第6話 八日目の蝉

俺は幼少の頃から本を読むのが大好きだった。高校に上がった頃にはつまらない小説は添削し、自分なりに改編することもあった。改変の必要のあるものは訂正して葬る。読む価値はない。今の流行作家で金を取れる文章を書ける人は少ない。読者が期待しているのも美しい文章ではない。心の滋養ではなく、刺激だ。

ロックは死んだ、とロッカーは言う。なら、お前は何なんだ。というつまらない話はさておき、純文学は川端康成を最後に死んだ、と俺は思う。川端康成がノーベル賞を受賞したとき、日本の純文学はピリオドを打った。文学としての文学は死んだ。


翌日、土曜日の昼前、おれは手っ取り早く昼食を済ませるためにマクドナルドに行き、エビバーガーとコーラSサイズを注文し、二階席へと上がった。休日とはいえ、昼前の利用者はそんなに多くはない。空席が多いと逆にどこに座るか迷ってしまう。こういう心理的現象にも名前はついてるのだろうか。

女性がふたり、ひとりは寝ているようでテーブルに置いた腕に顔をうずめている。もうひとりは、彼女だった。スマホの画面を見つめながら、食べているそれはエビバーガーだろう。そして、きっと飲み物は爽健美茶なのだろう。俺はなぜか彼女の、正確には彼女たちのテーブルの横の席に腰掛けた。「やあ。」「昨日もいましたね。」「覚えててくれました?」「覚えてます。」「嬉しいな。」「頼んだコーラ、すごく多かったんですね。」「あれでもMサイズですよ。参りました。今日はSサイズです。」「爽健美茶なら捨てるのに2秒くらいですよ。」「僕は爽健美茶が苦手なんです。あれは十六茶とは違うのかな。」「名前が違うじゃないですか。」「あなたは博識ですね。」「そんなことないですよ。常識です。ペプシコーラとコカ・コーラでも味は違いますよね。」「僕の味覚は馬鹿だからささいな違いはわからないんですよ。」「馬鹿は死んだら治るって言いません?」「死んだら治る、か。それはなんてパラドックスですか。」「なんでしょう。知りません。」「一本のわらがラクダの背骨を折る、って言葉知ってます?」「知らないです。ラクダ別に好きじゃないですし。」「何に興味があるんですか?」「最近始めたゲーム。フェイトグランドオーダーっていうんです。」「アプリゲームしてるの?難しい名前ですね」「おもしろいですよ。両儀式っていうのがひけたんでラッキーです。」「リョウギシキ?」どことなく相撲用語のように思えた。「全く分からないですね。俺はお馬鹿だからゲームのルールが理解できないんですよ。」「それは馬鹿ですね。ゲームのルールが理解できないなら、何を理解してるんですか?」「さあ。」俺は何かを理解してるのだろうか。「本。文章なら理解してるつもりではありますね。」「そうなんですか?どんな本読むんですか?」「古いけど、八日目の蝉とか泣けましたね。」その時彼女の視線がスマホから俺の顔に移った。「私もあれ好きなんです!映画よかったですよね!」自分が好きな作品について同じように好きだと思う相手に対して、おそらく人はかなりの親しみを感じると思うが、以前から興味のあった彼女に対してその時俺が感じた親近感は心の距離を一気に縮めた。「僕は本が好きなんですが、なんか近代文学も好きで。あんまり平積みになってるような本買ったりはしなくて。」相手が俺に関心があるかどうかなんてどうでもよかった。俺は一方的に彼女との距離を縮め、語った。「ふーん。」彼女の視線が再びスマホに戻る。「今日もエビバーガー食べてるんですか?」俺はしまったと思い、無難な会話に戻した。「それと爽健美茶です。」会話に終わりが見えてきた。「コーラのSは飲みきれそうなんですか?」「さあ。Sを頼んだのは初めてなんですよ。だからどの程度の量が入ってるか分からない。」「フタをとって中身をみれば分かりますよ。そうでなくても容器の大きさから想像はつきませんか。」「そうかも知れません。でも、ストローを刺したフタを取ると水滴がこぼれるから嫌なんです。容器の大きさから判断するのはたしかにできそうですね。」「幼稚園児でもできますよ。」幼稚園児か。幼稚園児がコーラを飲むんだろうか。喉に痛そうだ。俺は例え話を真に受けてしばし考え込んだ。

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