第16話 夢物語


 ウラハは短く呼吸を繰り返しながら全速力で走っていた。『魔女の禁域』を守る花守の手を掻い潜り、白薔薇のアーチをくぐり抜け、多様の草花が織りなす庭園を駆けていると見知った銀髪が見えた。


「——サクラ!!」


 喉が裂けんばかりにその名を呼べば、サクラは嬉々とした表情を浮かべて振り返る。ウラハが自力で無限監獄を脱獄することをわかっていたようだ。

 そして、その向こうにはサビの姿があった。


「サビ、兄様」


 肩で大きく息を吐き出しながら、ウラハはサビの顔色を伺った。いつもなら太陽のように笑いかけて、名前を呼んでくれるのに、今は自分を羽虫のような目で見下ろしてくる。


「……ウラハ」


 絞り出した声はいつものように明朗快活なものではない。重く、濁っており、サビが怒っているのか泣いているのかも分からない。

 ウラハは、サクラの側に近づくと目尻を吊り上げて長兄を睨みつけた。


「サビ兄様、これはどういうことですか」

「この国のためだ」

「マツバ兄様を殺したのは本当なんですか」

「魔力を集めなければならないからな」

「どうして……」

「ウラハ、お前は今まで何を見てきた?」


 鋭い眼光がウラハを射抜く。


「この国が豊かになったのは始祖様が庭園で眠っていたからだ。その恩恵があり、この国はここまで発達した。しかし、近年になり魔力の源である魔素が減少し、国境間近の村では食物は実らず、川も枯れ果てつつある。それがどういう未来を暗示していると思う?」

「僕が、サクラの眠りを解いたから、国が滅びる……」


 違う、とサクラは口を挟む。


「私の魔力はもうじき無くなる。遅かれ早かれ、こうなっていた。君のせいではない。それはサビ皇子も分かっていたことだ」


 サビが魔力を集め始めたのはサクラが起床する何年も昔。未来予知なんて高度で、変則的な魔法を魔力量が少ないサビが使えるわけがない。国民の声に耳を傾けて、研究所の資料を読み込んだのだろう、と口にする。

 その通りだと言いたげにサビは深く頷いた。


「……サビ兄様は、なにをしようとしているの」

「この国を救う。そのためにウラハ、お前が必要なんだ」


 意味が分からない。この国のため、この国を立て直すために自分が必要だなんて。ここ最近になって、やっと魔法が使えるようになった自分ができることなんて何一つないのに。ウラハはかつての自分と同じ、不安げな緑眼でサビとサクラを交互に見つめた。


「彼は他人の魔力を集め、君を依代よりしろにするつもりだ」


 依代——つまり、始祖であるサクラの身代わり。

 サビの考えをようやく理解したウラハはさっと顔を青くさせた。


「ウラハ、お前はこの国が好きだろう? 自然豊かで魔法に満ち溢れたこの国を! お前が支柱となるだけでこの国はこの先も幸せが続くんだ!」


 生まれつき膨大な魔力を持ち、与えられても耐えうる肉体うつわを持つウラハだからこそ、サクラの身代わりが務まる。僥倖ぎょうこうだろう? とサビは歪んだ笑顔をウラハに向けた。


、魔力が枯渇しないように回収する方法を確立しなければいけないが、確立さえすれば魔力をお前に移して、それが千年樹によって国全体に広げることができる。永久機関の完成だ」


 サビは笑顔を人好きのするものに変えるとサクラを見た。


「始祖様は千年近く、この国を支えてくださったのだ。また、人身御供となる必要はない。じゃあ、次は誰だ?」


 つい、とサビは視線をウラハに移す。器用にも笑顔はまた歪んだものとなる。


「次はお前の番だろう? 役立たずが国の英雄となれるのだぞ。よろこべ」

「……英雄」

「ウラハ。民は皆、お前の行動を褒め称えるだろう。お前が眠りについても私は毎日、会いに行く。眠っていても寂しくはない」


 一転してサビは甘やかな声で囁いた。砂糖菓子が溶けたようなその声は優しい毒のようにウラハの思考を絡めとろうとする。


「ウラハ、自分をしっかり持て」


 その毒を振り払ったのは、凛とした、サクラの声だった。


「でもっ」

「君は依代になりたいのか?」

「……なりたくない」

「なら、前を向け。視線をそらすな。君の人生を決めるのは兄ではない」


 その言葉に背を押されて、ウラハは前を向く。さっきまでは不安で仕方なかったのに、サクラがいると不安よりも安堵がまさる。


「僕は、依代にはならない」


 ウラハはこの国が好きだ。国民達がどれほど自分を小馬鹿にしていたのかは身を持って知っている。力をつけたことでくるりと手のひらを返し、称賛の言葉を口にする姿もしっかりと見てきた。

 けれど、それでもこの国を嫌いにはなれなかった。


「兄様、この世に永久なんてないんだ。どんなものでもいつかは風化して崩れ去ってしまう。僕が依代になり、それによって国がこの先も栄えることはないよ」

「お前は本当に馬鹿だな。我が弟ながら、どうしてそうもお花畑なのか理解に苦しむよ」

「他の国のように魔法ではなく、科学を発展させようよ。生まれ持っての魔力量でしかその人を測れないより、もっと平等な、幸せな国を作っていこう」

「平等なんて夢物語だ。桜皇国が世界一と言われるのは魔法があってこそ!」


 サビは両手を広げながら、芝居がかった口調で続ける。


「今更、科学に力を注いでももう遅い。他国ははるか昔から発展していった。この国はどうだ? 千年もの永き間、ずっと魔法に頼りっぱなしだったではないか!」


 ぐっ、とウラハは言葉に詰まる。長兄の言っていることは正しい。他国との関係が良好なのは、桜皇国が魔法を所有しているからだ。それが無くなれば、この肥沃ひよくな大地を求め、各国がどう動くかなんて赤ん坊でもよく分かる。

 ウラハが考えあぐねていると、サクラが腰に手を当てため息を吐いた。


「貴方は誰よりも王に向いているよ。確かにこの国を守るためなら、ウラハ一人を犠牲にすればいい」

「始祖様にお褒めいただけるなんて光栄です」

「けれど、私は大嫌いだ」


 サクラは吐き捨てると嫌悪が宿る目でサビを睨みつけた。


「アヤメの子孫とは思えないな。アヤメはいつも夢のような話を語り、実現させていた。いつか、この大地を草花で埋め尽くしたいという突拍子もない言葉も千年が経つ今はこうだ」


 命芽吹く花庭はもちろんのこと、この国は植物と共存している。どこかしこにも花が咲き誇る光景など、目が覚めるまでなかったものだ。


「アヤメの子孫ならば夢をみるべきだ」


 サクラは両目を細め、笑う。夢を失った子供を嘲笑うように——。

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