第8話 第一皇子と第三皇子


 生地屋では黒の布と縄を、本屋では歴史書を購入した二人は桜皇国三景のひとつに挙げられるヒスイ公園を訪れていた。その名の通り、砂利の代わりに翡翠が散りばめられている。

 翡翠=高級な宝石という認識のサクラはその光景を見て驚いた。ウラハに聞けば、桜皇国が所有する鉱山はいくつもあり、その各々で原石がよく取れるそうだ。

 魔素が含まれているものは魔道具や装飾品として高価で取り扱われているが、魔素がまったく含まれていないものはそこらの小石と同等だという。一応、宝石ではあるので捨てるのではなく、こうして砂利として再利用していると聞いて、時代の流れを感じてしまった。


「昔はこのひと粒で家が買えたんだよ」


 緑色の砂利をつまみ上げ、おにぎりを頬張るウラハに話しかけると、リスのように頬を動かしながら「これで?」と信じられないように砂利を見つめた。ウラハにとって綺麗でも魔素が含まれない翡翠はただの砂粒にしか見えない。


「ああ、庶民の家ならこれで二軒か三軒は建てれるだろうね。宝石が石ころ同然なんて、豊かになった証なのだろう」


 足元の砂利に翡翠を置くとサクラは感慨深く呟く。


「いいことか悪いことか、いや、物の価値とは時代によって変わるものだ。これも仕方ないことだろう……」

「やっぱり、昔と違うんだね。サクラの話を聞いてると驚くことばかりだよ。争いばっかっていうのは歴史書で知っていたけど、実際に体験した人の話を聞くと本当だったんだっめびっくりする」

「違いすぎるな。飲み水がこんな綺麗ではなかったし、空気も汚くて肺を病む者が多くいた。寿命も短く、三十年生きればいい方だ。本当に過ごしやすい世界になった。空も地面も、人々も、すべてが歪だった名も無い国とは思えない。まだ夢を見ているような気分だ」

「名も無い国?」


 ウラハはおにぎりを咀嚼そしゃくするのをやめて、サクラを見上げた。夜毎、子守唄と称して昔の歌や話をねだっているが「名も無い国」とは聞いた記憶がない。


「私やアヤメ、フジが勝手に名付けた名前だよ」

「聞きたい!」

「ふふ、いいよ。……この国が桜皇国と名付けられる前、この地には多くの民族が住んでいたんだ。死んだ土地で生き残るのは難しい。彼らは争いあい、各々の民族名を関する国名を名乗った」


 サクラは瞼をおろす。千年が経っても鮮明に思い出すことができる。血肉が焼ける不快な臭い、野太い男達の怒声、逃げ惑う女子供の悲鳴。降り注ぐ矢の雨の中、揺らめくのは各民族が掲げる理想の国旗だ。


「どの民族もこの土地は自分のものと主張していた。何年経っても、何十年経っても争い続けたんだ。それを見ていた私達は〝名も無い国〟と呼んだ。この土地は誰のものでも無かったから」

「アヤメ様とフジ様は敵対してたんでしょ? サクラが眠る前から一緒にいたの?」


 後世に伝わる歴史書には、初代皇王は友好の証として敵対部族、首長の娘を皇妃として迎えたと記されている。


「敵対していたな」

「これも間違っているの?」

「ああ。フジがアヤメに一目惚れをして、敵対してるのに隠れて会おうとしていたんだ。何度も会いに来られるうちにアヤメもフジを気に入ってしまってね。なぜか私も一緒に、彼らの逢瀬おうせに付き合わされたよ」

「歴史書って嘘ばっかなんだね」


 ぼやいたウラハがまたおにぎりにかぶりつこうと、大きく口を開けた時、



「——ウラハ?」



 疑惑が滲む声が遠くから投げかけられた。

 咄嗟にサクラは身構える。声をかけられるまで気配を察知することができなかった。

 王族であるウラハを危険な目に合わすわけにはいかず、サクラはいぶかしむ目で突然、眼の前に現れた男を見つめた。

 年の頃は二十代後半だろうか? 精悍せいかんな顔立ちだがどこか子供のようにあどけないためもう少し若いのかもしれない。ウラハと同じ髪色と瞳の色をしていることから親族であることは容易に想像がついた。少し、警戒を緩める。


「……ウラハだよね?」


 不安そうに青年は問いかけた。その声にウラハは誰か分かったようで嬉しそうにその場で飛び跳ねた。

 その手からおにぎりがこぼれ、地面に落ちる前にサクラは受け止め、包の上に置いた。


「サビ兄様?!」


 サビ兄様と呼ばれた青年は手を大きく横に広げると 駆け寄り、ウラハの細い体を力いっぱい抱きしめた。


「痛いよ、サビ兄様!」


 ウラハが苦言をこぼす。しかし、どことなく嬉しそうである。


「少し痩せたんじゃないか? きちんと食事はとっているのか?」


 抱きしめる腕を解いたサビは心配そうにウラハの肩に手を置くと膝を折り、目線を合わせた。


「食べてるよ」


 ウラハはむくれた顔で反応する。あまり食に対して貪欲ではないウラハは、食べる行為をするのが苦手だ。わからない程度に空腹を満たしているため、摂取された栄養がきちんと全身に行き渡らず、体は細い。その事はウラハも自覚しているがここまで心配されるとは思わなかった。帰城したら食べよう、と心に誓った。


「そうか、食べているなら安心したよ」


 サビは口角を持ち上げ、すぐさま崩した相好を引き締めるとウラハの背後に控えるサクラへと視線を向ける。


「この人は?」


 えっと、とウラハは口ごもる。


(どうしようなんて説明したらいいんだろう)


 説明も何も新しい侍女だと伝えればいいのだが、ウラハは混乱してサクラがかけた記憶操作の魔法について忘れていた。兄が納得する言い訳を頭の中で練り合わせているとサクラが笑顔を浮かべて優雅に裳裾を持ち上げた。


「お初にお目にかかります。つい先日、ウラハ様の付き人となりました。サクラと申します」

「ああ、ウラハの」


 サビは首を傾げた。初対面のはずなのに久しぶりに旧知と会ったような感覚だ。どんなに記憶をまさぐっても、そばかすが散った顔にも落ち着いた声音にも心当たりはない。


「私と会ったことあるかな?」

「いいえ、私は田舎出身なので会ったことはないかと」

「そうなのか。それにしては動作がとても綺麗だね 。貴族の出身かと思っていたよ」

「光栄でございます。礼儀作法を学んだかいがありましたわ。ウラハ様に教えていただいたのです」

「そ、そうだよ!」


 記憶にはないがサクラの言葉に合わせることにした 。とりあえず、サクラに従っておけば問題はない。


「ウラハが? ウラハも大人になったのだなぁ……」


 サビは目を潤ませた。最後にあったのがウラハがまだ七つの時、つまり五年も昔だ。可愛い末弟と離れるのは後ろ髪がひかれる思いだったが、戦争地域にいける皇族はサビだけだった。駄々をこねたが父王は決して許してはくれず、一年で済むと言われた遠征は五年もかかった。

 その間、よく手紙のやり取りをしていたがサビはずっとウラハを幼い子供だと思っていたようだ。


「サビ兄様、僕はもう子供じゃないよ。もうすぐ成人の儀式だって迎えるんだから !」


 桜皇国では男女ともに十三歳が成人である 。酒も結婚も同時に解禁されるため、成人の儀式は盛大に伴うのが主流である。


「分かっているよ。ウラハの成人の儀式に参加するために私は遠征を終わらせて帰ってきたんだから」

「本当に?」


 ウラハは輝く目で上背のある兄を見上げた。遠征に赴いていた先は紛争地域であり、戦争はまだまだ終わりを見せないと聞いていた。まさか自分に会うために遠征を終わらせて来てくれたという事実がとても嬉しかった。

 そこまで楽しみではなかった儀式もサビが出席してくれるとなれば楽しみで仕方がない。どんな衣装を着ようかな? 心を馳せているとサビは「それで」と言葉を投げかけてくる。


「二人は何をしていたんだい」


 この問いかけにサクラが答えてくれると思ったがウラハの予想は裏切られた。サクラは無言で佇んでいる。 両手を組み、口元に笑みをたたえた姿に(そうだった)とウラハは理由を理解した。サクラは侍女なのだ。王族である二人の会話に必要以上、口を挟むことは不敬である。


「サクラは王都に来て間もないから街を案内しているんだ」

「それで、ここか。ウラハはこの公園が大好きだったね」


 サビは昔を思い出したのか両目を細めた。


「懐かしいなぁ。お前が五歳の時に私が抱っこして視察に赴いたことを覚えてるかい?」


 覚えていないのでウラハは首を振った。


「ウラハがあっちに行きたい! 次はこっちに! って言ってね。迷ったことがあったね。まさか公園で迷子になるとは思わなかったよ」


 まさかの暴露にウラハは顔を真っ赤にさせた。サクラに聞かれでもしたら恥ずかしすぎる。後ろをゆっくり振り返ると慈愛を浮かべたサクラがいて、ウラハは慌ててサビの口を閉ざした。こうしなければ、兄はまたウラハの恥ずかしい過去を暴露し始める。


「サビ兄様! 僕達はもう行くね!」

「え、もうかい?」

「案内がまだ終わってないんだ」

「私も同行してもいいかな?」

「サビ兄様も?」

「嫌?」


 嫌ではないが、サクラの前でこれ以上、恥を重ねたくない。ウラハが頷くのを迷っているとサビは眉尻を下げた。


「少しでもウラハと思い出を作りたいんだ」


 嬉しい申し出にウラハはしゃぎ出しそうになるのを懸命にこらえた。先ほどは周囲の目も気にせず、兄に抱きついてしまったが、皇族は感情の赴くままに 行動してはいけない。


「サクラ、サビ兄様も一緒にいい?」


 冷静を装ったウラハは、サクラに問いかけた。

 サクラはこころよく快諾かいだくしてくれる。


「ぜひ、ウラハ様のお話をたくさん聞きたいです」

「や、やめてよ!」

「いいよ! たくさんあるからね!」

「サビ兄様もやめて!」


 意気揚々と昔話を語る兄と相槌を打つ侍女。大好きな二人に挟まれての観光案内はとてつもなく楽しいが、二人の話している内容が自分の過去のしでかしなどなのでウラハは気が気じゃなかった。


 観光案内を終え、城に戻ったウラハは疲れから夕餉ゆうげも入浴もせず、朝までたっぷりと眠ることとなる。

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