していた。
ハスフだけは、マウヤを唯一「田舎者」と呼ばずにあれこれと世話を焼いてくれる。だからこそマウヤは今回のことも彼に相談にしてみようと思えたのだ。
「わたしはクナッハ様を愛せているのか……」
「って言ってもなあ。『愛』ってのは形がないからな。神を愛せば見返りがあるって言われて、実際にあるんだけど、でもその『愛せば』の部分って曖昧だからなあ」
「曖昧?」
「そうそう。こっちが愛しまくればいいのか、神様たちがそれを愛と認識すればいいのか、どっちなのかってのはよくわからないだろ?」
「だろ?」と同意を求められても、マウヤにはわからない。だから「そうなんだ」とこれまた曖昧に返すだけだった。
「――まあ、くよくよ悩んでるだけ時間の無駄だって! もっと前向きに考えようぜ」
「そうは言っても……」
弱気な声を出すマウヤの背を、ハスフがばしりと景気良く叩いた。
「とにかく『愛』ってのは形がない。内にとどめておくだけじゃわからないもんだ。だからわかりやすい形で『愛』を外に出すしかない」
「ハスフはどうしてるの?」
「オレ?」
問われたハスフはちょっと固まった。どうしてそんな反応を見せたのかわからないマウヤは、無意識のうちに首をかしげる。
しかしややあってハスフはマウヤを手で引き寄せると、その耳元でそっとささやいた。
「
「けいじ?」
「
さすがにハスフの言わんとしていることが理解出来たマウヤは、少々頬を朱色に染めて何度もうなずいた。
「ま、まあ、たしかに『わかりやすい形』だね……」
「だろ? ……でもマウヤの主は閨に誘ったりしないんだよな」
「うん」
「それなら贈り物をしたらどうだ?」
「贈り物、かあ……」
マウヤにとって意外だったのは、侍者という仕事には賃銭が出るということであった。もちろん全部遊びに当てられるというものではないが、多少は遊興に使えるだけの分は残るので、他の侍者たちはそうやってたまの休暇に羽を伸ばしているようなのだ。
もちろんマウヤも賃銭をもらっている。もらってはいるが衣服などの最低限の身だしなみを整える分を使ってしまうと、あとは使い道に困って村に仕送りをしていた。
その分を多少贈答品を買う金に回せば……とは思うものの。
「なにを贈ればいいんだろう?」
「え? うーん……」
マウヤはクナッハのことを詳しくは知らない。となればハスフはもっと知らないわけだが、彼はマウヤよりは知識と人生経験があった。
「やっぱり、花かな」
「花かあ」
「ああ、マウヤの主って豊穣の神なんだろ? なら花を贈られれば喜ぶと思うぞ」
「そういうものなんだ」
そのあたりの知識がないマウヤには、なにがなにやらさっぱりであるが、ハスフの言うことだ。間違いはないだろうとマウヤは思う。
「ああ。あとな、失礼な言い方になるが――」
そう言ってハスフは声をひそめた。
「マウヤの主は今まで侍者を持ってなかったし、今もひとりだけだろ?」
「うん」
「それにちょっと周囲から浮いてる。祭りとかにも出て来ないしな」
マウヤは知らなかったのだが、ハスフによると他の神はもっと外に出て社交に励むのが好きなのだと言う。
けれどもクナッハは屋敷からほとんど出ることはないし、そのクナッハを訪ねて来るものもほとんどいない。
「で、神ってのは贈り物が好きなんだ」
「うん」
「でも、マウヤの主はたぶん――贈り物を贈られ慣れていない。だから、言ってしまえばそこにつけこめばいいんだよ」
のろまなマウヤも、さすがにハスフの打算的な提案には閉口せざるを得ない。頭にまず神は敬うべきものという意識があるために、なおのことハスフの提案は不敬ではないかと思ってしまったのだ。
そんなマウヤの心中を察したらしいハスフは、しかし取り繕うようなことはしなかった。
「まあ、言いたいことはわかるよ。けどさ、手段なんて選んでられないんじゃないのか?」
ハスフの言葉は、事実だった。
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