(5)

 打算の上で贈り物をすることに、マウヤの中ではためらいがあった。


 けれどもハスフの言うとおりに手段を選んではいられないのも事実である。なんであれ、歓心を買わなければマウヤはともかく、村の未来がどうなるかわかったものではない。


「なんだそれは?」


 マウヤが差し出した白い花を一瞥して、クナッハは不機嫌そうにそう問うた。その夜色の瞳が一瞬肌を撫でただけで、マウヤの体はすくみ上がってしまいそうになる。


「えっと……きれいだったので」

「……ふん」

「あっ……」


 クナッハは一度鼻を鳴らすや、きびすを返し自室へと引っ込んでしまった。


 残されたマウヤの手には、白い野花が所在なさげに上を向いているばかりだ。


 そう、マウヤが贈ろうとした花は野花であった。それ自体が悪いというわけではないが、歓心を買おうと言うときに、野に咲く花を贈るという行動は、彼が「気の利かない田舎者」と言われるゆえんであろう。


 そこになにかしらの意図があるならともかく、彼は考えなしに「きれいだったから」という理由だけで野花を差し出したのであった。


 これらはハスフも予想してはいなかっただろう。もう一五なのだから、花を贈るなら露店なりなんなりで買うだろうと、かの兄貴分は思っていたに違いない。


 しかし実際のところマウヤは花を買えるものだとは考えていなかった。彼は「田舎者」であるがゆえに、贈答用の花が売られているなどとは考えなかったのである。


 そのため、マウヤは妹にそうしたように、神にもそうして野花を贈ったのであった。


 クナッハに受け取ってもらえなかった花を、かといって捨てるには申し訳ない。そう思ってマウヤは納屋に打ち捨てられるように置かれていた、ふちの欠けた花瓶に花を活けることにした。


 マウヤは水を注いだ花瓶に活けられた花を見て、なにがいけなかったのか考える。


 花が気に入らなかったのか、単にマウヤが持って来たものというだけで嫌だったのか。


 考えても答えは出ない。マウヤはクナッハではないのだ。


 そうして結局、愚鈍な彼は毎日野花を贈るという行動に出たのであった。


 無論、花が売られていると気づかないマウヤであったから、毎日毎日都のはずれに通っては、そこに咲く彼が一等きれいだと思う花を摘んだのである。


 クナッハは贈り物を受け取りはしなかったが、かといって嫌だとか、その行いをこざかしいとかは言わなかった。


 けれども態度はいつだって同じだ。不機嫌そうに鼻を鳴らしたり、ちらりと一瞥したりするだけで、部屋に引っ込んでしまったり、マウヤの横をすり抜けて外に消えたり……と、マウヤとの交流を拒否しているようであった。


 これ自体は以前からそう変わらない。クナッハは必要最低限のことしかマウヤに教えなかったし、また言いつけなかった。


 その日もマウヤの花はクナッハには受け取ってもらえなかった。マウヤは毎日そうしているように落胆を抱えたまま花を瓶に活ける。半ば習慣と化してしまいそうなほどにそれは繰り返されていた。


 そうして花を活けたあとは広くない屋敷を掃除し、買い出しに出かける。それもいつもと同じだった。


「あれ?」


 帰宅したマウヤは厨に設けられた小窓のそばに置いていた花瓶がないことに気づく。もしや下に落ちたのではと思ったが、土間床には花瓶の破片はどこにもないし、水に濡れた様子もない。


 それでもマウヤは土間床にはいつくばって、それはそれは念入りに花瓶を捜した。けれども花瓶は影も形もない。


 マウヤは首をかしげると同時に、消えた花瓶が、クナッハに怒られるのではと考える。


 けれども昼時のひとつ前の刻を知らせる鐘が鳴ったので、マウヤはあわてて昼餉ひるげの準備に取りかかった。


 そういうわけで、マウヤの頭から花瓶のことはすっぽりと抜け出てしまったのであった。


 マウヤが再び花瓶のことを思い出したのは、捜し回っていたその姿を認めたからである。


「あっ」


 マウヤが声を上げた理由を、クナッハはすぐに察したらしい。その肌がみるみるうちに朱に染まって、秀麗なかんばせは苦々しげに歪められる。しかしその表情の変化が羞恥ゆえだということは、だれの目にも明らかだった。


 クナッハの上等な部屋には似つかわしくない、みすぼらしい花瓶は、まさしくマウヤが納屋から見つけて来たものである。それが、クナッハの部屋の丸窓の前に鎮座していた。


「あの……」

「……なんだ」


 クナッハはマウヤの目を見ようとしなかった。柳眉は気難しげに曲げられて、唇もへの字を描いている。


 マウヤがそんなクナッハを見るのは、初めてだった。だからこそ愚鈍なマウヤはクナッハの表情の意味するところを、正確に読めなかった。


「花瓶……」

「…………」

「使ってはいけませんでしたか?」

「はあ?」


 クナッハは思わずといった様子でマウヤを見たあと、あわててまた視線をそらした。


 マウヤがぼんやりと立っている前で、クナッハはばたばたと落ち着きなく動いていたが、もちろんそのことを関知してなにかしら言うようなマウヤではない。のんびりと、相変わらず的外れな質問を繰り返すばかりだ。


「いえ、クナッハ様の気に入りの花瓶だったのかと……」

「ばっ、馬鹿かお前は!」


 クナッハが大声を出したので、マウヤは肩を跳ねさせ丸くした目で主を見た。その目に気づいたクナッハは、我に返ると気まずそうな顔をしてまたマウヤから顔をそむける。


「お前が……」

「え?」

「お前が活けたものだから……持って行ったのだ。……ただの花瓶に、用はない」


 クナッハの顔は今や完全に羞恥の色で染まっていた。耳の先から首元までほんのりと朱色に色づいて、いかにこの一柱が恥ずかしさに悶えているかがうかがえる。


 のろまなマウヤも、さすがにクナッハの言わんとしていることを察した――というようなことはなく。


「きれいですよね!」

「……あ?」

「この花、南のはずれの花畑の中で、一番きれいだと思ったんです」

「…………」


 マウヤはクナッハも自身と同じようにこの白い花をきれいだと思い、共感したのだと考えて喜んだ。


 そんな侍者を見て、クナッハは閉口する。


 にこにこと嬉しそうにするマウヤをしばらく見ていたあと、クナッハは不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「毎日毎日飽きもせず……お前にもぎ取られる花が可哀想だ」


 それはいわゆる憎まれ口というやつであったが、マウヤはハッとしたような顔をしたあと、あからさまに落ち込んだ表情になる。豊穣神であるクナッハの言うことなのだからと、マウヤは本気で主の言葉を受け取ってしまったのだ。


「そうですよね……そこまで考えが及ばず、すいません。これからはもうしませんので……」

「ま、待て」

「はい?」

「花を……贈られるのは、その……悪い気はしない。うん、そうだ。その、だから……」


 珍しく歯切れの悪いクナッハに、マウヤは首をかしげる。


「花は、いいものだ」

「はい。きれいです」

「そう、きれいだ。だ、だから、花が家にあるのは悪くない。だから、その……銭ならやるから、今度からは買って来るのだ。たまに! たまにでいい。毎日はいらん」


 クナッハはようやっとそう言ってから、うかがうような目でちらりとマウヤを見る。マウヤは――ひどくおどろいたような顔をしていた。クナッハからすればそれは予想外の表情だった。


「どっ、どうした?」

「クナッハ様……」

「ああ、なんだ?」

「花って、買えるんですか……?」

「はあ?!」


 その後、マウヤはクナッハから「毎日市場に通っていてなぜ気づかない」と説教をいただくことになったのだが、そのことは割愛する。




「あれー? もしかして花なんて贈ってるの?」


 出来れば聞きたくはなかった声が背に当たり、マウヤは振り返った。後ろを向くまでもなくだれかはわかりきっていたが、礼儀として無視することは憚られたのである。


 間違えようもなく、露店が並ぶ雑踏の中に、ナナトが立っていた。彼はひどく親しげな様子でマウヤに近寄ると、その肩を叩く。


「今さら袖の下選びに励んでるんだ? でも花って……」


 嘲笑の色を隠そうともしないナナトに、マウヤは怒りの感情を抱くでもなく、ただ視線を外した。


 それが面白くなかったのか、ナナトは一瞬だけむっとしたような顔を見せたが、すぐにいびつな笑みを顔に貼りつける。


「そんな愛なんて受け入れられるはずないじゃん」


 ナナトの言葉を無視し、マウヤは困惑の視線を送る店主に銭を渡して花を受け取る。


 マウヤは「のろま」だ。けれど「のろま」なりに、どちらの言葉が信用に値するかはわかっていた。すなわち、クナッハの言葉と、ナナトの言葉と。


 今のマウヤには、ナナトの言葉は負け惜しみにしか聞こえなかった。



 けれども悲しいかな、人間ゆえにその信用は少しのことでゆらいでしまうことも、あるのだった。

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