第11話 接近05

 渉さんの反応に気づいて僕も首を傾げようとした瞬間、身体が勢いよく後ろへ引っ張られた。よろめき身体が後ろへ倒れると背中が温かな壁にぶつかる。


「と、藤堂?」


 背中に触れたその感触に慌てて振り向けば、藤堂が目の前に立つ渉さんをじっと見ていた。しかしそんな状況よりも、後ろから回された藤堂の腕が強く僕の腰を抱き寄せ離そうとしないことに慌ててしまう。


「ちょ、藤……」


 背中に感じる藤堂の体温に自然と心拍数が上がっていく。このままでは動揺を隠しきれない。いや、そもそもなぜこんなにも動揺しているのか。そんな自分がわからなくて、さらに頭がパニックを起こした。けれど再び藤堂の名を呼ぼうとしたら、ますます腕に力がこもりそれを遮られる。そしてそれに比例して藤堂の顔が険しくなっていく。

 もしかして怒ってるのか? 藤堂の表情はもはや不機嫌どころではない。睨みつけるように渉さんを見つめる、その表情に戸惑いながら僕は藤堂と渉さんを見比べた。


「佐樹ちゃん。このイケメンくんは誰?」


 驚きの表情のまま藤堂を見ていた渉さんは、ふいに僕に視線を落とし首を傾げてきた。


「あ、彼は……藤堂はうちの学校の」


 生徒だ、と言う前に渉さんがぽかんと口を開ける。


「え? 佐樹ちゃんって高校の先生だよね。この人も先生なの?」


「違う、藤堂はうちの生徒」


「学生? 高校生?」


 渉さんは大きく瞬きを繰り返し何度も僕と藤堂を見比べる。けれど彼の驚きはよくわかる気がする。僕だって初めて会ったら同じ反応をしそうだ。しかしそう思い、苦笑いを浮かべていた僕の心とは裏腹に、渉さんの口から出た言葉は予想もしない単語だった。


「ああ、そっかよかった。佐樹ちゃんの彼氏ってわけじゃないんだ」


「は?」


 一人納得したように笑った渉さんを僕はあ然として見つめた。なにかいま聞き間違いをしたような気がするのだが――。


「あいつが佐樹ちゃんに手ぇ出したら殺すなんて言うから、ずっと我慢してたのにさ。知らないうちに、誰かのものになってたのかと思って焦っちゃった」


 聞き間違いではなかった。

 そして背後で微かに舌打ちが聞こえたかと思えば、寒気がするほど黒いオーラが立ち昇り始め、恐ろしくて振り向けない。時々見せる藤堂のこの負のオーラは、普段穏やかな分だけ、藤堂の本気が見えた気がして正直言って怖い。

 あはは、と軽い調子で笑った渉さんとその気配のあいだに挟まれて、僕は引きつった笑いを浮かべることしかできなかった。

 なにがどうなっているのか、誰か説明して欲しい。しかし僕の困惑と動揺を察してくれる人物は、残念ながらここにはいないらしい。

 三人のあいだに奇妙な沈黙が続く。次第にその沈黙に耐えきれなくなってきた僕は、後ろに立つ藤堂の腕を掴み引き剥がそうと試みた。けれど予想を裏切ることなく藤堂の手はそこから離れず、逆にもう一方の手で握られ、僕の手は押さえられてしまった。

 結果、僕は藤堂に抱きかかえられるようなかたちになってしまう。


「おい、違う。離せって」


 抱きしめられている状況に、また心臓の鼓動が早くなる。


「嫌です」


 けれど耳元で微かに聞こえた藤堂の声には、先ほど渉さんに対して見せた怒気を孕ませた鋭い雰囲気はなく、蚊の鳴くような小さな声だった。

 僕は慌てて藤堂の顔を見上げる。なにかを堪えるように、ぎゅっと目を閉じる藤堂の表情に胸がきゅっと締めつけられた。こんな時になんでと思ってしまったが、それでもなんだか必死な顔が可愛くて仕方がなかった。


「藤堂?」


 呼びかければ、しがみつくようにぎゅっと腕に力を込める。


「嫌です」


「そうじゃなくて」


 頑なに力を込める藤堂をなだめるように、僕は笑みを浮かべあやすみたい優しく頭を撫でた。すると閉じられていた藤堂の視線が、まっすぐに僕を見下ろした。

 それは視線をそらすことさえ許されないような強い眼差しで、思わず心臓が跳ねる。次第にそれに捕らわれた気分に陥り、頬は熱くなり、鼓動もさらに早くなる。


「うっわあ、かなりジェラシー」


 僕らの様子を眺めていた渉さんが、台詞を棒読みするようにぽつりと呟いた。その言葉に慌ててそちらへ視線を向けてみれば、珍しいほどの無表情で渉さんは目を細めている。

 けれど僕の視線に気づき彼はまたいつものように笑う。


「ねぇ、佐樹ちゃん。これからはそいつだけじゃなくて俺のことも意識してよ」


「は?」


 正直言っている意味がわからない。思いっきり訝しげに首を傾げると、渉さんは不満そうに口を尖らせる。否、わかりたくないのに渉さんは大きくため息をついて、僕に指先を突きつける。


「だ、か、ら、俺も佐樹ちゃん好きだから、と言うかむしろ本気で愛してるから、そういう相手として意識してよ」


 呆然として見ている僕の前で身体を屈め、渉さんは顔を寄せてくる。言葉の意味を飲み込めずに固まっていると、さらに彼の顔が近づいてきた。けれど――。


「お断りします」


「え?」


 突然はっきりとした拒絶の言葉が背後から聞こえ、目と鼻の先まで近づいていた渉さんに僕が気づくのと同時か、あっという間に身体を押され僕は大きな背中の後ろに追いやられた。


「藤堂?」


 その背中が藤堂のものであると認識するまでに数秒要した。


「いやいや、それはずるいよね」


 藤堂の向こうで渉さんは不服そうな声を上げる。


「いつから佐樹ちゃんにくっついてるのか知らないけど。佐樹ちゃんのうっかりに便乗してない?」


「うっかりってなんだ!」


 あまりの言いように思わず突っ込まずにいられない。確かにちょっと藤堂の勢いに押されてる、そんな気はしているけど。しかし渉さんは僕の話を聞いていないようで、じっと藤堂のほうを見ている。


「君のそれはある種、つり橋効果だよね。学校っていう小さい箱の中で、突然生徒に告白なんてされたらドキドキしちゃうもんね。しかも教師と生徒っていうシチュエーションのほかに男同士っていう禁断な感じ? 君はムカつくくらいに男前だしさ、ちょっと興奮しちゃうよねぇ」


 肩をすくめ藤堂を見つめる渉さんの言葉に、目の前の肩がびくりと跳ねるように動く。その反応を渉さんは見逃さなかった。ふいに満足げな笑みを浮かべて、藤堂の背後にいる僕を覗き込んだ。


「佐樹ちゃん、よく考えてね。俺は本気だから、いつでも連絡して」


 片目をつむり微笑んだ渉さんは、僕のシャツのポケットに名刺を差し込んだ。瞬きを忘れて立ちすくんでいると、背後でエレベーターの扉が開く音が聞こえる。

 通り過ぎる間際、肩を叩かれ我に返れば、渉さんは手を振りながら扉の向こうに姿を消した。階下へ移動していく数字の光を目で追いながら、僕はやっと現実に戻った。


「先生?」


 不安そうな藤堂の声に僕はゆっくりと振り返る。でも頭が真っ白でなにも気の利いた言葉が浮かばない。


「悪い、ちょっと落ち着くまで待ってくれ」


 藤堂はなにかを言いたそうな顔をしていたが、いまは正直頭がついていかない。目端に留まったテーブルと椅子が置かれた休憩スペースまで歩いていくと、僕は椅子を引きそこに腰を下ろした。急に疲れが押し寄せて肩が落ちる。


「疲れた」


 とにかく本当に疲れた。

 ほんの十分、十五分程度の出来事のはずなのに、すごく神経がすり減った気がする。長いため息が身体中の空気を外へと押し出した。


「なんで渉さんまで」


 彼の言葉を思い出し、なぜか頭が痛くなってきた。自分の許容範囲以上のことが起きているからだろうか。前々からスキンシップの激しい人だと思っていたが、案外誰に対してもそうだったから気にも留めていなかった。

 なにがどう違ったんだ? あの人の好きがよくわからない。からかわれているのだろうか。

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