第百十五節:炎の対価

 

 炎が爆ぜる。

 全てを焼き尽くすような熱気と共に、赤い光が大輪の花となって散った。

 それを為したシリウスは、笑みを浮かべながら炎の輝きを見ていた。

 故に、その炎熱を斬り払った向かってくる黒い閃光を見逃さない。

 

 「っと……!」

 

 激突。

 夜色の剣と赤熱の刃が正面から絡み合う。

 

 「流石、あの程度じゃ牽制にもならないね……!」

 「邪魔だから、引っ込んで貰えないかしら……!」

 

 纏う「帳」の力により、疾風と化したクロエ。

 その素早い斬撃を、シリウスはギリギリのところで凌ぐ。

 両者が刃を交えている間も、周囲の魔導士達は再び火矢を降り注がせる。

 本来なら真っ直ぐ落ちるはずのそれらは、不可解な軌道を描いてシリウスの方へと引き寄せられた。

 彼女の魔剣、《炎獣》による炎熱操作。

 

 「っ……!」

 

 直撃して「帳」を削られるのは拙いと、クロエは素早く後方に飛び退く。

 だがシリウスは、その行動にニヤリと笑ってみせて。

 

 「避けるだけじゃダメだよ」

 

 その言葉と共に、引き寄せられた火矢が渦を巻く。

 シリウスが掲げた剣の先で、無数の炎が再び一つの塊となったのだ。

 規模は最初に投げ放ったものよりは小さい。

 が、それでもルージュが使う《火球》の呪文と同等近いもの。

 

 「厄介ね……!」

 

 再び投げ放たれた火の球を避ける為、クロエは大きく跳んだ。

 まだ後ろにいるルージュやガルは、完全な直撃コースであったが。

 

 「ぐえっ」

 

 再び盾として振るわれたジェーンの護りと、ルージュが施した耐火の奇跡。

 それによって大半の炎が散らされたおかげで殆ど被害を受けずに済む。

 何とも不可思議なその光景を見て、シリウスはやはり愉快げに笑ってみせた。

 

 「ちょっと、何ソレ? 流石にそんなのは聞いてないんだけど」

 「偶然拾ったもので、都合が良かったんでな」

 「いやぁ、流石にそろそろ首が締まって苦しいんだけど?」

 

 シリウスの軽口に対し、ガルは律儀に答えを返す。

 盾の言動は無視スルーしつつ、普段なら一番槍を務める男はその場からは動かない。

 ルージュを守る形で立ち、何かを探すように視線を巡らせて。

 

 「……流石に、不意打ちを許してくれるほどそう間抜けでもないか」

 

 散った炎の向こう側から、ぬっと大柄な黒い影が姿を見せた。

 これもやはり、知った相手の声だ。

 

 「あの女戦士がいるのなら、お前も近くに控えているだろうからな」

 「セット扱いされるのは甚だ心外だがな」

 

 黒い半竜の戦士、ガイスト。

 得物である巨大戦斧をその肩に担ぎながら、再度ガルの前に立ちはだかる。

 

 「そっちは任せちゃって大丈夫?」

 「お前こそ、油断して足下を掬われんようにな」

 

 ケラケラと笑う相棒に、ガイストは視線も向けずに言葉を返す。

 そう、ほんの一瞬たりとて目を離す事は出来ない。

 手合わせしたのは地下神殿での一度きり。

 決着も付けられなかったその一戦だけで、相手の実力を理解するには十分だった。

 難敵、好敵手、どのような言葉で形容するのが相応しいか。

 そのどれであれ、ガイストの内で昂る戦への高揚こそが彼にとっての真実だ。

 

 「……すまんが、ルージュの傍に立っていてくれ」

 

 そう言うと、ガルは手にしていたジェーンを軽く放った。

 投げられたジェーンは、軽く翼を羽ばたかせてからゆっくりと両足で着地する。

 大きく息を吐いて、軽く首辺りを回すなどしてみせて。

 

 「立っているだけでいいのかい?」

 「ルージュの身を守ってくれ、と言って通じるならそれが一番だが」

 「良いとも。薔薇の追っ手には助力するのも取引の内だからね」

 

 状況を楽しむように笑う魔神。

 当然、それを全て信用する事など出来ないが。

 今は目の前の難敵との戦いに備え、ガルは両手に大金棒を握る。

 ガイストもまた、肩に担いでいた大戦斧を握り直した。

 

 「女の心配をして気が散る――などという事はあるまいな」

 「そちらこそ、相棒の身が気になって本領を発揮出来なかった、なんて事にはならんだろうな」

 「愚問だな」

 

 挑発とも取れる言葉に対して、ガイストは特に動揺した様子も見せずに淡々と応じる。

 

 「アレは馬鹿でどうしようもない女だが、実力だけは信頼しているつもりだ。故に何の問題もない」

 「そうか。此方も似たようなものだが、少し違うな」

 「ほう?」

 

 ガルの返答に、ガイストは目を細めた。

 

 「クロエは強く、美しい女だ。――故に、俺が気遣う必要は何処にもない」

 

 本人に聞かれたら、また尻尾で殴打されそな物言いだったが。

 幸い、それを聞いたのは対峙する両者のみで。

 

 「成る程、聞いた此方が野暮だったか」

 「そういう事だな」

 

 それが、この場で交わした言葉の全てだった。

 炎が散る中で、轟く咆哮。

 獣であり、戦士である二人は躊躇う事なく正面から激突する。

 

 「ハハハハッ――!!!」

 

 そして響くのは、狂気じみた哄笑。

 薄暗い魔術師達の巣を、紅蓮の炎が彩る。

 業火と共に踊るのは真紅の騎士。

 赤く焼ける刃を振るい、恐れを忘れた狂戦士の如く前進を続ける。

 

 「ふッ……!!」

 

 対するクロエもまた、その猛攻に怯む事はない。

 自身の魔剣の能力を十全に活かし、決して一か所には留まらずに風となって駆ける。

 赤い炎が荒れて、黒い風が吹く。

 シリウスとクロエ、互いの実力は伯仲していた。

 

 「射貫け……!」

 

 剣での攻防の合間に、クロエの呪いが閃く。

 見えざる力場の矢がシリウスの腕や脚を貫くが、ほんの少しも怯む事はない。

 むしろ勢いを増した様子で、振り回す炎の火力を上げる。

 

 「イイネイイネ、そうでなくっちゃ!!」

 

 火炎を剣に、或いは降り注ぎ続ける火矢の軌道を直接曲げて。

 一時も休む事無く、燃える炎の攻勢は続く。

 それらを、クロエは身に纏う「帳」によって何とか防いでいた。

 しかし力場の結界も、決して無敵ではない。

 叩き込まれる刃と炎の圧力により、確実に軋みを上げていた。

 

 「どうやらそのバリアみたいなのも、耐久限界があるようだね……!」

 「さて、それはどうかしら……!」

 

 魔剣同士が噛み合い、僅かに火花が散る。

 揺さぶるようなシリウスの言葉を、今度はクロエが笑って返した。

 限界は近い、それは事実だ。

 だがそれを言うならば、シリウスの方も似たような状態のはず。

 致命傷こそ避けているが、その身体には決して浅くはない刀傷が幾つも刻まれている。

 先ほど《見えざる矢》で貫いた矢傷なども含めれば相当の深手だ。

 出血はシリウス自身が炎によって傷を即座に焼いている為、傷の数に比べれば少ない。

 しかし当然、傷を焼くのは生半可な事ではない。

 それが複数となれば、一体どれほどの苦痛に耐えねばならぬのか。

 

 「ハッ――!!」

 

 けれど、シリウスはそんな痛みに苛まれている様子は微塵もない。

 攻撃の勢いは衰えず、むしろ戦意を炎のように燃え上がらせながら向かってくる。

 通常では考えられない頑強さタフネスだ。

 ガルならばこのぐらい耐えそうだが、それは種族生来の耐久性もあっての事。

 如何に鍛えているとはいえ、人間の女性がまるで痛みを感じていないかのように――。

 

 「……まさか……?」

 

 それは根拠のない思い付きだった。

 だがもしそうであるのなら、この異常なタフさにも説明がつく。

 

 「どうしたよ、動きが鈍くなってない!?」

 

 変わらず、降り注ぐ火矢を武器として仕掛けてくるシリウス。

 その刃と炎を、一瞬「帳」の表面で受け流して。

 

 「毒虫の羽搏きを聞け……!」

 

 クロエは、シリウスに向けて呪いの言葉を吐く。

 合わせて、虚空より沸き出た黒い羽虫の群れのようなものがシリウスの周囲を覆い尽くす。

 初見の呪いを受け、シリウスは僅かに驚きを見せるが……。

 

 「……って、なにコレ。何も起きないじゃん」

 

 炎を操り、黒い呪いをすぐさま蹴散らす。

 呪いをモロに浴びたはずのシリウス自身には何ら変化はない。

 それをシリウス自身は訝しんでいるようだったが、クロエは違った。

 呪いを放ったクロエ自身には、相手が呪いの影響を受けた時と同じ手応えがある。

 にも関わらず、シリウスは何も起きていないとしている事実。

 それは、自身の予測が正しい事をクロエに確信させた。

 

 「……それが」

 「ん?」

 「それが、貴女のなの?」

 

 真っ直ぐに。

 クロエは、己の導き出した答えをシリウスに向けた。

 赤い女戦士は一瞬、きょとんとした表情を見せてから――。

 

 「……あぁ、流石に分かるか。まぁ、そりゃそうだよねぇ」

 

 何でもない事のように、笑って見せた。

 

 「そう、その通り。コレが私の魔剣、《炎獣》の対価。折角だし、答え合わせ聞いとこうか?」

 「…………」

 

 わざわざ攻撃の手を止めて、シリウスは改めてクロエに問いかけた。

 それに対し、クロエはほんの少しの間を置いて。

 

 「……


 先ほど使った呪いの名は、《痛みの幻覚ファントムペイン》。

 相手に強烈な痛みを一瞬与える事で、その行動を阻害する呪い。

 それを受けて、全く何の反応も示さなかったという事は……。


 「御名答」

 

 笑う。

 いっそ明るく、魅力的な女の笑み。

 しかし炎に塗れ、痛みと苦しみを忘れた者の浮かべる表情と知れば、其処に宿る狂気も理解出来よう。

 クロエはその本質の一端に触れた気がして、知らず身震いをしていた。

 

 「痛み、苦しみ――それを知る為の感覚。それが、私がこの炎の魔剣に捧げた対価だよ」

 

 シリウスは笑っていた。

 魔剣の炎に痛みを焼き切られた女は、この死線が心底楽しいと――愉快げに、笑っていた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る