第3話 わくわくな依頼

「ひゃっ……!?」


 可愛らしい悲鳴を上げながらが入り口の段差に蹴躓いた。

 こらえろ、こらえるんだ橋詰藍太朗。


「お前の悲鳴かよ!」


 努力虚しく、藍太朗の口からはツッコみが吐き出されてしまっていた。

 それを聞いて口と腹を押さえる輪、一応敵地の真っ只中とは思えない様な景色が繰り広げられていた。


「うるせ」

「こけた……、こけた、よ、維桜……ふふ」


 かなり馬鹿に、もはや煽られてすらいるが輪に対して維桜は腹を立てたりしなかった。それが二人の距離感で、いつもの事なのだろう。

 しかし、人影が見当たらないとはいえこんなに簡単に入り込めていいのだろうか、と藍太朗は思った。誰もいないことは流石にないだろう、まだ事件からそこまで経っていないのだ。ヤクザが隠し通すにしろ、警察の手に委ねるにしろ、今頃誰かしら付いているはずではないだろうか、そのはずにも関わらずこの杜撰な警備だ。

 やはり、何かは起こっているのだろう。果たしてそれが幽霊のたぐいの仕業かはおいておいて。


 入り口の正面には長い廊下がありすぐ右には階段が上へと続いている。どちらも明かりなどなく薄暗い。廃墟ではないのだが、廃墟と言われたらまだなりたての廃墟なのではないかと思うほどには不気味さを醸している。


「こっちだな」

「上、も、気になる」

「あっちは無害だろ?」

「でも……」


 できることなら両方共どうにかしてほしいと思うことは罪なのだろうか、と藍太朗は止まりかけた頭で考えた。答えは出そうになかったが。


「いや、向こうからお出ましだ」

「そんな、こと、ある……?」

「目の前の現実を信じる、見えるものが全て、俺たちがそれを疑ったら終わりだろ」


 何かが来る、と言うような会話をしていながら二人共自然体のまま、特に構えたりする様子はない。藍太郎からしたら心配になる要素しか無いが、それがいつも通りならば口出ししても仕方ない。


「じゃあ、やりますか!」

「本番、前の、肩慣らし」


 気負った様子もなく、閉まっているカーテンを開けるかのごとく何もない空中を維桜の手が払った。

 藍太郎の目には映らない何か、が確かにそこにある。それは羽虫のごとく払われた、羽虫とは似ても似つかない大きさの半透明な布のようなものだった。

 維桜の手に触れたところからぼやけた輪郭がはっきりしていく。


「迷子は、おしまい、だよ?」

「居場所を間違えてるぜ」


 藍太郎の目から見てもはっきり映るそれは、後ろの殺風景を透かしながらも存在を主張するには十分で、輪に抱きしめられて泣きじゃくる人影としてその時この世に存在していた。


「よし、よし……、一人じゃ、ない、よ」


 子供、に見えるそれはこの世のどこにもないような衣服を纏っていた。薄く透けて、身体の輪郭だけが見えている。その体も透けているが、輪郭はよく分かった。重力に反してゆらゆらと揺らめき続けるそれは輪の腕に抱きしめられて形を歪ませている。


「子供、か……?」

「正真正銘の幽霊、地縛霊だな」


 そう、それはオカルトのド定番、心霊だった。目を疑う光景、ともすれば自分の正気すら疑う状況で、藍太郎は先程の維桜の言葉を思い出した。―――目の前の現実を信じる、見えるものが全て―――

 藍太郎の目に映る目を疑うような光景は余すところなく全て現実であり、疑うべくもなくただ眼前に存在していた。


「これが、幽霊……」

「もうすぐ還るよ、輪が正しく戻すから」

「成仏、するのか?」


 そんな話をしている間に、泣きじゃくっていた子供は安心したような顔で輪に身体を預けている。

 薄暗く不気味な景色の中でそこだけが神聖な力で守られているかのように見えた。


「……おやすみ」

「次は迷子にならないように、な」

「安らかに……」


 二人の子供が創り出したとは思えないような雰囲気に、藍太郎の口からは子供の幽霊を送り出す言葉が自然と出ていた。


「さて」

「うん……」

「向こうは俺の番だな」

「任せた……」


 そう言った維桜の手にはどこから現れたのか見覚えのある刀が握られていた。素人目ながら藍太朗はその刃の美しさに息を呑んだ。妖しく白光煌めく刀身は血に飢えているように思えるほど鋭く見えた。


「行こうぜ」


 それを合図に再び三人は歩き出した。今度は維桜を先頭にして。

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