(3)
鏡子は屋敷から本殿へ出て外の様子をうかがっていた。
巫女神楽の舞い手がいるのならば一目見てみたいと思ったからだ。
理由は単なる好奇心である。
此度の舞い手は果たしてどんな人物だろう。
鏡子のように過去の舞い手に憧れて引き受けたのだろうか。
それともまた別の理由で?
そんなことを考えながら鏡子は境内に視線をさまよわせる。
「ほら
境内には鏡子よりも幾ばくか年下に見える男女三人がいた。
その内の男――といっても少年と言って差し支えない――が朱塗りの神楽殿を指差す。
「巫女神楽はあそこで奉納するんだ」
「すごーい……初めて見たけどなんか、すごいね」
「すごいって。他にないのかよ」
笑いを噛み殺しながら少年が言うと、武藤と呼ばれた活発そうな少女が頬を膨らませた。
「悪かったわねー。……でもほんとなんていうか、キレイだよね。私こういうことには縁が無くってさ。ホントにいいのかな? 私が舞い手で」
「都会はそんなもんなのかな。俺たちは物心ついた時からずっと見てるから……って言っても御前祭を見るのは今度ので二回目なんだけどさ」
「六年に一度だけなんだって? ますます私でいいのかなーって感じだわ」
「そんなことないよ」
口を開いたのはずっと押し黙っていた最後の一人である。
武藤に比べると内向的な印象がぬぐえない、眼鏡をかけた大人しそうな少女だ。
鏡子は先程からこの眼鏡をかけた少女が気になっていた。
彼女は神社に入って男と武藤が軽口を叩き合う中、一歩下がったところでじっと二人を見ていたからだ。
その姿に鏡子はなんとも言えない気分になった。
己があまり社交的な性格ではないから気になったのかもしれない。
眼鏡の少女は温和そうな笑みを浮かべて武藤を励ます。
「武藤さんって運動神経もいいし、勉強もできるでしょ? 舞い手にはぴったりだよ」
「そうかな?」
「うん、そうそう。だから自信を持って。神楽を舞うのにここに住んでた年月とかは関係ないよ。六年に一度、御前様に一番の神楽を奉納する。それが御前祭なんだから」
鏡子は眼鏡の少女の言葉にこの神社の神主から言い含められたことを思い出す。
その時で最も素晴らしい神楽の舞い手を選び、そして舞いを奉納する。
そうすれば御前様は安寧を約束してくださる――。
御前祭は現代風に言えば「防災祈願」の祭りである。
山に囲まれた平地にあるこの地では、昔から山崩れや川の氾濫などの水害にも悩まされてきた。
そこで鏡子のご先祖様たちは御前様と呼ばれる存在を祀り上げることで、これらの災害から村を守ってもらえるよう祈願した。
これが御前祭の起源である。
今では土砂災害も洪水も滅多なことでは起こらなくなり、御前様への祈願の意志というものは薄まっているのは事実である。
それでもこの地に住まう人々はかつて先祖を守ってくれた恩と、これからの子孫の安寧を祈って六年に一度の祭りを催すのである。
鏡子はただ幼い頃に見た舞い手への憧れから巫女神楽を奉納する道を選んだが、そこには多くの人の思いが込められている。
人から向けられる好意を素直に受け取れなくなる年頃であった鏡子でも、連綿と続いてきたその祭事に対する思いに胸を打たれたのを覚えている。
武藤と呼ばれた少女はどうだろう。
二人の口ぶりからすると都会からこちらへ越してきた人間のようである。
内心では面倒なことに巻き込まれたと思っていないだろうか?
そんな心配を胸に鏡子は武藤を見るが、彼女の纏う空気は清々しい。
活発そうな見た目と同じく、内面もすっきりとした人間なのだろう。
神の末席に名を連ねるようになってから、鏡子には注意深く観察すればその人となりを正確に感ぜられるようになった。
いくら外面を取り繕っても、人智を超える神の前では無意味ということなのだろう。
その力のせいで嫌な思いをしたこともあるが、それはもう過去の話である。
「ありがとー
眼鏡の少女は穂高という名らしい。励ましを受けた武藤は屈託の無い笑みを見せる。
「舞いの奉納が上手く出来たら御前様も願い事とか叶えてくれるかもな」
「へえーそんな言い伝えもあるの? じゃあ尚更頑張らないと」
鏡子はそんな謂れはあったっけ、と三人を見ながら笑みをこぼす。
なんにせよ神楽の舞い手がやる気を出してくれるのは良いことだと思った。
「ところで前の舞い手ってどんな人なの? 六年前なら
武藤の何げない一言に鏡子は固まった。
それは森川と呼ばれた少年も、穂高も同じであったらしい。
森川は奇妙な笑みを張り付けたまま、わかりやすく視線を泳がせ「あー」とか「えーと」とか、どうにか適切な言葉を見つけんとしているようであった。
先に口を開いたのは穂高だ。
「前は長谷川さんって人だったの。今はもうここに家はないんだけど……」
「引っ越しちゃったの? 六年前に私たちと同じ年頃なら高校生……大学生くらい?」
「ううん、あのね、事故でね……」
穂高の言葉に鏡子は複雑な気持ちになる。
事故に遭ってしまったことは既に過ぎたことと理解出来ている。
しかしかつて巫女神楽を舞った人間が事故で他界した、というのは外聞が悪いのではないだろうかと思ってしまったのだ。
武藤ははっとしたような顔になるとすぐに眉を下げて謝る。
「えっ。……あ、ごめん。だれも前の人のこと言わないからつい……。ごめんね」
「ううん。だれも話してなかったから仕方ないよ。六年に一度だけなんだし、前の人のことが気になるのは当たり前だと思う」
「……そーそー! だから気にすんなよ、な? どうせ迷信だし」
「森川くん!」
穂高の鋭い声が飛び、武藤のみならず鏡子も驚いてしまう。
柔和な話しぶりだったので、張り上げられた穂高の声を鏡子は意外に感じた。
なんとなく穂高の目線で三人を見てしまってた鏡子からすると、口を滑らせた森川の言葉はうやむやにするだろうと思っていたからだ。
「迷信?」
案の定、武藤は森川の言葉に食い付く。
そんな武藤に森川はあからさまに失敗したという顔を作った。
「いや、なんでも……」
「ちゃんと話してよ。友達でしょ?」
「でも気分悪くなるかもしれないし……」
言葉を濁す森川に痺れを切らしたのか武藤は穂高に詰め寄る。
落ち着きをなくした森川とは対照的に、穂高の方は冷静そのものである。
「ねえ穂高さん」
「……森川くんも言ってたけど、これは迷信だからね?」
そう言い置いて穂高は話し始める。
「御前様は男の神様なの。これは武藤さんも知ってるよね?」
「うん。神主さんに聞いたよ」
「それで御前様は神楽巫女の舞い手の中からたまにお嫁さんを取ることがあるの」
「お嫁さん? ……を取る? ってどういうこと?」
「つまりね、御前様に連れて行かれるの。この世のものじゃなくなるってこと」
「……それで長谷川さんって人は」
「ううん。それは偶然だよ。言ったけどこれは迷信。昔は若くして亡くなる人も多かったってこと。お父さんの受け売りだけどね」
「そう……」
武藤は明らかに消沈した様子である。これで舞い手を降りるなどと言い出さないだろうか。
鏡子は心配になった。
そんなことになれば御前様に顔向けが出来ない。
自分が亡くなったことを気にして舞い手を忌避する人間がいるなんてことになれば。
しかしそんな鏡子の心配とは裏腹に武藤はすぐに笑みを見せた。
「無理やり聞いてごめんね」
「いいよ。神楽を舞ってもらうんだもん。こういうのはきちんと話しておくべきだと思ったの」
「ありがと、穂高さん」
「ねえ、舞い手になるの、嫌になった?」
「ううん、そんなことないよ。だいじょうぶ。引き受けたからには最後までやるって! 迷信とか関係ないし」
「だよな! 御前様はそんなことしないって」
「森川くん……調子のいいこと言って。森川くんのせいなのに」
「な、なんだよ穂高。悪かったって、な? 武藤もごめんな」
三人はしばらくすると笑いあった。
そんな姿を見て鏡子も胸を撫で下ろす。
「それじゃあ武藤が無事に舞いの奉納が出来るよう御前様にお願いしようぜ」
森川の言葉に三人は賽銭箱が置いてある本殿へと向かう。
生きている人間には己の姿が見えないとはいえ、なんとなく鏡子は本殿の陰へと身を隠してしまった。
そしてそこから三人の姿をうかがい見る。
三人が賽銭箱に硬貨を入れると森川が紅白の綱を引いて鈴を鳴らす。
三人は柏手を打ち、神妙な面持ちで手を合わせた。
すると鏡子の耳に声が入って来る。これは参拝客の神への祈りの念だ。
元々人間である鏡子には、この耳鳴りにも似た現象は未だ慣れない。
それでも聞き届けるのが端くれとはいえ神の仕事だと耳をすませる。
『御前様。武藤が無事に舞いの奉納を終えられるように見守っててください』
これは森川の声だ。
『御前様。今回のお祭りで舞いを奉納することになりました。どうかよろしくおねがいします』
続いて武藤の声。双方とも邪念のない願いに鏡子は和やかな気分になる。
神社へ来るからにはなにかしらの願い事を持って訪れる者も多い。
そしてその中には決して誉められないような、良識に反するような願いもある。
それを聞いたとき、鏡子は毒気に当てられたような嫌な気持ちになってしまうのだ。
願うのは人の勝手だと理解してはいても、できるならばそのような願いは聞きたくないというのが鏡子の本心である。
そうして鏡子は耳をすませていたが、いつまでたっても穂高の声だけは聞こえなかった。
どうしてだろう、と鏡子が思っているあいだに三人は合わせていた手のひらを離して雑談に戻って行く。
聞き逃したのかもしれないと鏡子は思ったが、一方でそうではないとなぜか確信めいた考えを抱いていた。
「ちゃんとお願いしといたぜ」
「わたしも。きっと上手くいくよ、武藤さん」
そう微笑んで言う穂高の姿に鏡子はひっかかりを覚える。
なぜそう思うのかまではわからなかったが、直感的にあまりよくないと鏡子は思った。
鏡子は陰から出て本殿に立つ。そこから三人を見下ろす。
当然ながら三人はそこから人ならざるものが見ているなどとは露知らず、談笑しながら神社を後にした。
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