第12話 接近06

 もともと渉さんはいつも笑っていて、あまり表情が読めないタイプだ。でも今日は珍しくその仮面が外れた気がする。あんな無表情は初めて見た。それだけ本気ってこと?


「……」


 ふいにテーブルの上でコトリと小さな音が鳴った。その音に顔を上げて見れば、缶の珈琲が一本置かれている。それを置いた人物を目で探すと、少し離れた場所で椅子に腰かけ、彼は同じものを開けているところだった。


「藤堂?」


 僕の視線に気づきこちらを見た藤堂は、ひどく困ったような表情を浮かべ小さく笑った。こちらへ近寄ってくる気配はなく、黙って珈琲を口にして、視線を床へ落とす。

 いつもならどんなに咎めても、藤堂は傍に寄って来るのに――そう思って、少し胸の奥でざわざわとした変な違和感を覚えた。


「つり橋効果、か。まあ、一理あるけど」


 ある日突然告白されて、予想もしない出来事に動揺して、断る隙も与えず考えてくれと言われた。クールダウンする暇もなく、そうしたらもう頭の中は藤堂のことだらけで、驚いたドキドキと恋愛のドキドキと、脳みそが勘違いしてたりするのだろうか。

 ふと、以前聞いた言葉を改めて思い出した。


「もしかしてこれか?」


 気がついたらトラップに引っかかってる――片平が以前言っていた言葉だ。

 要するに自分はもう最初っから引っかかってたってことだよな。色んな出来事を畳みかけられて、流されてたってことなのか?

 思わず低く唸ってしまう。でも多分きっとそうなんだろう。それは先ほど見せた藤堂の動揺で明らかで、最初っから藤堂はそのつもりだったわけだ。


「それに気づいたからって、今更どうすればいいんだ」


 藤堂と距離を置いて、冷静に落ち着いて考えたら本当の気持ちってものがわかったりするのか?

 ただ勢いに流されてるだけじゃない?

 優しさにほだされてるだけじゃない?


「わかるか!」


 自問自答していた僕は、思わず自分自身に突っ込みを入れてしまった。

 大体いま現在だって藤堂に対してよくわからないのに、本当もなにもない。加えて渉さんのことなども考えるなんて到底無理だ。これ以上考えたら頭が悪くなりそうだ。


「藤堂」


 離れた場所でこちらを窺っている藤堂を呼ぶ。


「……」


「藤堂、ちょっと」


 こちらへ来るかどうかを躊躇っている彼の名をもう一度呼んだ。するとゆっくりと立ち上がり、藤堂は僕の目の前で立ち止まった。


「先生?」


 戸惑う藤堂をよそに、僕は目の前の両手を掴み引き寄せた。そしてそれにつられるように一歩足を踏み出した藤堂と僕の距離が縮まる。藤堂は驚きに目を丸くしているが、僕はそれは気にせず彼の身体に頭を預けた。触れたい、そう思うのはなぜだろう。でもいまなら、なんとなく普段の藤堂の気持ちがわかるような気もした。

 ああ、そうか――きっと、安心したいんだ。


「好きだとか愛してるだとか、なんかよくわからなくなってきた。藤堂はさ、なにがよくて僕を好きだなんて思ったんだ?」


「……」


 僕の問いかけに、一瞬藤堂が息を飲んだ気配を感じた。いつもなら迷いなく僕を抱き寄せる藤堂の手は、だらりと力なく下を向いたままだ。しばらく頭を預けたまま僕が目を閉じていると、わずかに藤堂の身体が身じろぐ。


「わからないって言ったら怒りますか」


 沈黙を破り呟いた藤堂の言葉に耳を疑う。


「は?」


 僕は藤堂が発した言葉を理解できず、顔を上げて眉を寄せた。けれど至極真面目な顔をして彼はこちらを見ている。


「いまは、お人好しで少し騙されやすかったり、真面目な癖に大雑把で面倒くさがりだったり、誰よりも生徒に対してまっすぐで優しかったり、そんなところが可愛いと思うし、素敵だと思うけど。自分でもわからないんです。先生を、あなたを初めて好きだと思った瞬間……それがなぜなのかわからなかった。気になり始めてからあなたを知りたいと思った」


 言葉を紡ぐたびに藤堂の声が小さくなっていく。いつもはまっすぐにこちらを見る目が伏せられて、その目はこちらを見ずにじっと床を見つめる。 


「確かに、いままでほとんど話をしたことないですし、気の迷いだと言われても仕方がないかも知れません。でも――俺があなたを好きだと思う気持ちに、理由は必要ですか?」


 ただ気持ちを知りたかっただけなのに、藤堂は傷ついた顔をした。普段はこっちが慌てふためいてしまうほどの余裕を見せる彼が、いまにも折れてしまいそうで、聞いてはいけないことを聞いてしまったのだろうか。

 気づくといつも自分は彼にあんな表情をさせてしまう。彼は自分といると不安そうで、寂しそうで、いまにも泣きそうな顔をする。なぜそんな風にいつも不安そうな顔をするんだろうかと、そう思うけれどその理由は見つからなくて、どうしたらいいのかわからなくなる。そしてその表情に自分はひどく弱いのだ。藤堂の顔を思い出すたびに胸が痛い。




「おーい、佐樹? 戻って来い」


 突然耳元で大きな音が響く。

 その音にはっとして顔を上げれば、両手を合わせこちらを見ている見慣れた顔があった。それに気がつくと、途端に周りの騒がしさが耳に届き始めた。ざわざわと人の話し声がするここは、店は古いが料理が美味い、行きつけの馴染みある居酒屋だ。


「あ、悪い明良、なんだっけ? 聞いてなかった」


「ったく、人のこと呼びつけといてなんだ……って、なんとなく事情は渉から聞いたけどな」


 大ジョッキになみなみと注がれたビールを一気に飲み干し、明良は大袈裟に息を吐いてそれをテーブルに戻した。

 九条明良――彼は、僕の中学からの腐れ縁。親友と呼べる友達であり、渉さんを自分に紹介した人物でもある。


「あの野郎、絶対に佐樹は駄目だって言ったのに」


 元からキツイ印象の目を細め、ここにはいない渉さんへ明良は悪態をつく。愚痴愚痴と文句を呟きながら目の前の焼き鳥を咥え、引き抜いた串を串入れに放り込み明良は手を上げた。


「おーい、こっちに生!」


 顔なじみの店員に明良が手を振ると威勢のいい返事が返ってくる。


「もともと明良と同じ類だったんだな、渉さんって」


 明良の言葉からようやく理解ができてきた気がする。眉間を押さえ軽く指先で揉むと僕は大きく息を吐いた。

 この親友は昔から男にしか興味を示さない、いわゆる同性愛者だ。彼のおかげでそれに対する偏見はまったくないのだが、まさか自分が渦中に置かれるとは夢にも思わない。


「あ、そうそう。なんせ出会いがRabbitだからな」


 ビールを持ってきた店員に片手を上げて、受け取ったそれを口にしながら明良がこちらを向く。

 Rabbitとは明良たちが通うBARの名前で、そういった出会いを求めて集まる人がほとんどらしい。一度ものは試しと、面白半分に連れられていったことがあるが、一人では絶対に足は踏み入れることはないだろう。けれど店主は豪快だけれど面白い人だった。


「人のケツを狙いやがったから、逆に喰ったのが出会い?」


 さらりと言った明良の言葉に開いた口が塞がらない。一瞬、不覚にも二人の並ぶ姿を想像してしまい肩が落ちた。渉さんも整った顔立ちをしているが、明良も例に漏れず男らしい精悍な顔立ちをしている。明るい茶色の髪がキツイ印象を与えやすい明良の顔立ちを柔らかく見せていた。

 二人とも見た目がいいだけになんとも言葉に詰まる。


「なんで僕なんだ」


「は? なに、まだ佐樹は自分の見た目気にしてんの」


「悪いか」


 気にするなというほうが無理な話だ。いま目の前にいる明良を筆頭に、なぜか自分の周りはやたらと顔のいい男が多い。そんな状況でコンプレックスにならないほうがおかしい。

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