(4)

「巫女は神命を私物化しておる逆賊でございます。神託を得ているなどとは嘘八百。ただ自分にとって都合の良い言葉を並べているに過ぎませぬ。皆様、騙されますまいな。神の名を騙るこの女こそ裁きを受けるべき人間ですぞ」


 痩身の男は堂々たる口調で巫女をそしる言葉を立て板に水とばかりに並べ立てた。


 場所は神殿にほど近い場所にある神問裁判所。神殿と同じく白い石造りで出来たこの場所に満たされるのは荘厳なる空気ではない。疑心と悪意に満ちた重々しい空間がそこには広がっていた。


 ことの発端は今原告側の席に座る貴族の告発であった。訴えは以下の通り。


 ひとつ、巫女は神託など得ていない。


 ひとつ、巫女は神託を得たふりをして自分に都合の良い文言を発している。


 ひとつ、巫女は讒言ざんげんによって国政を操ろうとしている。


 ひとつ、原告は巫女の不正を告発しようとしたために一度偽りの「神託」の名のもとに無実の罪によって財産を失った。


 以上のことを告発し、巫女などという制度は廃止すべきである。また巫女の偽りの証言によって毀損された原告の名誉を回復すべきである。


 アニェーゼはこれらの言葉を被告人席で聞いていた。かたわらに浮遊する天使はアニェーゼが尻込みしないかと心配していたが、それは杞憂であったようだ。


 白いベールの下にあるアニェーゼの若々しい緑の瞳には、意志の強い光が宿っている。臆することなく背筋を伸ばし、あらぬことを並べ立てる貴族の男を見据えていた。


 アニェーゼはもちろん、天使も今回「告発」に踏み切った貴族のことを知っている。彼は三年ほど前にアニェーゼが受けた神託により不正を暴かれ、私財の没収と爵位及び領地の返上をさせられた男である。それでも未だに貴族であるのは、彼には他にも継承できる爵位があったからである。


 この大規模な横領及び汚職事件は神殿の監督官も関わっていたために、神殿の奥にいるアニェーゼにもその騒がしさは伝わって来ていたほどである。しかし彼女は事件に関わった者たちがどのような処分を受けていたかまでは知らなかった。知る必要がなかったから、知らされなかったのだろう。そうであるからして、アニェーゼはこうして事件の処分を受けた人間から私怨を買っていることもまた、考えたことはなかった。


「『告発』とかたいそうなことをしてくれるのはいいけどよお~。どうやって訴状の根拠を証明する気なんだ?」


 天使の疑問に対し、原告側の証人が証言台へと呼ばれる。その証人の姿を見て天使はちょっと納得した。


「わたくしはこの四月まで神殿で女神官として神に仕えておりました」


 証言台に立ったのは春に還俗した元女神官である。天使はこの女のことをよく覚えていた。アニェーゼも早々には忘れられない。なにせ彼女の還俗は建前上の物で、実質神殿を追い出されたと言っても過言ではなかった。


 なにせ神殿に属しているのをいいことに善良なる信者から「お布施」の名目で金品を巻き上げていたのだ。おまけに手癖も悪ければ股もゆるい。こんなのでも元は貴族の令嬢だと言うのだから頭が痛かった。


 そもそもそんな身分の彼女が女神官になったのも、あまりに素行が悪いためであった。実家をほとんど勘当同然のていで追い出されたものの、最後の親心で神殿へ送ってやったというところであろうか。こんな不良債権を押しつけられた神官たちはたまったものではないが。


 そして案の定問題を起こして神殿も追い出されたわけである。


 巫女によって私財と元の爵位を失った貴族と、神殿から追い出された元女神官。この脛に傷を持つ者同士が結託したとなれば、いよいよきな臭くなって来るというものである。


「巫女は普段から横柄で高慢なる性格で……特に男に対してはふしだら極まりなく、とても巫女にふさわしい方だとは思えない御仁でございます」

「そりゃおめえのことだろうがよ」


 天使は悪態を吐くが、むろんこれはアニェーゼにしか聞こえない。


「わたくしは普段から巫女のそのような言動を諌めておりましたが、ついに四月にはこの身を疎まれ、ありもしない罪により神殿を追い出されたのでございます……」


 涙をぬぐうそぶりを見せる元女神官に、天使は「アバズレが」と愛らしい顔を歪めて吐き出した。それに合わせて被告人側の窓ガラスが大きな音を立てて振動する。


 しばし、沈黙。


 原告側の席に座る貴族の男と、元女神官は思わず窓のほうを見た。窓ガラスはまだ音の余韻でかすかに震えている。


「――そ、それでわたくし偶然にも聞いてしまったんです」


 元女神官は我に返ったように言葉を続けた。


「巫女は今回の夫を決める神託の場でヴィットーリオ・ソルヴィーノを選ぶと……」


 つまりこの証言を持って巫女は神託を私物化していると言いたいようである。天使は嘲笑した。証拠と言うには、あまりにもおそまつなものであった。それにここは神問裁判所である。罪の是非を問い、罰を下すのは神だ。神を前にしてそのような稚拙な証言がまかり通るはずもない。


 元女神官がヴィットーリオの名を出して来たのは、アニェーゼが彼を好いていることは神殿内では周知の事実であったせいだろう。アニェーゼの態度を見れば、ヴィットーリオに可愛らしい恋心を抱いていることなど、色事に精通しておらずとも見抜ける。


 アニェーゼは事実を否認するだけで良い。天使はそう高を括っていたのだが――。


「わたしの夫にヴィットーリオ・ソルヴィーノが選ばれたのは神の意志です。しかしわたしがヴィットーリオ・ソルヴィーノに好意を抱いていたことも事実です」


 天使は目を剥いた。しかしすぐにアニェーゼの性格を考えれば予測できた事態でもあると思い直す。どうせ、神の御前おんまえに置いて嘘偽りは許されないと考えているのだろう。そうであるから事実ではない部分は否認し、事実は事実と認める……。天使には手に取るようにわかり――そして同時に頭の痛い現実でもあった。


 貴族は巫女の揚げ足を取れるとでも思ったのだろうか。わかりやすく顔に喜色を浮かべている。けれどもここではどうやったって彼の言い分は通らない。なぜなら神はすべてを見ておられるからだ。


 アニェーゼの言葉にかすかなざわめきが広がったが、それでも彼女はすくむことはなかった。普段は小心で臆病だというのに、こういうときはしっかりと自分の意志を通そうとする。だからこそ天使は、アニェーゼが放っておけないのである。


 きっと、ヴィットーリオも同じだろう。彼は長いあいだ巫女として公的な場に立たされて来たアニェーゼと、年相応の子供らしさを持つアニェーゼを見て来たのだから。


 この場にヴィットーリオがいればなあ、と天使は思う。そうすればこの互いを恋い慕っているのにくっつかないふたりも、鈍い頭をようやっと動かせるに違いないのだから。


 女神官長が白い陶器を掲げる。これを床に落とし、砕けなければ原告の勝訴、砕ければ原告の敗訴が決まる。正義は神意と共にある。よって原告が正しくあらば本来砕けてしまう陶器も砕けぬ。しかし原告に正しさがなければ自然の摂理に従い陶器は砕ける。


「神よ、人の子らの問いに答え給え」


 白い大理石の床へとつるりとした陶器が落ちて行く。


 そしてそれは――つまみ取れるような欠片も残さず、粉々に砕け散った。


「神意は現れた」


 女神官長が厳かにそう告げるや、アニェーゼは密かに息を吐く。


 黙っていられないのは貴族の男で、訴えが棄却されたと知るや口汚く罵り始めた。神殿ぐるみの不正だ、ペテンだと見苦しく騒ぐ男に控えていた兵士が近づく。けれどもそれよりも早く現れたのは神の意志であった。


 原告側の席から悲鳴が上がる。頭上にある窓ガラスが大きな音を立てて千々に砕け散ったのだ。そして大きく開いた穴から穏やかな初夏に似つかわしくない激しいつむじ風が吹き付け、残された窓枠までもが壊れそうなほどに震える。


 にわかに騒々しくなった裁判所内で、貴族の男は唖然と窓のほうへと視線をやり、元女神官は怯えた様子で床にしゃがみ込んでいた。そしてそんな両者を尻目にアニェーゼは女神官たちに連れられて、粛々と退出する。


「へっ、神を騙そうったってそうはいかねえぜ?」


 天使はふたりの頭上で愉快そうに笑った。



「アニェーゼ様」


 外に控えていたヴィットーリオが、アニェーゼの姿を認めて近寄る。


「どうでしたか? いえ、聞くまでもないこととは存じますが――」

「……大丈夫です。神意は示されました。わたしの疑惑は神が晴らしてくださいました」


 そう言いながらもアニェーゼは先ほどの裁判の席を思い出す。元女神官の言っていることはでたらめばかりであったが、アニェーゼがヴィットーリオのことが好きだと言う一点だけは真実を語っていた。それを、当人には聞かれなくて良かったと息を吐く。けれども今回のことが彼の耳に入るのも時間の問題だろう。


 信心深いヴィットーリオが神意を疑うということはないだろうが、それでも下心があったということが知られるのは、アニェーゼにはとてつもなく恥ずかしいことであった。


「アニェーゼ様?」

「――あ、いえ、なんでもないです」

「……あらぬ疑いをかけられてお疲れになったでしょう。今日はもうお休みになられたほうが良いのでは?」


 アニェーゼが「告発」されたとき、女神官長に並んでことを憤ってくれたのがヴィットーリオであった。あの貴族の男のことは彼も記憶していたらしく、此度の「告発」もすぐさま「個人的復讐心による下劣な行い」と断じていたくらいだ。


 アニェーゼにはなんらうしろめたいところはないのだから、あとは神が正しき判断を行ってくれる。そうは理解していても、やはり疑われるというのは辛いものだ。けれども天使や神殿の神官たちを始め、ヴィットーリオはアニェーゼに正しさがあり、そしてそれを信じてくれた。それだけでアニェーゼはずいぶんと心強かったものである。


「……だいじょうぶ。ヴィットーリオたちがいてくれたから……。ありがとう」


 アニェーゼの言葉に、ヴィットーリオはちょっと固まった。そんなふたりを眺める天使は、彼らの死角からにやにやとした笑みを送っている。


「いえ……。貴女が真摯に神に仕えていることはよく存じておりますから、当然です」

「でも、うれしかった」

「そう、ですか。……しかしならば貴女のおそばに控えておきたかったですな」

「仕方ありません。原告側むこうがどうにも嫌がったので……」

「身内がどうのと、わけのわからぬ道理でしたな。いやしかし無事に終わって良かったです。神殿までお送りいたしましょう」

「はい。お願いしますね」


 和やかに言葉を交わすふたりを周囲に控えていた女神官たちも微笑ましく見守っていた。


 天使もそろそろ互いの思いに気づくかと、胸を撫で下ろせそうな予感に安堵のため息をつく。


 ――けれどもアニェーゼを取り巻く私怨の影は、まだ完全には取り払われていなかった。

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