第2話 白薔薇のアーチの先に


 しばらくしてウラハは足を止めた。手のひらに集め乗せた花びらはこんもりとした小山になっている。


「ここは……」


 白薔薇のアーチの前に自分がいる——そう、理解したウラハはさっと顔を青くさせた。

 この先には『魔女の禁域』と呼ばれる小さな花庭が存在している。国花である千年桜を中心に四季を問わず多種多様の植物が植えられる花庭は、かつて死する大地をよみがえらせた救世主であり、魔法使いの始祖である魔女が安らかに眠れるように建設されたものだ。魔女の眠りを妨げてはいけないと、皇族に席を置く者でさえ催事さいじ以外、立ち入ってはいけないとされる。

 そこに足を踏み入れたとなれば父王からの叱責は逃れられない。下手をすれば皇族としての身分を剥奪はくだつされる可能性がある。


 考え事をしていた時、アーチの向こう側からひらりと花びらが降ってきた。

 ウラハは花びらに近づこうとするが寸でのところで踏みとどまる。

 いつもなら花守と呼ばれる兵士がアーチの前に最低でも二人いるはずなのに不思議なことに今は誰もいない。今なら簡単に花びらを追って中に入ることができるだろう。


 けれど、この先は魔女が眠るための場所、そこを蹂躙じゅうりんする行為は理性がやめろと囁いた。


「……けど、どうせ」


 自分から父に進言する勇気がないウラハはこれもいい機会だ、と顔を上げた。どうせ自分は嫌われ者だ。いっそのこと皇族としての身分を剥奪された方が自分もみんなも幸せのはず。

 そう考えるとウラハはまた花びらを追いかけるためにアーチをくぐった。




 ◇◆◇




 白薔薇は月光にしっとりと濡れ、輝きを放っていた。まるで真珠のようである。その輝きに触れようとウラハが薔薇に右手を伸ばすと鋭い棘に触れ、指先にピリッとした痛みが走る。


「痛っ」


 すぐさま右手の人差し指を見ると真っ赤な血の雫が浮かんでいた。相当深く棘が刺さっていたらしく、血はしとどに流れ、手首まで垂れていく。

 手巾で押さえようと懐をまさぐるがそれらしいものが見つからないのでウラハは袖で指先を押さえることにした。装束を血で汚したとなれば怒られるのは容易に想像がつくが、この時、ウラハはどうでもいいと思った。禁域に立ち入っている時点で叱責は免れないのだから血の汚れぐらい恐れる必要はない。

 諦めに似た面持ちでアーチをくぐり抜けるとどこか甘く、爽やかな香りがウラハを包み込んだ。


 目の前に広がる光景に、ウラハは「はあ」と感嘆のため息をつく。


 夕焼けに染まる紅葉。清廉な白百合。月に笑いかける向日葵ひまわり。寂しげに面を伏せる鈴蘭。炎の輝きを秘めた薔薇。月光を集めた芍薬しゃくやく。——庭園には四季を問わず、多種多様の花々が咲いていた。

 この国を創造した魔女が眠るこの庭園は高濃度の魔素に満ちており、植えられた草花は枯れることなく生き生きと根を張り、咲き誇る。太陽が昇らない深夜であっても、彼らは眠ることなく美しい姿を見せた。

 催事の際は通り過ぎるだけだったが、今はゆっくりとこの光景を眺めることができるため、ウラハはゆっくりと歩を進めた。一つ一つの花を愛でていた時、何げなく空を見上げた。



——魔女は桜の木が一等好きだった——



 夜空を覆う薄桃色の光源に、ウラハははっと息を飲みこんだ。



——魔女が眠りにつくとき——



 国花である千年桜が荘厳な姿でウラハを見下ろしていた。幾重にも重なり、混じり合う香風こうふうに撫でられた枝がしなり、ざわざわと音が響き渡る。

 その拍子に数百枚はあろう花びらが雨の如く、降り注ぐ。



——人々は寂しくないようにと——



 花びらは周囲に散らず、少し離れた場所に集結する。



——桜の木を植えた——



 ウラハは根元に横たわる一人の女性に気付いて足を止めた。



——千年桜は人々の想いを花に抱き——



 子供心ながらに、その女性が美しいと称される美貌の持ち主だと分かった。すっと通った鼻筋に、薔薇のように艶やかな唇。はぶける睫毛が陰を落とす頬はまろやかで、女性が大人と言われる年齢に達していないと教えてくれた。人形のように整った面を縁取る髪は、月光を溶かしたように淡い輝きを放っている。

 普段なら面布で隠されている素顔をまじまじと見ようとウラハは手を差し伸べた。押さえが無くなった指先からじわりと血が滲み、



——魔女の起床を永遠に待っている——



 女性の胸に落ちた。


「……んっ」


 しまった、とウラハが慌ててると小さな吐息が耳に届いた。

 次にふるりと睫毛が震えたと思ったら、ゆっくりと瞼が持ち上がる。


「——お前は?」


 桜色の瞳がいぶかしむようにウラハの姿をとらえた。

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