第百十七節:脱出

 

 「ぐっ、ぁ……!?」

 

 真っ赤な血が飛び散り、シリウスの身体が大きく傾ぐ。

 クロエの魔剣は確かに届いたが――浅い。

 咄嗟に構えた魔剣《炎獣》に阻まれて、その切っ先は命にまでは届いていなかった。

 既に戦闘不能に等しい重傷だが、其処で手を緩める事は出来ない。

 痛みを知らぬ狂戦士。

 今この瞬間、少しでも緩めてしまえば即座に炎による反撃が襲ってくるだろう。

 故にクロエは、目の前の敵にトドメを刺すべく刃を構えるが――。

 

 「っ!?」

 

 振り下ろした刃の切っ先は、しかしシリウスを捉える事はなかった。

 割って入ったのは大柄の黒影。

 ガイストだ。

 彼はシリウスの前にその腕を割り込ませ、寸前でクロエの剣を受け止めていた。

 無論、その腕は魔剣によって大きく切り裂かれるが、ガイストは構わずにシリウスをその腕に庇う。

 この男が此処に割り込んで来たという事は、ガルは……。

 

 「イアッ!!」

 

 そうクロエが思考したところで、馴染んだ声が突っ込んで来た。

 大金棒を振り上げて、その先端でガイストの身体を思い切り打ち据えた。


 「ッ……!!」


 激しい打撃音。

 ガイストはそれを肩で受けながら、勢いに圧される形で後ろに退く。

 それを無理に追う事はせず、ガルはクロエに並ぶように一旦足を止めた。

 

 「勝負は決したな」

 「……口惜しいが、そう判断せざるを得んようだな」

 

 淡々と告げるガルに対し、ガイストは苦い言葉を返す。

 恐らくは、ガイストは自らの戦いを投げ出してまで相棒の身を護りに動いたのだろう。

 此方もまた強力な戦士。

 その様子を見ている余裕はなかったが、ガルとの戦い恐らく互角だったはず。

 男はそれでも勝負の天秤を払い倒し、窮地の相棒を掬う判断を下したのだ。

 

 「っ……」

 

 シリウスは出血の為に半ば意識はない様子だった。

 片手でそれを庇い、残る手でガイストは何とか得物である大戦斧を構える。

 

 「これでも全力で挑んだつもりだったが、どうやら此方の完敗のようだな」

 「……まだやる気なの?」

 「勝負が見えたからと言って、ただ言われるがまま敗北を認めるわけにもいかんのでな」

 

 暗に降伏を促すクロエに、ガイストは拒絶の意思を示す。

 死に瀕した仲間を救う事に躊躇いはないが、それで追い詰められたからと言って戦いそのものは投げ出せない。

 《帝国》の騎士として、それは決して許される事ではなかった。

 故にガイストはその手の斧を構える。

 死にかけたシリウスの治療が出来ればまだ可能性も出てくるが、この状況ではそれも難しい。

 

 「敵ながらその意気は見事だな」

 

 相手の硬い意思を感じ取り、ガルもそれに応じる。

 追い詰めた敵は、逆にどんな反撃を仕掛けてくるか分からない。

 だから油断せず、手を抜かずに大金棒を振り上げた。

 

 「此方も、このまま全力で叩き潰させて貰う」

 「……其処で少しは緩めてくれる相手ならば良かったんだがな」

 

 そう言って、ガイストは苦笑いをこぼす。

 次の瞬間には、あの恐ろしい大金棒の一撃が叩き込まれるだろう。

 一度や二度なら防げるかもしれないが、それが重なってしまえば支えきれまい。

 まして傍らには、今しがたシリウスを破ったばかりの魔剣士――クロエまで立っている。

 片方でも難敵だと言うのに、これでは僅かな勝機もないか。

 この場での決着をつけるべく、ガルが踏み出そうとした――その時。

 

 「っ……!?」

 

 眩い輝きが、その場を白く染めた。

 光を発したのは、赤く脈動していた石碑の根元。

 いきなりの事に驚き、その場の全員が動きを止めた。

 クロエは眩しさに目を細めながらも、そちらに視線を向ければ……。

 

 「ほんっとにお待たせ! 時間食った!!」

 

 白い光の前に立っていたのはビッケだった。

 ぱっと見てもかなり疲弊している様子だが、それでも声を張り上げて大きく手を振る。

 

 「何とか『門』を開けたから!! 移動できるけど、直ぐに閉じちゃうから早く!」

 

 状況はビッケの言葉通り。

 開いた「門」と追い詰めた難敵を、ガルは一瞬だけ見比べた。

 ――細かい時間は不明だが、逃げるついでで片付く程に易い相手ではないか。

 判断に迷う余地など微塵もなかった。

 

 「ガル」

 「あぁ、急ごう」

 

 どうやら考えは同じだったようで。

 促すクロエの言葉に、ガルは小さく頷いた。

 

 「……借りとは思わんぞ」

 「構わん。仕留めきれなかったのは単純に此方の落ち度だ」

 

 唸るガイストに、ガルはあくまで淡々と応じる。

 後はもう、一瞥を向ける事さえなかった。

 クロエと共に、急ぎビッケの待つ「門」の方へと走る。

 

 「まったく、タイミングが良いんだか悪いんだかねぇ」

 「いやぁ姐さん、こっちもヤバい状況で超必死だったんですよ」

 「別に責めちゃいないよ。むしろ良くやったもんだ」

 

 一足先に「門」の傍に来ていたルージュは、そう言ってビッケに軽く笑ってみせた。

 幸い、壁際の魔導士達は石碑に当たることを危惧して迂闊に攻撃呪文を放てない様子だ。

 それでも、ただ指をくわえて見ているだけとは考え難い。

 何やら騒がしくもなっているようであるし、やはり余裕はないだろう。

 クロエとガルも「門」にまで辿り着いて、それから大きく息を吐く。

 

 「ホントに、無事で良かった……」

 「お互いにねー。ささ、積もる話はあるけど一先ず脱出してからで!

  これ閉じたらまた開くの流石にしんどいんで!」

 

 ビッケはそう言って「門」を指差した。

 確かに心なしか、最初よりも輝きが弱まっている気がする。

 

 「――いや、お見事お見事。結構なピンチだった気がするけど、何とか乗り切りそうだねぇ」

 

 そんな中でも、ジェーンを名乗る魔神はのんびりと笑っていた。

 相変わらず考えの読めないその頭を、ガルが腕を伸ばして無造作に引っ掴んだ。

 

 「さて、行くか」

 「ええ、急ぎましょう」

 「いやいや、流石にこれは扱いが乱暴すぎやしないかい?」

 

 今さらと言えば今さら過ぎるジェーンの抗議は、全員一致で黙殺される。

 そうしてクロエ達は、光を放つ「門」の中へと身を躍らせた。

 少し遅れて、魔導士達が放った魔法生物が石碑の近くへと辿り着く。

 それぞれ身体に攻撃器官を備えた冒涜的な生物兵器群。

 けれど一手遅く、人造の猟犬達の鼻先で「門」の輝きは消え失せてしまった。

 その様子を、ガイストは黙したままに見ていた。

 

 「……っ、ぁー……」

 「目覚めたか」

 

 既に治癒の奇跡により、ある程度の治療が施されたシリウス。

 彼女はガイストに抱えられたまま、自由の利かない身体を何とか動かそうともがいた。

 けれど、負傷ダメージが大きすぎてロクに動かす事は出来ずに終わる。

 それを確認してから、大きくため息を吐いて。

 

 「ゴメン、やられちゃった」

 「責めはせん。敵の方が上手だっただけだ」

 「いやぁ。やっぱ強いねーホント」

 

 軽く笑っているが、その胸中まで軽いとはガイストは思わなかった。

 シリウスは戦士であり、彼女にとって戦いこそ全て。

 その炎は今この時も燃え続けているはずだ。

 ガイスト自身も、この敗戦に思うところは大いにあった。

 

 「で、どうしよっか?」

 「……一先ずは、回復が必要だ。それが済み次第、また追撃に移る」

 「了解、了解。せめて叱られずに済む程度には頑張りたいねぇ」

 「さて、それは何とも返答しかねるが」

 

 シリウスの軽口に、ガイストは曖昧な答えを返す。

 思い浮かぶのは、自分達をこの場に送り込んだ白い女の姿。

 果たして彼女が何を思い、何を考えているのか。

 それは分からないが、少なくとも命令を遂行しなければならないのは確かだ。

 例え其処に、どんな理不尽な意図が隠されていたとしても。

 

 「……けど、アイツら何処に行ったんだろうね?」

 「それも、俺には何とも返答しかねるな」

 

 石碑から情報を浚い、開いた「門」がどの区画と接続したのか。

 それを頭のイカれた魔導士達から引き出すのは、それはそれで骨の折れる仕事だ。

 これからやらねばならない事の数を思い浮かべて、ガイストはひっそりと疲れた息を吐き出した。

 

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