第3話


 ――翌日。


 段ボール箱を開けると、八束は驚いて思わず声をあげた。

「うわっ……お前どんだけプロテイン飲む気だよ」

「プロテインじゃねーし。てか人の荷物勝手に開けないでよ!」

 海鳴が近寄り八束を見下ろしながら、箱の中に目を向けると――

「? あ、それ手紙じゃない?」

 八束は「ん?」と言って、箱の隅に貼り付いていた白い封筒を手に取り、振り向き様に海鳴に渡した。

「ほらよ」

 手紙を受け取り――

「これあんた宛だよ」

 海鳴は八束に渡された手紙の封を開け、紙を拡げて一言呟いた。

「は?」

「蔀さんから」

「うえぇ……マジかよ……」

 ――弟に手書きの手紙なんて女子かよ。恥ずかしさ通り越して、何この感情。八束は苦い顔をした。嫌悪感こそ抱いてないどころか、彼は今時、手紙という古風な物を兄である蔀から貰い、情緒が萎縮してしまった。蔀に対してはずっと小学校低学年の頃から喧嘩の相手すらしてもらえなかった為故に。


 手紙の文面は――

  

『海鳴は組織の重鎮のコピー人間である。肉体は通常の人間とは違い、未熟であり不完全だ。自宅に届いた栄養材と水以外は絶対に与えるな』


 ――であった。

  

「……与えるな……って餌付けする飼い主みてぇな言い方すんなや」

「え? 飼い主? ……な、なんて書いてあったの?」

 海鳴が八束の顔を覗き込むように、上から見下ろしながら言った。目が合った八束はふと、海鳴の瞳を捉えた。


 ――あー確かに、犬みてぇ…。


「……?」

  

   ***

  

「お前さ……施設ではずっと一人だったの? クローンてみんなこんな感じなの?」

「いや……俺だけだと思うよ」

「お前だけ……?」

「こんな感じってのは人柄の事言ってんの?」

「あぁ…なんかすぐ俺に馴染むっつうか慣れるっつうか……昨日のアレみてぇに――」

 ――重鎮のコピー人間……か。てか重鎮って誰?

「あははっ。アレね……別に年齢気にしてないよ? 本当は十七になってからって話を聞いてたんだけど……。クローンてさ、施設で皆教わることが一つあるらしいんだよね……性教育の事で。まぁ言えない事なんだけど。その……つまり、最終的には恥ずかしいって思ってそういう行為受け入れてないんだ。俺だけじゃなくて」

「え!? マジで言ってんの? お前人間だと思ってねぇの? 自分のこと」

「んー……そう言われるとねぇ……見た目は同じだけど何か違うよ。俺だけに当てはまることは、その手紙の内容なんじゃないかな?」

「ん?……あぁ……そっか……」

 八束は不意に、海鳴の返事の仕方に知的なものを察した。

「俺の事書いてあったんだろ? その手紙」

「あ、あぁ」

「言っとくけど、見た目で人柄判断しない方がいいと思うよ」

「何でそう断言できんだよ」

「へへ……俺、頭いいから」

 と言って満面の笑みを浮かべた。

「……んだよそれ。……つうか当たり前よ。見た目じゃ判断できねぇことの方が多いぜ。再生された人間だけじゃなくてな」

「再生された人間……か」

 海鳴は何気なく呟いた。その言葉を聞いた八束はふと過去を振り返り、思い詰めた表情を見せた。彼の脳裏に一瞬、白髪の長い髪の人物の笑顔が過った。そして、もう一人――。かつての仲間の一人にも白髪頭の長身の男の面影が。

「……」

「……あ、栄養剤。いくつかダンボールに入れなくちゃ……」

 と言って、ダンボールの中から何個かガゼットパウチを取り出し、腕に抱える。

 その動作を繰り返している海鳴の傍で、八束は語り出す。

「俺の昔の仲間の一人がさ、ヤクザに撃たれた後、生き返ってさ……生前の記憶辿って……俺と付き合ってた奴の恨み買っちまって……――」

 すると海鳴が冷蔵庫を閉めて、しゃがみ込む八束の目の前に立ち――

「今……話すの?なんか長くなりそうな予感がするんだけど?」

 上から彼を見下ろし、無垢な表情を見せた。

「?」

 海鳴を見上げると、彼の姿が一瞬、一回り大きな大人の様に見えた。

「いいよ、無理に喋らなくても。『本気で』話したい時に話してくれない?」

「何だよ……慰めてるつもりかよ、それ」

 八束は、海鳴の穏やかな声で、過去を一括りに宥められた。


   ***


「なぁ、海鳴……」

「ん? 何?」

「栄養剤と、水以外は飲めねぇ体なんだよな?」

「……うん。そうだけど?」

「……」

 八束は黙ったまま、目を細めて、海鳴のある箇所に焦点を合わしていた。海鳴は、八束のいくつかの表情を、一日も経たない内に把握していた。観察力が養われたのは彼の使命でもある。

 この表情は、性行為をしたい時に見せる顔だ。

「どこ見てんの? 八束?」

 少し顔を赤くしながら声をかける。

「ふ……ク……ハハッ……」

 ――じゃぁ……アレは?


 八束は良からぬ妄想をする。海鳴の股間に目を向けていた。

 八束の不意に見せた欲情にかられる瞬間のにやけと――でれでれした笑い声。


 その声を聞いた海鳴は――

「な、何?」

 少々、胸が熱くなっていた。

 ――何だ? 俺、八束の全てに性的魅力を感じてるのか?

 ――抱かれたことを好いてる自分がいんのか?

 ――今度は……何を期待されているんだ?

 彼が頭の中で気持ちを整理している間に、八束は立ち上がり――

「俺、お前の欲しい……」

 低く艶かしい声で、海鳴の耳元に囁きながら、彼を優しく抱擁する。

「……ッ!?――」


 ――え? 今、な、何て?

 八束の甘い声に胸がきゅうっと締まる。色っぽい。欲情にかられそうになる。

 昨日、初対面で、したばっかりなのに――。

「栄養材と水以外ダメでさ……コレは?」

 そう言って海鳴の胯間をまさぐり始めた。

「や……ちょ……な――ッ!」

 ――この人今まで何してきたんだ? まさかコレを飲むとか言ってんじゃ――…。

 二人は体を密着させたまま、ベッドへ倒れ込む。海鳴は八束に押し倒されてしまった。

「うわああぁ……ちょ、ちょっと!?」

 八束は海鳴のTシャツをまくり上げ、身体中に軽い口づけを繰り返す。ズボンに手を掛ける。

 そのまま下着ごと太ももまでずり下げた。目を閉じながら、片手で激しく海鳴の性器に刺激を与えていた。

「ハァ……海鳴、ゴメン俺……我慢できねぇ……ハァ……」


 ――性欲が抑えられない。昨日初めて抱いて、今日も――…。


 八束が他人の性器に触れる時に目を閉じた訳は、目の前の海鳴ではなく、違う相手を想像していたからだ。彼は過去を引き摺っていた。


「ちょ……あんた舐める気? 頭おかしいだろ! 頭上げろよ!」

 無防備の状態でも、必死に海鳴は思ったことを厳しく伝える。

 何もかもが初めてのことで困惑していたが、その半面、この行為を必死に理解しようとしていた。

「ぁあ? じゃテメェは飲めんのかよ? ――っ飲まされたことあんのかよ!!」

 目を閉じたまま眉間に皺を寄せた八束の喚き声に一瞬目を丸くする。だがすぐ反抗する。

「ッ――馬鹿っ! こんなこと……何で? 俺がクローンだから?」

 ――そうか、八束は今までやらされてきたから……平気なんだな。

「今は真面目な話、聞きたくねぇんだ。大人しく……俺の中に……――」

 そう言うと、目を静かに開ける。目を潤めながら海鳴のものを咥え、奉仕を始める。我を忘れて、しゃぶり続けた。

「――ッ……!」

 海鳴は思わず目を瞑る。息をこらえた。

 ――八束の顏……見れない……。こんな……色気ありすぎて。男の顔じゃない。

 執拗にしゃぶられ、赤黒く熱り立った己を見て、海鳴は耳や頬を赤く染める。こんなに自分の性器をまじまじと眺めたことなんか初めてだ。何もかも…初めての衝動だった。八束に弄ばれている下半身から目を逸らし、天井を潤んだ目で見上げていた。八束を直視できずにいた。

 ――うあああ、気持ちいい。ヤバい……イきそう――ッ!

 片腕を額に当てながら、海鳴は息を詰まらせ、口を紡ぐ。声を上げずに、八束の口内へ吐精してしまった。

「……」

 八束は無言のまま口からはみ出た海鳴のスペルマを舐め取る。目が蕩けていた。今、彼の心の中は愛欲に溺れていた。

「――っ!……ご、ごめん八束……」

「……んで……謝んだよ……」


 小声で嘆くと、海鳴の体に覆い被さり口付けをした。

 海鳴は咄嗟に目を瞑り、あえてその口付けを拒否する事はしなかった。その口付けは少し苦かった。

 この味が自分の体内から出される物だと知りながら、口に含んだことは一度だってない。信じられない衝動だった。

 この行為が好きになった相手にすることなのかと、海鳴は考えを巡らせていた。そんな真似が自分には出来るのだろうか。

 八束がどういう人間か少しずつでいいから、わかっていけたらいいと思った。俺はどこか八束を好きになる理由をまだ見つけられないでいる。


 昔も……――今も。


「なァ、今度はお前が俺のこと抱いて。抱きしめて――」

 八束は再び海鳴の口を塞ぎ、彼を抱擁したまま器用に体を反転させ、自分が下になる。

「ン――……え?」

「つまんねぇAV観るより大切な奴と実際やっちゃえばいいんだよ。昨日みてぇによォ……」

「大切な奴ねぇ……あんたが物凄く性悪な人生だったってのは大体想像ついたよ」

「アハハハッ……楽しぃー……ククっ……アハハハ!」


 八束の行儀が悪くも朗らかで馬鹿馬鹿しい笑い声と、海鳴は真摯に向き合っていた。


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