銀腕執事の独白
――私の話、ですか?
つまらない事しかありませんが、それでも宜しければお話し致します。
ご存じの通り、私が生まれたのは地下です。洞窟街の“蜘蛛”、安宿の女の腹から生まれました。
“蜘蛛”が如何なる目的の街かについては、どうぞ旦那様からご説明を受けて下さい。お願い致します。兎も角、俺……私は、そこで生まれました。父は知りません。母の顔も覚えていません。それぐらい、生まれた子供に気を払われない場所だったのです。“蜘蛛”の中でも珍しい、誰にも顧みられぬ場所だった、とは一応言い添えますが。
物心ついた時には、家というものはありませんでした。地下故に、雨風に打たれない事だけが幸いでしたね。寒さと飢えは、どうしようもありませんでしたが。
はい。生きる為に奪うのが、当たり前の場所でした。腹が減れば飯を奪い、金を奪い……そして奪われる、そんな場所です。恐れて当たり前です、貴女はそんな場所に入る必要はございません。私の生きる場所は其処にしか無かったし、出ることも叶わなかった、それだけです。
やはりつまらないでしょう? ご不快になられていませんか。……畏まりました、仰せの通りに。
無論、まだ力も何もない餓鬼ですから、奪うよりも奪われる方が多かったのです。最終的に、手足まで失って、穴倉の隅で蹲っていました。ええ、傷を放っておくと、生きたままでも体は腐って使い物にならなくなるのです。どうか、お忘れになりませんよう。
ですがそこで、私は――旦那様に出会いました。
あの方は、血と泥と膿に塗れた、芋虫のように蠢く餓鬼を見て、最初にこう言ったのです。
『君は強いな』と。
驚きました。自分が弱いものであるという、自覚はありましたから。誰かに踏みにじられるのが当たり前だった私に、そんな言葉をかけたのはあの方が初めてです。そして――怒らないで聞いて頂きたいのですが、私は、……あの方に唾を吐きかけました。
申し訳ございません。いいえ、至極、反省しております。当時の私にとって、他者とは全てが敵であり、言葉をかけてくる者には暴力を返しておりました。その時出来る手段が、それしか思いつかなかったのです。
汚い唾を吐かれたのに、あの方は――笑ってらっしゃいました。ええ、いつも通りに、両頬を大きくあげた笑顔で。その後の言葉も、覚えております。
『名は何という? 無いのかね? ならば吾輩がつけよう。ヤズローというのはどうだろうか?』と。
ええ、その頃の私に、名前はありませんでした。親につけられていたとしても覚えておりませんし、周りからは聞くに堪えない罵声でしか呼ばれておりませんでしたから。だから驚いて、何も出来ないうちに――抱き上げられたのです。身動ぎすら、出来なくなりました。
はい。誰かの腕に抱き上げられた記憶など、それまで無かったもので。他者の体温を感じたのも、あれが初めてだったと思います。
先刻申し上げた通り、その時の私の体は酷いもので、あの方の着ていた上質な上着をどんどん汚していった筈なのに、あの方は笑顔を絶やさないまま、尚も続けました。
『ここまで奪われても、君は、生きることを諦めていないのか。素晴らしい』と。
やはり、当時の自分には意味の解らない言葉でした。今ならば、肉体より先に魂が死ぬ、ということがあるのだと知っておりますが、その時の私は――ただ、生きる、としか、考えておりませんでした。
死ぬことが恐ろしかったのではありません。全てのものはいずれ死ぬと解っておりました。あの時の想いは、死にたくないという哀願ではなく、ただ生きるという意思であったと、今は思います。……何も知らぬ、獣や虫と同じようなものだったのかもしれません。それがあの時、旦那様の琴線に触れたらしいのは……有難い、と思うべきでしょうか。
そうですね、生きること自体に意味など見出していなかったのです。恐らくそれは、今もでしょう。旦那様と、旦那様の大切な方々をお守りすることは、私の欲であり、意味ではありません。望まれて、願い、理由として決めても、意味ではありません。私が望み、全力を尽くすこと、です。
……申し訳ございません、話をまとめることが不得手で。旦那様のようには、とても出来ず。
その後、ですか? この先も、つまらないものですよ。旦那様が私を運び込んだのは、“蜉蝣”――魔操師の街でした。その一室、元締めの家に叩き込まれて、新しい手足を手に入れたのです。
ええ、この銀腕と銀脚です。その際の“蜘蛛”と“蜉蝣”の元締めの揉め事については、省略させて頂きます。
そこが聞きたかった? どうぞご勘弁下さい。あの女共に俺は、一切、そのような感情は、持っておりません。本当です。感謝はあります、頼ることもあります。ですが慕情はありません。……本当だっつってんだろ。
ご無礼致しました。お許し下さい。どうぞ、ドリス様にはご内密に。
……代償を求められるとは、旦那様に似てこられましたね。畏まりました、仰せの通りに。仏頂面は生まれつきです。
本来なら、ミロワールだけで済む話だったのですが、そこに首を突っ込んできたのがレイユァです。あれは自分の縄張りと、そこに住む命に対しての執着が凄まじい。旦那様に報告されるまで、私という命を縄張りの中で取り零しかけたのだ、という事実が、許せなかったようです。外から入ってきたならまだしも、街で生まれた命だから尚更、だそうですが、私には理解できません。しなくても結構でしょう。
兎に角レイユァは、約定も何もかも忘れて自ら“蜉蝣”に入り込み――私の体を抱えて嘆き悲しみました。ええ、誰かに泣かれた記憶も無いので、随分と戸惑いましたが、理由を聞いたら今更、としか思えませんでした。少なくとも私は、旦那様より前に、誰かに手を差し伸べられたことなど無かったのですから。
そう告げると、あの女は酷く、傷ついたような顔をして――旦那様と、ミロワールに、頭を下げました。今思えば、有り得ないことです。旦那様も驚いていたようでした。
レイユァは訴えました。どうか、慈悲が欲しい。命を零したのは己の過ちだと。旦那様が掬った命を、奪い返す資格はないと。でも、どうか、糸を繋ぐことだけは許して欲しい、と。
そう言って、涙を零しながら旦那様に頭を下げて――その時の私ですか? さぁ、あまり覚えておりません。魔操師の簡単な治療のお陰で、傷が痛くなくなったのが生まれて初めてだったので、半分寝ていたのかもしれませんね。
結局、その場を旦那様が取りなし、魔操師も借りを作れるのは悪くないと思ったのでしょう、手打ちとなりました。腕を作るのはミロワール、繋ぐのはレイユァと定められたのもその時です。……この銀蜘蛛一匹で充分過ぎますから、他を繋ぐ必要は無いと何度も訴えましたが、却下されています。面倒臭い事この上ありません。
……何ですか、その目は。どうも、勘違いをなされているようなので、改めて申し上げますが。
レイユァは、ご存知の通り
ミロワールは、魔操師です。世界を改変し神に逆らう者です。あれにとって私は、体のいい実験動物に過ぎません。失った手足を補うのではなく、更に性能の良いものを付けるのだと、未だに手薬煉を引いていますよ。気を許したが最後、全身を銀鎧にされてもおかしくないのです。
お分かりですか? あれを始めとする地下の連中には、一瞬でも気を抜いてはなりません。目を付けられれば文字通り、好き勝手に食い物にされるのです。どうぞ、お近づきにならないよう、全身全霊を持ってお願い致します。……解って頂けたようで何よりです。
ご安心ください、何があろうと必ずお守り致します。もう今日はお休みください。お眠りになるまで、お側におりますので。
はい、お休みなさいませ、――様。
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