第百十八節:休息の前に

 

 ほんの僅かな時間、視界が白く染め上げられる。

 直ぐに光は消え、目は正常な景色を映し出す。

 飛び込んで来たのは、打ち捨てられた廃墟のような場所。

 荒れた石造りの部屋には、ただ壊れた瓦礫だけが細かく散乱している。

 

 「此処は……?」

 

 ふらつく頭を軽く手で支えるように触れながら、クロエは視線を巡らせた。

 転移酔いにも多少慣れて来てはいるが、それでもやはり気分の良いものではない。

 そっと背中に触れるのは、気遣うガルの手のひらの感触で。

 クロエは何も言わず、ただ素直にそちらの方へと体重を預ける。

 

 「またさっきとは随分と様子が異なるな」

 「とりあえず人……っていうか、生き物の気配自体なさそうな感じだけどねぇ」

 

 ガルの言葉に頷きつつ、ルージュは手にした骰子に光を灯しながら部屋の様子を観察する。

 奇跡的に破損していない扉が一つだけで、窓の類は無い。

 雰囲気的に死骸でも転がってそうではあったが、幸いにもそういう事は無かった。

 

 「いや俺もぶっちゃけ詳しくは分かんないけど、とりあえず安全な場所です。……そのはず」

 

 大きく息を吐き出して、ビッケは適当な瓦礫の上に腰を下ろす。

 ぶら下げた大鞄の口を開きながら、微妙に不安になる言葉も口にした。

 

 「またちょっと曖昧ね……?」

 「ウン、ちょっとこっちも余裕なかったっていうかね」

 

 ビッケは大鞄の中から、野営に必要な道具を取り出していく。

 其処に不足は無いか一つ一つ確認をしながら、クロエの問いにも応じた。

 

 「あの石碑、色々情報は入ってたんだけどあんま長く触れてると洗脳されるって魔道具でして。

  何とかそれに耐えながら安全な場所って条件で調べ出して『門』開いたのが此処なわけですよ、ええ」

 「それに関しちゃ、よくやったと思うけどねぇ」

 

 量の少なくなってきた水袋の酒を舐めながら、ルージュが頷く。

 実際に体験していない者達には、その行為の正確な危険度を計る事は出来ないが。

 それでもビッケが死線を潜って来た事だけは理解出来た。

 

 「とりあえず休息出来て、別の階層かストレートに外のどっかに繋がる『門』がある場所。

  何かミスしてなければこの条件に該当してる場所だから、きっと大丈夫」

 「どうであれ、何事か起こるのであればその時点で対処すれば良い。問題あるまい」

 

 自分でも微妙に不安げなビッケに、ガルは問題ないと頷く。

 それからもう一人、未だに片手にぶら下げたままの荷物の方へと視線を向けて。

 

 「それで、この場所が何であるか分かるか?」

 「一応ね。ただ、私も『館』の全ての構造を把握しているわけじゃないが」

 

 首根っこを掴まれた状態でぶらりと揺れながら、堪えた様子もなくジェーンは笑って応じた。

 

 「此処はまぁ、所謂『放棄された区画』って奴さ。見ての通り、廃墟の中って感じだろう?」

 「廃棄された区画……?」

 「そうさ。既に知っての通り、この『館』は幾つもの異なる位相に存在する複数の施設から成っている。

  研究やら拷問やら、施設の用途は多岐に渡る為に節操のない増改築も繰り返し行われてきたわけだ」

 

 まったく無駄の極みだろうと、ジェーンは芝居がかった仕草で《帝国》を嘲る。

 重要なのは侮蔑や嘲笑ではなく、此方の知らない正確な情報だ。

 

 「それで?」

 

 故に余計な部分は気にせず、ガルは淡々と話の続きを促す。

 

 「そうやって広がって行けば、まぁ使われない場所というのも当然出てくる。

  けれど『館』は余りに複雑な構造のせいで、時にこうして打ち捨てられたまま放置される区画もあるのさ」

 

 此処もそうした場所の一つだろうと、ジェーンは荒れ果てた室内をその手で示した。

 放置され、忘れ去られてしまった過去の空間。

 その有様が自らの境遇と何処か重なるような気がして、クロエは胸の内に苦い物が広がるのを感じた。

 そんなものは錯覚――いや、意味の無い感傷に過ぎないと、頭では分かっているのだが。

 

 「それで、此処は安全だって考えて問題はないのかい?」

 「永遠の保証は出来ないが、《帝国》側も忘れてしまっている上に、此処がその唯一の場所というわけでもない。

  身体を休める程度の時間は安全だろうさ」

 

 ルージュの問いに対して、注意を怠るべきではないだろうがね、と最後に一つ付け加えて。

 ジェーンの言葉に偽りがない以上、間違いなくその話の内容そのものは信頼に値するものだろう。

 実際問題として、このままノンストップで逃げ回り続けてはいずれ限界が来る。

 此処で少しでも休息を取る事が出来れば、疲労で遅れを取るような無様を晒さずに済むはずだ。

 

 「……信じて、大丈夫かしらね」

 「ビッケも調べた上で辿り着いた場所だ。それに、何かあっても対処すれば済む」

 「うーんこの頼もしさ。まぁホント、ちょっとでも休めれば良いと思って探したんで」

 

 火を熾す為の燃料に、予め用意しておいた保存食など。

 必要なものは揃っている。

 休息を取る為にも、後は準備を済ませるだけだ。

 

 「安全だってなら、火を熾して飯の支度でもしますかねぇ。まぁあるのは保存食ぐらいだけども」

 「流石に色々あり過ぎて腹減ったわぁ……いやむしろ泥のように眠りたい……」

 「追っ手が来る可能性もゼロではない。準備をしている間、少し扉の向こうの様子も見て来よう」

 

 慣れた様子で野営の為の分担を行う一同。

 そして、それを横から眺めている部外者が一人。

 

 「なぁなぁ」

 「? 何?」

 「いや、私も何かないのかな?」

 「…………」

 

 何故かそんなことを聞いてきたジェーンに対し、クロエは思わず黙り込んでしまった。

 本当に、コイツは何がしたいのだろうか。

 いやむしろ何も考えてないからこそ、こんな適当な事を口走るのかもしれないが。

 そもそも野営の準備とか、そんな人間的な作業をやれるのかこの魔神は。

 

 「オイオイオイ、何やら疑っている様子じゃないか。私がそこらの下位魔神みたいに暴れるだけが能とお思いかい?

  そもそも人間と結ぶ契約の中には、特定の知識や技術の伝授とか、そういうものも含まれていてね」

 「手持無沙汰が嫌ならば、こっちに付き合うといい」

 

 何やらグダグダと口上を並べ出したジェーンを、大金棒を担いだガルが再度掴み上げた。

 そのまま部屋の外へ見回りに出ようとするが、それはクロエが慌てて待ったを掛ける。

 

 「ちょっと、流石にそれと二人きりになるのは拙くないかしら……?」

 「む」

 

 ガルは問題ない、と答えようとはしたが。

 確かに危険という意味では、この魔神がこの状況で一番危険な存在であるのも確かだ。

 封印で制限されているとはいえ、火矢の呪文を全く寄せ付けない不可解な力を操って見せた。

 考えも読めず、底は知れない。

 そんな相手と二人だけで動くというのは、確かに軽率かもしれない。

 

 「こっちはあたしらで何とかするから、そっちは二人で見回りに出ちゃどうだい?」

 

 其処にルージュが口を挟んだ。

 クロエも同じ考えだったようで、頷きながらガルの傍らに並ぶ。

 

 「安全、という話ではあるけど、それでも何もないとはまだ言い切れないし。

  私も一緒についていくわ。問題ないでしょう?」

 「あぁ、勿論だ」

 

 ガルは素直に頷き、改めてジェーンを引っ掴んだまま外に繋がる扉へと向かう。

 揺れる尻尾の先を追うように、クロエはガルの直ぐ後ろに続く。

 

 「いやー、それなら私はこっちに残りたいんだけどねぇ」

 「諦めろ」

 「流石にその発言は露骨過ぎない……?」

 

 ガルにぶら下げられた状態で、途端に文句を口にするジェーン。

 クロエはそれに白い目を向けながらため息を一つ。

 

 「いやいや、此処には本当に危ない物なんて無いし、安全だよ?

  確かにまぁ追っ手が絶対に来ない、とまで保証できるわけじゃあないけどねぇ」

 「……貴方、何か隠してない?」

 

 どうにも言動に違和感を覚えて、クロエはジェーンにそう問いかけてみた。

 答えは返って来ない。

 クロエの言葉に対し、ジェーンはただ愉快そうに笑うだけ。

 

 「ま、この『館』には色々あるからね。私が言えるのはそれだけだよ。

  だから此処で大人しくしておいた方がいいんじゃないかな?」

 

 魔神は笑う。

 この打ち捨てられた区画が如何なる場所で、この魔神は何を知っているのか。

 偽りは語らない。だが必要な言葉を全て語るわけでもない。

 正に古典の悪魔そのものなジェーンに、クロエは軽く頭痛を覚えた。

 

 「ふむ」

 

 ガルは表情を僅かにも揺らす事無く、真っ直ぐに扉に向かう。

 高さが少し足りないので、やや身を低くしながら錆びついた鍵を強引にこじ開けた。

 

 「何を言っているのか分からんが、周辺の確認を済ませたらすぐに戻る。

  悪いが、俺達が出ている間の留守は任せた」

 「はーい、アニキとクロエも気をつけて」

 「……うん、ちょっと行ってくるから」

 

 軽く手を振るビッケに、クロエも手を振って応じる。

 それからガルの後を追う形で、開かれた扉の向こう側へと踏み出す。

 見えるのは、やはり打ち捨てられた空気だけが漂う荒れた石の通路だけで。

 

 「…………」

 

 何もないはずの其処に、クロエは何かを感じ取っていた。

 その正体は分からないが、何故だか妙な胸騒ぎがする。

 単なる安全地帯と思って入り込んだこの場所には、一体何があるのか。

 

 「大丈夫か?」

 「……ええ、大丈夫。それより、行きましょう? 余り時間も取りたくはないし」

 

 ガルの言葉に、クロエは小さく微笑みながら応えた。

 ――例え此処に何があったところで、やるべき事は変わらない。

 クロエは不思議とざわつく感情を抑えながら歩を進める。

 その様子を、魔神は見ていた。

 何も言わずに、ただ楽しそうに笑いながら。

 

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