第9話 こんなはずじゃなかった


 最近のウラハは絶好調だ。

 それがマツバは楽しくない。末弟はいつもおどおどして、少し意地悪を言えば泣きそうになる。さらに意地悪をすれば、その場から逃げ出して膝を抱えて泣き続ける。周囲の視線を気にして、背中を丸めてうつむく。


 それが、ウラハだ。


 馬鹿で落ちこぼれ、皇族の面汚し——そんなウラハが魔法学の教師に「力の制御ができている」と褒められ、剣術学の教師には「将来が楽しみですね」と期待を寄せられる。庭師や使用人達も昔は小馬鹿にしていたのに今じゃ「誰が王位を継ぐのかしら?」と噂話に花を咲かせていた。

 あの父王ですら、最近のウラハを認めている節がある。母を殺したウラハを憎んでいたくせに。

 これも全てあの侍女のせいだとマツバは分かっていた。


「そうです。力の流れを意識して、反発するんじゃなく受け流すように」


 中庭ではウラハが魔力操作の特訓をしていた。その横にはさも当然といわんばかりに地味な侍女が陣取り、魔力の使い方を指示している。

 教師でもない、ただの平民。それもど田舎出身の女に指図され、素直に言うことを聞くウラハを見てると胃がムカムカしてくる。皇族としての品位を保てと怒鳴りたくなる。


「おい、ウラハ!」


 気がつけばマツバはウラハの元へ歩み寄っていた。


「あ、マツバ兄様。こんにちは」


 ウラハはくるりとした大きな瞳でマツバを見つめた。昔ならマツバと目を合わせるなんてしなかった。話しかけられたら肩を跳ねさせ、震えていた。

 それなのに今は真っすぐ目を見て、落ち着いた声音で応答する。

 ——やはり、楽しくない。

 だって、あのウラハなのだ。馬鹿で落ちこぼれ、勉学を頑張っていても全くと言っていいほど身につかない屑の凡愚。存在自体うっとうしい。


「お前、頑張ってるな」

「あ、ありがとうございます」


 褒められたのが嬉しいからかウラハは頬を赤らめ、嬉しそうに笑う。

 その表情も気に入らない。いつも怯えていた癖に、泣いていた癖に。なぜ、マツバに褒められただけで笑顔を浮かべるのだろうか。


「俺と戦おうぜ」


 えっ、とウラハは声をあげる。


(やはり、低能だな)


 少し気分が高揚した。やや怯えた顔に、震える声。昔のウラハを思い出す。


「俺と戦おうぜって言ったんだ」


 語気を強めるとウラハは気まずそうに視線を彷徨わせた。またもやマツバの気分は高揚する。


「お前、頑張ってるし俺が試してやるよ」

「で、でも」

「あ? 嫌なのかよ」

「嫌じゃなくて、その……皇族の決闘は規則違反だから」


 マツバは吹き出した。戦おうといったが決闘、つまり自分と対等の戦いができると思っていることが憐れで、面白い。

 笑いは止まらず、腹を抱えてうずくまる。大層な自信だ。王族の面汚しの癖に、マツバと対等だって? そんなこと、絶対にありえないのに!


「はは、……あーっ、おっかしいなぁ」


 息を繰り返し、たかぶりを抑え込む。


「俺の言い方が悪かったな。戦いじゃない、指導だ」


 そう、これは指導だ。も指導の一環。結果、ウラハが死んでしまってもそれは不幸な事故だ。


「魔法も剣もなんでもあり。相手に『参った』を言わせた方が勝ちだ」


 どうせ、その言葉を口にするのはウラハだ。自分ではない。




 ◇◆◇




 マツバは信じられなかった。現実が受け止められなかった。


(なぜだ!)


 ウラハは馬鹿で落ちこぼれのはずだ。


(なぜ、どうして!)


 屑で凡愚、皇族の面汚しであるはずなのだ。


(なんで俺が負けそうなんだ?!)


 下等な存在のウラハが、自分を、剣の才は長兄を越えると言われた自分を追い込んでいる。電気を帯びた刀を振り下ろしてもウラハは雷ごと刀を滑らせ、炎纏う拳を腹に叩き込もうもしてもウラハは氷で覆った手で受け止める。植物で足を縫い止めても風の刃で断ち切られ、水の弾丸で心臓を貫こうとするが金属の鎧で弾かれる。

 魔法の精度も操作も、全てウラハが上回っている。


「糞! 糞!! 糞が!!」


 早口で詠唱を唱え、覚えている魔法全てを発動させてもまるで赤子の手をひねるように覆される。

 騒ぎを聞きつけた使用人が庭園に集まっているのが見えた。兄と姉、あの父王ですら驚いた目で見ていた。


「違う!」


 違うんだ! マツバの慟哭が庭園の隅々へ響き渡る。これはマツバによる一方的な蹂躙じゅうりんだったはずだ。泣いて助けを乞う弟を嘲笑うための戦いだった。


 それが、なぜ自分が追い詰められているのだろうか。周囲の冷たい視線を浴びたマツバが焦りに駆られ、再度、刀に電気を帯びさせ、風で勢いを増した刃を弟の白い首に落とそうとするが、


「——そこまでです」


 刃は宙で止まった。電気が走る音と風が渦巻く音と共に。


「失礼を。これ以上、続ける必要はないと判断しました」


 侍女が終わりを告げると周囲から拍手が湧き上がる。


「ウラハ様はすごいな」

「ああ、あの魔法の使い方、誰に習ったんだ?」

「これは誰が皇王になるか分からないぞ」


 誰もがウラハの成長を褒め称えた。

 対称に、大口を叩いた癖に弟に負けたマツバを見る目は冷ややかだ。


「ウラハ様、お疲れさまでございます」

「ねえ、どうだった! サクラの言う通りにして見たんだ」


 喜々とはしゃぐ弟の声が耳障りだ。侍女を見つめるその目が、存在が——。


「きゃ! 誰かマツバ様を止めて!!」


 使用人の一人が叫んだ。その叫びに人々はマツバを見る。


「屑のくせに、ウラハのくせに! 生意気なんだよ!」


 刃がウラハの首を掠めた。白い肌に赤い線ができ、血が伝う。

 ウラハが痛みに顔を歪め、首を手で覆った。マツバを見る目には恐怖が宿る。


(ああ、そうだ。お前はそれでいいんだ!)


 お前は一生、震えているのがお似合いだ。


「さすがに看過できませんね」


 再度、その首を狙って地面を蹴り上げるマツバの耳に絶対零度の声が聞こえた。侍女も道連れにしてやろう、そう画策するが気付いた時にはマツバは大地に伏せていた。


「主人を守るのも侍女の務めでございます」


 薄れていく世界の中、侍女は熱がこもらない目でマツバを見下ろし続けていた。

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