第百十六節:風と炎の決着

 

 痛みを忘れた――という意味では、此方の二人も似たようなものではあった。

 蜥蜴人の狂戦士ガルと、半竜人の神官戦士ガイスト。

 互いに一歩も退く事なく、手にした巨大な得物を正面からぶつけ合う。

 常人ならばただの一撃で粉々なるであろう攻撃の応酬。

 血と火花を赤く散らしながら、その死闘は永遠に終わらぬかのように見えた。

 

 「イアッ!!」

 「オオオォォォッ!!」

 

 咆哮。

 凡そ人間とは思えぬ叫びと共に、両者は武器を激しく打ち合わせる。

 衝撃が双方の身体を貫くが、まるで足に根でも張ったかのようにどちらも不動。

 一歩でも退けば、其処から雪崩れるように勝敗は決する。

 ガルにしろガイストにしろ、それが決着になり得ると判断していた。

 故に退かない。

 退かず、ただ己の戦意を滾らせる。

 

 「(やはり強いな……!)」

 

 言葉にはせず――言葉を口に出す余裕もなく、ガイストは目の前の敵に賛辞を贈る。

 あの樹海の地下神殿から、これで二度目。

 如何なる敵もこの大戦斧で沈めて来た自分にとって、同じ相手と二度戦う事自体が稀有な事だ。

 ましてそれが、勝敗の見えない難敵となれば。

 笑う。ガイストは自然と笑みが湧き上がるのを抑えきれなかった。

 ――叶うならば、生かして捕らえたいところだが。

 恐らく、それは難しい。

 それが可能なほど容易い相手ではないのはガイスト自身が一番理解していた。

 この命を擲つ覚悟で、それで漸く勝てるか否か。

 故にガイストは、今はただ敵を粉砕する事にのみ注力する。

 

 「イアッ!!」

 

 対するガルは、ただ無心に手にした大金棒を振るっていた。

 強敵であり、簡単には勝利を得られぬ良き戦いだ。

 けれど其処に余計に思う事はない。

 戦い、勝利する。己に課すべき役目はそれだけ。

 この相手が自由になれば、それだけで他の仲間達が危険に晒される。

 それだけは許容出来ないし、そうさせぬ為に自分がいるのだ。

 ――何より、惚れた女の見ているところで、無様を晒す事は出来ない。

 クロエの方もまた激戦の最中。

 此方を見ている余裕などないだろうが、それはそれだ。

 ガル自身も、クロエとシリウスの戦いにまで注意は向けられていない。

 彼女ならば必ず勝つと、そう確信してはいるが。

 

 「ッ――――!!」

 

 それは果たして、何度目の激突か。

 常に同じ位置でぶつかり合っていた互いの武器が、ほんの少しズレた。

 ガルの大金棒が、ガイストの大戦斧に圧される形で。

 その差は本当に僅かなものだったが、それは端的に両者の状態を表していた。

 

 「ハァッ!!」

 

 打ち込み、叩き付ける。

 大戦斧は奇跡の輝きを帯びてその威力を増す。

 二人の戦士としての力は互角――いや、僅かにガルの方が勝っている。

 しかしガイストは徒の戦士ではなく、奇跡を扱う司祭。

 自身の疲労や負傷を奇跡で癒し、同様に大戦斧の破壊力を奇跡によって更に向上する事が出来た。

 それが長い攻防の末に積み重ねられ、ほんの少しの差として見えて来たのだ。

 ――勝てる。勝つのは俺だ。

 此処に至り、ガイストはか細いながらも勝利の確信を得る。

 

 「イアッ!!」

 

 ガルの方は、それに対しても一切の動揺を見せない。

 何も変わらない、変わらずに大金棒を振るい、ガイストの大戦斧を叩き落す。

 ほんの僅かに、相手の威力が勝っている事で押し込まれつつある事は理解していた。

 理解していたからこそ、怯む事無く挑み続ける。

 ――何も迷う事はない。

 この身は十全で、得物を握る手には力が漲っている。

 ならば何も問題にする事などないと、ガルは激しく敵を打ち据えた。

 

 「……さて、どうしたもんかね」

 

 一方、少し離れた場所でルージュは二つの戦いを見守っていた。

 それと同時に、未だに石碑の前から動かないビッケの様子も。

 むしろ其方の動き次第で状況も大きく変わるだろうと考え、ビッケの方に意識を強く向けていた。

 おかげで、ガルやクロエに対してはさほど奇跡による援護は出来ないでいる状態だ。

 

 「眺めていれば良いんじゃないかな? いや、なかなか見物だよコレは」

 

 気軽にそう言ったのは、傍らに立つ魔神ジェーンだった。

 コイツもまた、ルージュが支援に集中出来ない一番の原因だ。

 魔神は契約を遵守するし、虚偽を口にする事もない。

 だからこそ油断ならぬと、一時も注意を逸らす事が出来ないからだ。

 その軽口に対しては、ため息交じりに応える。

 

 「そんな悠長な事を言ってられりゃ良いけどね。こうしている間にも、敵の援軍が来ないとも限らないだろうに」

 「それは私にも何とも言えないけどねぇ」

 

 心底愉快そうな様子で魔神は笑う。

 ――場合によっては、コイツが目印になって《帝国》の追っ手がやってくる可能性もある。

 確かめようにも、恐らく本人に問うても曖昧な返事が返ってくるだけだろう。

 情報の少ない状況下で、この『館』について知っているコイツは貴重な情報源ではある。

 が、やはり取引したのは失敗だったのではないかと、ルージュは少し考えてしまった。

 ともあれ、過ぎた事をあまり悔やんでも仕方がない。

 大事なのはこの状況からどう生還するかだ。

 

 「……とりあえず、余計な真似はしないどくれよ?」

 「君の言う『余計な真似』が何であるかは、私には図りかねるが」

 

 白々しい言葉と共に、ジェーンは小さく肩を竦める。

 

 「それよりも、他の状況にこそ目を向けるべきだと私は思うがね。――あぁ、ほら」

 

 目を細め、楽しそうに笑いながらジェーンは一点を指差す。

 その先に見えるのは、一つの戦い。

 黒い風と赤い炎に彩られた、クロエとシリウスの戦いだ。

 ジェーンは笑う。

 その眼には一体何が見えているのか。

 

 「あちらは、そろそろ決着がつくよ」

 

 ――炎の進撃は止まらない。

 幾ら身体を刻まれようが、それが命に届かぬ限り止まる理由がない。

 痛みを、苦しみを忘れた身体にあるのは、ただ戦いを快楽とする熱狂だけ。

 故にシリウスは笑う。

 笑いながら、その刃に炎を宿して叩き付ける。

 

 「ハハハハハッ!! さぁさぁ、限界まで楽しまないと!!」

 

 既に限界など超えていておかしくはないのに。

 受けた傷を焼きながら、構わずにシリウスは攻撃を続ける。

 炎が、魔剣の刃が。

 嵐となって吹き荒れ、確実にクロエを追い詰めつつあった。

 

 「ッ……!」

 

 余りの圧力に顔を顰めながら、クロエはギリギリのところでシリウスの猛襲に耐える。

 シリウスは程なく行動不能になる――それは見ただけで分かる事だった。

 幾ら痛みがないからといって、身体が物理的に動かなくなればどうしようもない。

 間違いなく、シリウスの肉体はそのラインを超えつつある。

 だがそうなる前に、クロエの方も限界に達しつつあった。

 ギシリギシリと、纏った「帳」が軋む。

 炎の熱と斬撃で削られ続け、最早僅かな力しか残ってはいない。

 「帳」はクロエの魔剣たる《宵闇の王》、その力の精髄だ。

 一度破られれば、再び剣が対価を得るまで再展開は不可能となってしまう。

 そうなれば、クロエではシリウスの炎に耐えられる道理はない。

 

 「(こうなったら……!)」

 

 浮かぶ手立ては一つだけ。

 上手く行くかは分からないが、そのか細い道筋だけが今のクロエに見いだせる唯一の勝機。

 限界は近い。躊躇っている余裕はなかった。

 ジリジリと少しずつ、クロエは後ろへと下がり始める。

 それを見逃す事無く、間髪入れずにシリウスは炎を叩き付けた。

 爆炎が散り、薄く削られている「帳」越しに熱気がクロエを襲った。

 

 「熱っ……!」

 「ハハッ、やっぱり限界みたいね!」

 

 戦熱に浮かされるまま、シリウスは笑った。

 クロエの行動を誘いではないかと考えるには、今の彼女は熱狂し過ぎている。

 故に躊躇なく、シリウスは前へと踏み込む。

 今もやむ事無く降り注ぐ火矢。

 振り上げた剣の切っ先に炎は渦巻き、シリウスはそれを大上段から叩き落とした。

 

 「ッ――――!!」

 

 そして感じるのは、何かを砕いた手応え。

 今度こそ完全に、クロエが纏う「帳」が破壊された。

 息を詰め、後ろに飛び退く相手にシリウスは容赦なく迫る。

 

 「これで終わり!?」

 

 叫び、横薙ぎに払った魔剣はクロエの腕を切り裂いた。

 だが浅い。切っ先が僅かに引っ掛かり、皮膚を薄く斬っただけだ。

 シリウスは笑う。これで本当に終わりなのか。

 それとも、まだ此方に見せていない札があるのかどうか。

 

 「っ……我が声に応えて来たれ……!」

 

 詠唱。

 それは後ろに退くクロエの唇から響く。

 また何かしらの呪文を使う気か。

 それが何なのかは分からないが、それに対応すべくシリウスは動く。

 剣で妨害するには少々距離がある。

 切っ先を伸ばしても、詠唱を終える方が早い。

 だから再び、降り注ぐ火矢を一つの炎として束ねる。

 

 「燃え尽きな!!」

 

 叫び、渦巻く炎を壁にように広げる形で正面へと放った。

 分厚く押し寄せる炎壁。

 これでクロエの視界は遮られ、目前を狙って呪文を放つ事は出来ないはずだ。

 加えて、押し包むように広がる炎を前に逃げ場もない。

 

 「これで……!」

 

 例えこの炎で倒れずとも、結界を失った状態で喰らえばタダでは済まないだろう。

 それでも念を入れて、シリウスは放つ炎を追うように地を蹴る。

 相手が炎を受けた直後に、そのままトドメの一撃を叩込めるように。

 それで終わりだと、シリウスはそう考えて。

 

 「!?」

 

 不意に、炎の壁が目の前で砕けた。

 何事かと一瞬驚き――直ぐに、その答えが目の前に現れる。

 

 『ガアアァアアア!!?』

 

 咆哮。

 砕けた炎の向こうにいたのは、翼と長い尾を持つ人型の怪物。

 赤き戦士などとも称される下位魔神の一種。

 地獄の炎を宿すが故に、その身体は炎で燃やされる事は無いという。

 故にシリウスの放った炎は、魔神に当たって無力に砕けたのだ。

 

 「ッ、魔神を盾変わりに呼び出したの……!?」

 

 流石にシリウスも驚くが――それだけだ。

 咄嗟の判断としては見事だが、所詮は一時凌ぎ。

 たかだか下位魔神の一匹ぐらい、即座に斬り捨ててしまえばいい。

 故にシリウスはその通りにした。

 その太い首を、炎ではなく魔剣の切っ先で呆気なく切り裂いた。

 何の抵抗もなく、赤い魔神は崩れ落ちて――。

 

 「(……いや、おかしい)」

 

 炎のように熱く燃え上がっていたシリウスの思考が、僅かな違和感で冷たくなる。

 そう、おかしい。

 確かに下位魔神程度、敵と呼ぶには不足している。

 だが相手は仮にも魔神と呼ばれる相手、こんな簡単に首を斬れるのはおかしい。

 刃に残る手応えも、余りに軽い。

 其処に何の力も入ってない、まな板の上に転がる肉を切ったような抵抗の無さは――。

 

 「ッ、しま……」

 「――勘の良さは流石ね」

 

 囁く声は、背後から響いてきた。

 シリウスは即座に振り向こうとしたが、遅い。

 ――炎に対する盾として呼び出され、それと同時に哀れな魔神。

 断末魔の余韻を残しながら、その亡骸が崩れ落ちるよりも早く。

 対価を得た事で、再び「帳」を展開したクロエが黒い風となって駆けていた。

 

 「今回は、私の勝ち」

 

 一閃。

 クロエの振り下ろした刃が、シリウスの身体を袈裟懸けに切り裂いた。

 

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