第1話 ひとりぼっちの皇子さま


 虫の奏でる音色が鼓膜こまくを振るわせる夜。涼やかな音と混じって少年のしゃくりあげる声が花庭に響いた。声の主は牡丹の花垣を掻き分けた狭い隙間に身を捻り込ませ、小さな身体をより一層と小さくさせていた。少年の名はウラハという。歳は十二。桜皇国、第三皇子の地位を与えられた皇族の一員である。

 けれど、栄華を極めたはずの皇族でありながら、ウラハは大きな眼からぽろぽろと涙を零し、何かから身を守るように身体を丸まらせた。そこに皇族としての威厳はない。


「……なんでっ、……なんで僕ばかり」


 嗚咽おえつ混じりに呟かれた言葉は悲しみに彩られていた。

 それには理由があった。ウラハには三人の兄姉けいしがいる。各分野に名を残すほど優秀で、未来を期待されている兄姉達。同じ両親から生まれたのに出来の悪いウラハは彼らと比べられ、いつも肩身の狭い思いをしていた。

 一番鮮明に思い出すのは今日受けた薬草学での出来事だ。外部から週に一度だけ桜城を訪れる講師はエリート街道まっしぐらという天才青年。そんな彼から見たら皇族なのに出来が悪いウラハは鬱陶うっとうしい存在らしく、ウラハが回答を間違えるたびに「ウラハ皇子は物覚えが悪い」だの「お兄様やお姉様はできるのに何故こんな事もできないのです」だのちくちく嫌味を言ってくる。

 講師の冷笑と嫌味に耐えかねて「けど、僕だって頑張っているんです」とぼそぼそと言い返したら教鞭きょうべんで手の甲を叩かれた。普段なら泣くのを我慢して勉学に励むのだが日頃の鬱積うっせきした怒りが爆発し、講師の静止を無視してここまで逃げてきたのだ。

 今も手の甲にはその時の痕が残っている。血は出ていないが蚯蚓みみず腫れに似た傷になっていた。じくじくと痛み、熱を持つ甲をさすりながら昼間の事を思い出し、ウラハはまた泣き始めた。




 ◇◆◇




 気付けば夜も更けてきた。昼間から何も食しておらず、腹がくぅと情け無く鳴る。空腹に耐えきれずウラハが袖で涙をぐしぐしと乱雑に拭い、立とうとした時、


「おい! どこにいるんだ!」


 聴き慣れた低音がウラハの名を呼んだ。

 ウラハは驚き肩を跳ねさせた。恐る恐る花垣から顔を覗かせて声の方向を向けば、四つ歳上の兄、マツバが怒り心頭といった様子で大股で歩いてくるのが見えた。その背後には薬草辞典を両手に抱える五つ歳上の姉、アサギの姿も見える。


「聞こえてんだろ、クズウラハ! お前のせいで俺達がかり出されたんだぞ!!」


 マツバは怒りに任せて近くの椿の木を勢いよく蹴り上げた。可哀想に、椿の花は衝撃に耐えきれず首からぼとぼとと地に落ちてしまう。マツバは舌を打つと地に落ちた花を踏み潰した。

 そんな弟の姿にアサギは呆れたようにため息を吐く。


「やめなさい。その短気は直せといつも言っているでしょう」


 姉にたしなめられ、マツバはぐっと言葉に詰まるが苛立ちの方が強いらしく、「けどよ、なんで俺らがあんな出来損ないを探さないといけないんだ」と小さな反抗をみせた。

 マツバの顔を一瞥いちべつするとアサギはかしの枝に縄を結んで作られた鞦韆ブランコに腰掛けた。膝に薬草辞典を置くと付箋ふせんが貼られたページを開く。

 探す気がない姿にマツバが片眉を持ち上げるが何も言わない。本に集中する姉の邪魔をすれば後でどのような結果になって返ってくるかその身を持って知っているからだ。


「……仕方ないでしょう。お父様の命令なんですもの」


 ややあって、アサギは答えた。いつも通りの淡々とした口調だ。


「どこに行ったのかしらね。あの子がいきそうなところは大方見て回ったのだけれど」

「こういう時だけ隠れる天才だよな。普段はずぶで馬鹿なくせにさ。ほらっ、早く見つけて帰ろうぜ。俺はあっちを探すから姉貴はここらを探してくれよ」


「きちんと探してくれよ」と念入りに早口で言うとマツバは睡蓮がまどろむ池へと歩き出した。

 怒りっぽい兄がいなくなりウラハはほっと胸を撫で下ろす。姉は魔法薬学にしか興味を示さない人間なので話しかけにくいがマツバとは違い暴力は決して振るわないのでウラハは嫌いではなかった。

 そんな姉ならばウラハの思いを怒鳴らずに聞いてくれるかも知れない。そう思い、姉の元へと行こうとするがアサギが勢いよく本を綴じた音に驚いて足を止めた。


「ウラハ。あなた、薬草学の授業を逃げ出したと聞いたわ」


 まるでウラハがここにいると分かっている口振りだ。恐る恐る顔を覗かせると自分とよく似た深緑色の瞳が真っ直ぐに自分を見ていた。


「講師の方は忙しい中、私達のために時間を作ってくれているのよ。それをあなたの我が儘で台無しにしたということを自覚なさい」


 アサギは怒っていた。表情はいつもと変わらないが先程とは打って変わり怒気がにじむ口調で続ける。


「あなたは皇族という自覚を持ちなさい。真面目に勉強をしないからいつまで経っても魔力を制御できないのよ」


 姉からの叱責にウラハは耐えるように拳を握りしめて顔を俯かせた。

 何も言えず黙ったままのウラハに苛立ったのかアサギは溜息をはく。


「あなたっていつもそうね。都合が悪くなると黙って、無視をするのは。……後でお父様の元に行きなさい。私から話しておくから」


 アサギはそう言うと満足したのか立ち上がり、来た道を戻っていく。

 その場に残されたウラハは押し寄せる悲しみに流されるまま、膝を抱えて身体を出来る限り丸め込む。息を殺して、誰にも気付かれないように静かに耐え忍んだ。




 ◇◆◇




 どれぐらいの時が経ったのだろうか。気付けば涙は枯れていた。

 戻ろうと足に力を込めた時、ウラハの脳裏にふと別の考えが過ぎる。


 ——もしも僕が帰らなければ誰か来てくれるのかな。


 それは純粋な疑問だった。マツバとアサギのように父王に命じられて嫌々探しにくるのではなく、ただ純粋に心配して探してくれるのではないか。

 しかし、数秒後、それはないと思った。自分を嫌忌けんきする家族や侍女、護衛兵は自分がいない方が幸せだ。魔力の制御もできず、勉強も運動神経もできない、出来損ないの自分はいらない存在なのだ。


 ——けど、サビ兄様なら、きっと……。


 遠征で国を留守にしている長兄の姿が浮かぶ。父や姉兄が自分を嫌悪していても、優しさの塊のような長兄ならばきっと血眼になってでも探してくれるはず。

 長兄を思い出すと目尻には涙が溜まる。早く会いたい、帰って来て、と願っていると風に運ばれた薄桃色の花弁が慰めるかのようにウラハの頬を撫で、抱えた膝上に落ちた。


「……桜?」


 花弁を指先で摘み、顔を上げると、また、ひらりひらりと一枚の花弁が頬を撫でた。

 桜の木は桜皇国の象徴でもある。国中の至るところに植えられており、珍しいものではない。

 けれど、この時、ウラハはその花弁が他の桜とは違うような気がした。形もよく、瑞々みずみずしい桃色はまったくの別物に見える。

 不思議に思い周囲を見渡すと前方からひらりと桜の花弁が舞い落ちる。無意識に立ち上がり、その花弁の元へ行けばまた少しは慣れた場所には花弁が着地する。

 花弁を集めながらウラハは庭園を後にした。

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