カミングアウト

セクシャルマイノリティや「LGBTQ」というような言葉をよく耳にする時代。

私は広義で言えば、バイセクシャル、もしくはクエスチョニングだ。

狭義で言えば、パンセクシャル、パンロマンティックだろう。

正確にはまだ決めてはいない。ただ、経験としてそういう傾向があるのだ。

それに、本気の恋をすれば、セクシャルなんて変わってしまう。

だのに、私がセクシャルマイノリティだとカミングアウトをした理由は、簡単だ。

あなたがどう感じたかを、あなたが知るためだ。


多くの人にとって、どうでもいいことだろう。

だが、中にはセクシャルマイノリティに対して嫌悪感を抱く人もいる。

もちろん、それを否定するつもりはない。

むしろ、それがあなたなのだから、それを否定しようと思わない。

嫌悪感を抱いたりしても、私を放っておいてくれればいいのだ。

理解しないでいい。ただ一人の人として放っておいてほしい。


私の経験から言えば、大学のサークル仲間にカミングアウトした時、対象になるのかどうかを聞かれたことがある。

彼らとはいい関係でありたかったし、そういった事を話せる人間だと評価していたから、ハッキリと「全員そういう対象じゃない。強いて言えば一人いる」と答えた。

指名した彼はそれを聞いて、冗談だろうが、気持ち悪がって逃げるそぶりをした。

それを笑って流したが、内心ではほんの少し寂しかった。

だが、人間とは面白いもので、数年後にソイツから「俺いまバイセクシャルだかパンセクシャルだかの子と付き合っているよ」と言われた。

彼はセクシャルマイノリティに詳しくなっていたし、こちらに共感してくれることが増えていた。何故そうなったのだろうと考えると、一つ思い当たる節があった。


彼は、ハーフもしくはクォーターでとても美しい顔立ちをしている。

性格もとてもよく、こよなく音楽を愛し、真面目に大学生活を送っている。

ただ、彼の顔立ちが珍しいのだろう、サークルの先輩から「外人」呼びされることが多かった。その時の彼は笑っていたが、帰り道に愚痴を零された事も多い。

彼の疎外感を知ることは出来ないが、きっと私と同じような感情だったのだろう。

私たちは一人の人なのに、顔立ちが珍しいから、セクシャルが違うから、そんなことを言われてしまうのだろうか。そう考える日だってあった。

だが、そんなことを考えているならば、もっと楽しいことをしたいと思った。

彼は彼なりに人生を楽しんでいるようだし、私は私で身体を壊してしまったけれど、今の人生を幸福だと言える。


少し前に彼と会ったときはサークルの合宿だったが、その時に「セクシャルマイノリティの子と付き合っている」と言われたのだ。

「でも、そんなことどうでもいいよな」と私が言うと、彼は頷いた。

セクシャルマイノリティはアイデンティティの一つだ。

彼も、付き合っている子のアイデンティティを受け入れているようだった。

今も恋仲なのかは定かではないが、彼はよりカッコいい人間になったように思う。

外見的な意味だけではなく、内面的な意味でも、もっと磨きがかかったようだった。


私たちの人生には辛いことも多い。だが、楽しいこともある。

現実は甘くはないが、望む世界をつかみ取ろうとすることは出来る。

とある歌の歌詞に以下の一節がある。


「私が歌を歌うのは 歌が好きだったからさ

好きなことを 好きなように 好きでいることに理由はいらない

だから私は歌うのだ 私は私になるのだ

名前のない花のように

不可解な私たちはきっと同じ もう何も怖くはないさ」


私がセクシャルマイノリティであったとして、そこに理由はない。

彼がどんな顔立ちをしていたって、それは彼の色だ。

理解しなくていい。ただ、一人の人間として放っておいてほしいのだ。

理解しなくても受け入れることは出来るのだから。

それもあなただと受け入れることは出来るのだから。

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