第百十三節:研究棟
「いやぁ流石に死ぬかと思った……!」
「あんま一人で無茶するもんじゃないよ、まったく」
毒霧が完全に晴れた通路。
周りに何本も空になった瓶を転がしながら、ビッケは大きく息を吐き出した。
その一つを適当に摘まみ上げつつ、ルージュは骰子を振って治癒の奇跡を発動させる。
瓶に入っていたのは《
毒霧からの脱出が不可能と判断したビッケは、大鞄の中から取り出したそれらを飲みながら耐える事を選んだ。
そうしていれば、鋼鉄人形を倒した仲間が間に合うはずと確信して。
そうして実際、それは現実のものとなった。
「うむ。おかげで厄介そうな手合いも片付けられたからな。よくやってくれた」
大金棒を担ぎながら、ガルは一つ頷く。
その足元には胸から上が叩き潰された死体が一つ転がっている。
その手から零れ落ちた魔剣は、クロエによって呆気なく叩き折られた。
「毒の霧を操る魔剣ね……こんな狭い場所でまともに戦ってたら、危なかったわね」
「相手が不死者じゃなければオレだけで仕留められてたかもしれないんだけどねー。いやぁ助かった」
奇跡による毒の治療が終わると、ビッケはその場で軽く身体を動かす。
まだ痛みは残っているが、それも時間が経てば治まってくるだろう。
「――魔剣持ちも一蹴か。お見事お見事」
そう言って、のんびりとした足取りで魔神ジェーンも通路の向こうからやってくる。
パチ、パチと、気の抜けた拍手の音もおまけしながら。
ルージュの呼びかけに応じて、早々に鋼鉄人形を打ち倒した時も、この魔神だけは未だ戦っている最中だったが……。
「人形の方はどうしたの?」
「勿論、始末してきたとも。いや、手間が掛かって申し訳ないね」
クロエの問いに、ジェーンは笑いながら肩を竦めて見せた。
――手の内は見せないつもり?
鋼鉄人形との戦いで見せた奇妙な力。
アレも結局、その本質が如何なるモノかは理解出来なかった。
そうして今、他の目が無くなったところであっさりと鋼鉄人形を破壊してきたと言う。
どうにもこの魔神の真意が何処にあるのか、クロエは図りかねていた。
「そうか。では先に進むが、此処について何か知っている事はあるのか?」
「あぁ、言ったと思うが此処は《帝国》に属する魔導士達の住処――いや、研究棟と言った方が正しいのかな?
兎も角、多くの魔導士が此処に詰めているはずだよ」
真っ直ぐ問いを投げるガルに、ジェーンの方も素直に応じる。
その言葉には虚偽はないはずだが。
「魔導士の大半は研究畑で戦い慣れなどしていないだろうが、配置された守護者の方は注意した方が良いだろうねぇ。
警報も盛大に鳴ってしまったし、警戒ぐらいはしているんじゃないかな?」
「他人事みたいに言う事かねぇ……」
警報を鳴らした原因に対して、ルージュは大きくため息を吐いた。
鳴り響いていた音は既に治まっているはいるが、鋼鉄人形が倒された事なども既に伝わっているかもしれない。
そうなれば時間を追う毎に、敵の守りが固くなっていく可能性は非常に高かった。
「んじゃ、さっさと動いた方がいいか。あ、オレもう大丈夫なんで」
「……そうね。この先に進めば良いの?」
「さて、私も余り詳細な構造までは分からないからね」
笑ってそう応えるジェーンに、クロエは微妙な苛立ちを感じた。
どうにも、この魔神相手だと感情が余り抑制出来ない。
明らかに裏のある態度が神経を逆撫でしているのか、それとも何か別の理由があるのか。
分からないが、今はそんな事に頭を悩ませている時間はない。
「では行くか」
そのガルの言葉を号令にして、通路の奥へと足を向ける。
鋼鉄巨人も通れるように、通路はかなり広く作られていた。
その広い通路を僅かな明かりで照らしながら、クロエ達は足早に進む。
明かりで照らしている範囲は狭いが、暗闇も見えるクロエやガルは更に先までを見通していた。
闇の中に待ち伏せる敵がいないか等、注意しながら先を目指す。
「……あれは……」
程なく、通路の終わりらしきものが見えて来て、クロエは小さく呟く。
それほど長い時間を歩いたわけではないが、結局守護者の類とは出くわさなかった。
勿論、この先で待ち構えている可能性は十分以上にあるが。
「さて、何が出るか」
例え何が出て来ようが、その全てを蹴散らすのみ。
その意思を示すように、ガルは大金棒を握る手に力を込めた。
やがて、視界は開けて――。
「……おぉ??」
其処に辿り着いた時、ビッケは思わず感嘆の声を漏らしていた。
広い、先ほどまでの部屋と比較しても更に広大な空間。
横も広いが、それ以上に縦に広い。
建物何階分になるかも分からないが、見上げる程の高さまで吹き抜けになっている。
クロエやガルの目でも、天井は暗闇の向こうに霞んでしまって確認出来ない。
周囲の壁には幾つもの扉と、それに合わせた足場や通路が蜘蛛の巣のように張り巡らされていた。
そしてその空間の中心。
其処には塔のように高い石碑があり、奇妙な紋様が赤い光を宿して血管のように脈動している。
その石碑から絶えず発せられる濃密な魔力が空間全体を満たしている事を、クロエは肌で感じ取った。
「何だいこりゃ。つーか流石に広すぎやしないかい? 地下にあるんだろ、此処?」
「魔法で空間を拡張するなりして誤魔化しているんだろうさ。それが出来るのが《帝国》の力というわけだ」
ルージュの疑問に、ジェーンは何の事もないように答える。
その言葉が真実であるなら、何と途方もない話だろうか。
「……で、扉は何か見渡す限り大量にあるんだけど。これ一体何処へ行けば?」
「何処へ行けば良いのかしらね……」
幸い――なのかは分からないが、足を踏み入れても敵がやってくる気配はない。
此処が魔導士達の住処であるなら、いい加減守護者の一つぐらいは襲って来ても良いものだが。
「……とりあえず、この辺調べて見る?」
何処へ向かうべきか分からない以上、結局はそうする他無い。
ビッケの言葉に異論を挟む者はいなかった。
それから探索を主に行うビッケが先頭に進み、クロエとルージュがそれに続く。
普段は前に立つ事が多いガルは、今回はジェーンと共に後方についた。
「見張り役とかそういう感じかな?」
「理解しているなら大人しくしていろ」
ケラケラと笑うジェーンに、ガルは静かな態度を崩さない。
但し、怪しい動きがあれば即座に担いだ大金棒が振り下ろされるだろうが。
それを理解しているのかどうか分からないが、ジェーンは無抵抗さを示すように両手を上げて見せた。
「大丈夫だよ、取引した以上はその結果は守るさ。契約には誠実だからね、私は」
「契約外は好きにするって事だろう、ソレ?」
横から聞いていたルージュの指摘に、ジェーンはバレたかとわざとらしく笑うだけ。
何か企んでいるようにも、何も考えずにただおちょくっているようにも見える灰色の態度。
過去に魔神との契約に手を出した多くの者達も、こんな疑心暗鬼に囚われながら破滅したのだろうか。
「……静かすぎて不気味だなー」
他の仲間達よりも数歩ばかり先行して。
ビッケは周囲の様子を細かく探りながら呟いた。
耳を澄ましても、聞こえるのは石碑が魔力を発して脈動する不気味な鼓動音ぐらい。
人の気配らしきものはそこら中にあるのだが、物音の類は殆ど聞こえなかった。
恐らく、この研究棟にいるという魔導士の大半は壁にズラリと並んだ扉の奥にいるはずだが。
「あの中を覗き込むのは無しだよなぁ」
「流石にそれはちょっと……」
ビッケの言葉に、クロエは小さく首を横に振った。
虎穴に入らずんば、なんて格言もあるが、飢えた虎がいると分かって穴に入るのは賢い選択と言えるだろうか。
そも、扉の向こうにいるのが飢えた虎か悪辣な毒蛇かも分からないのが現状だが。
「いっそ、あの妙にデカい石碑を調べるのはどうだい?」
そう言ってルージュは、赤く鼓動を発し続ける巨大な石碑を示す。
明らかに怪しいので、此処までは極力近づかないように注意しながら探っていた。
しかし安全策ばかりでは埒が明かないのも事実で。
「……何処かで危険は冒す必要があるだろう。幸い、今はまだ此方も消耗は少ない」
傍らの魔神に対する注意は怠らず、ガルもまた石碑の方に視線を向けた。
他に動きはなく、探っても別の場所に繋がるような道もない。
「よし、ちょっと確認しに行ってみるわ」
覚悟を決めたか、ビッケが軽く手を上げる。
それから念の為、後方に立つジェーンの方に目を向けた。
「一応聞いておくと、アレが何なのかは知ってる? 知ってるんなら教えて欲しいんだけど」
「魔力の供給装置、と言えば良いのかな? この階層では多くの魔導士が、日夜研究を続けている。
あの石碑はその為に必要な魔力を、この階層全体に行き渡らせているわけだ」
ビッケの問いに、ジェーンは素直に知っている事を口にしたようだった。
無論、それが知り得る全ての知識とは限らないが。
「めっちゃ重要な設備なのは分かったけど、それなら迂闊に触るのはダメな感じじゃない?」
「なら適当な部屋の扉を開けてみるかな?
ちなみに石碑を上手く操作できるのなら、移動用の『門』に魔力を通して道を開く事も出来るだろうね」
ここぞとばかりに、今まで口にしなかった情報もサラっと言い出した。
「君も呪文は使えるだろう? あの石碑は魔法の設備だが、術の心得があれば操作ぐらいは可能だろうね」
「チクショウいきなり饒舌になりやがって……」
全てを口に出していないが、語る言葉に偽りはない。
逆にそれが厄介である事を、ビッケも文字通りに痛感していた。
とはいえ、現状ではその情報が唯一の光明だ。
時間をかけすぎてはまた何が出てくるかも分からない。
「……じゃ、軽く見てくるから! 警戒ヨロシク!」
「あぁ、此方は任せろ」
「気を付けてね……!」
さっと石碑に向かうビッケの背に向けてガルは力強く答え、クロエは気遣いの言葉を投げかけた。
石碑は変わらず強い魔力を帯びて、地響きのような鼓動を繰り返している。
一歩二歩と進むが、大きな変化はない。
三歩四歩と近付くと、余りに濃い魔力に少し気分が悪くなる。
魔力酔いとでも言えば良いのか、ビッケは己の意識を強く保つよう努めた。
そうして石碑に触れられる程の距離まで近づいて、ビッケは大きく息を吐き出す。
此処までは良いが、本番は此処からだ。
石碑の表面に刻まれ、赤い光を放っている紋様。
それが何か複雑な呪文式である事は読み取れるが……。
「こんなんホントに操作出来るか……!?」
研究者ではなく、あくまで実戦の場で使えるよう狭く魔術を習得しただけの身では荷が重い気がする。
一応、じっくりと見れば断片的には式の意味を出来るが、どう手を付けたものか。
「……とりあえず」
実際に触れて、石碑の魔力と同調すればもう少し理解が進むかもしれない。
そう考えてビッケは、その指先を赤く光る紋様に触れさせて――。
次の瞬間、真っ赤な輝きが階層全体を照らすように大きく弾けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます