第3話 邂逅
毎日疲れはあるが目覚ましの少し前に目を覚まし、アラームがなるまでのほんの数分、ふたたび落ちることが出来るところまで眠りに落ちる。まもなく無機質な機械音が鳴り始める。今日は何曜日だったろう。2/7の確率でさらに寝続けることができる。しかし、今日は金曜日。確率は5/7に当たる平日だった。俺は起きて ため息をつく。ルーティーン。イチローの打撃動作のルーティーンを俺は美しいと感じる。俺にとってのルーティーンは、朝同じ時間に起きて、朝食を取り、同じ時間に出勤することだ。乾いた日常。これもまたルーティーンだ。
仕事が思ったより早く片付き、今日は早く帰ろうかと考える。明日は休みだ。午後7時。ふらりといきつけのマクドナルドに車を走らせる。何を食べるか。あまり考える余地はない。ビックマックセット。他に新しいハンバーガーのメニューがなければ、それで決まりだ。今日は金曜日の夜のせいか、社会人らしき人もちらほらいる。混雑しているようだ。俺は遠い記憶を知らずのうちに呼び起こしていた。「ワイ、エビバーガー食べたい。」エビバーガーなら、もちろん俺も食べたことはある。だが、その時の女性らしき声の主が食べたいと言ったエビバーガーを俺も食べてみたくなった。「いらっしゃいませ。こちらでお召し上がりですか。」俺は「はい。エビバーガーとコーラMサイズで。」と答える。商品を受け取り、先に席を確保していなかったことを悔やんだ。今日は一階席は空きがない。仕方ない。二階席に行こう。階段を上がると予想どおり、高校生が楽しそうに騒いでいる。ふと見つけた空席に腰をかけ、タブレットを取り出す。今日はまず調べたい言葉があった。「オッカムの剃刀」とはどういう意味だったろうか。「シュレディンガーの猫」という言葉はその響きから市民権を得ているように思うが、あくまで量子力学における矛盾を指摘したたとえに過ぎない。同じ猫なら「フェレンゲルシュターデン現象」のほうが現実的だ。猫が突然虚空を見つめる、その状態をこう呼ぶらしい。猫は音に敏感だ。人間が聞こえない音に反応していることは想像に難くないが、あえてこんな小難しい名前をつけているのが面白い。フェレンゲルシュターデン現象はフェレンゲルシュターデン現象なのであり、それ以上でも、それ以下でもない。定義に議論の余地などない。
Wikipediaに書かれた知識の世界に没入しながらエビバーガーを食べる。美味い。久しぶりに食べるエビバーガーは美味かった。所詮、俺の舌はお子さまだ。マクドナルドで美味しいと感じる残念な味覚の持ち主だ。やや自虐的に思いながら食べすすめていくと、あの時のあの声がした。
「しばいたろかー!エビバーガーうまいやろー!」彼女だ!いや、彼か?俺はその声のするほうを直視すべく顔をあげた。
女性だった。歳の頃20歳くらいだろうか。友達と楽しそうに話をしているその表情は整っていて、ときおり見せる笑顔は柔らかかった。こんな可愛らしい女性が??戸惑いを覚えたが、それは確かに女性だった。その女性は一言で表現してしまうなら、魅力的だった。俺は衝撃を受けた。この子がワイ、と言うのか、と。しばらくの間、それはほんの数秒だったかも知れない。俺は彼女を見つめていた。
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