第百十節:罠

 

 番人であった魔神を蹴散らした後。

 クロエ達は負傷の治療などを簡単に終わらせると、その部屋の中心に集まっていた。

 床に輝くのは一つの赤い魔法陣。

 強い魔力を帯びたそれは、今も術式が稼働している事を示すように輝きを放っている。

 直ぐには飛び込まず、先ずは物理的な仕掛けがないかをビッケがチェックする。

 この魔法陣――『門』以外にも魔力の反応がないか、《魔力感知》の指輪で確認もしてから一息。

 

 「罠の類は多分大丈夫ー。多分」

 「微妙に自信がないのね……」

 

 ビッケの言葉に、クロエは少し苦笑いを浮かべる。

 実際、罠や仕掛けはどれだけ念入りに調べても引っ掛かる時は引っ掛かるものだ。

 手が届く範囲、目に付く限りを調べても、見逃しやそもそも届く範囲の外に仕掛けがある事も珍しくはない。

 神ならぬ人である以上は、完璧という言葉は遠い理想だ。

 故に出来うる限りの事をしたら、後は天に祈る他ない。

 

 「それじゃあ、此処に入るわけかい? 何処に通じてるのかは分かってンのかい?」

 「恐らくは、“管理者”達の巣だよ」

 

 幸運の女神に祈りながら、ルージュは情報提供者に問いかけた。

 それを受け、ジェーンは肩を竦めながら応える。

 

 「“管理者”?」

 「先ほども言ったと思うが、この『館』には複数の施設が存在する。

  この魔神を閉じ込めておく牢獄もその一つで、それ以外にも研究施設や儀式を行う為の神殿などもある」

 

 枷を嵌められたままの手を動かすと、ジェーンは空中に光の線を描き出す。

 それは幾つもの構造体が複雑に重なり合った、何か巨大な建造物の姿をクロエ達に示した。

 

 「ちなみにこれは大雑把に『館』の構造を表現したもので、必ずしも正確ではないから悪しからず」

 「それで、その“管理者”というのは?」

 「せっかちだなぁ蜥蜴君。まぁ勿体ぶる話でもないが。

  要するに、この『館』内の施設を文字通り管理している帝国所属の魔導士達の住処というわけさ」

 

 ガルの言葉に軽く笑いながら、ジェーンは『館』の概略図にある一つの区画エリアを指差した。

 

 「各施設は術式による『門』での接続されているから、物理的な位置に余り意味はないんだがね。

  兎も角、今から行く場所は頭のイカれた魔導士共がうじゃうじゃといる所だ。覚悟した方がいい」

 「……頭のおかしい魔神とどっちがマシなのかしらね」

 

 そうクロエは皮肉るが、ジェーンにとっては心地の良い微風のようなものだ。

 向けられた悪意さえ愉快だと笑う魔神から、クロエは視線を背ける。

 そんなやり取りを横から眺めつつ、ガルは一つ頷いて。

 

 「どういう場所であれ、進む他ないなら進むだけだな。この『門』は一人ずつしか使えんのか?」

 「いいや。ただ陣の中にちゃんと入らないと正常に動作はしないだろうから、其処は気を付けるといい」

 

 そうか、とガルは簡単に言葉を返す。

 それから有無を言わさず、ジェーンの翼をむんずと掴んだ。

 

 「お?」

 「眼を離したくはないからな。一緒に『門』に入って貰う」

 「おやおや情熱的なお誘いだなぁ。何なら正式に契約を結んでも」

 「先ずは俺がコレを持って『門』に入る。お前達はその後に続いてくれ」

 

 魔神の戯言は完全にスルーして、ガルは他の仲間達にそう伝える。

 やはりクロエは心配そうな表情で見上げて。

 

 「私も一緒に行かなくて大丈夫? 『門』も狭くはないし、一緒に入れば……」

 「とはいえ、四人全員で入るには少々手狭だからな。ビッケやルージュだけ残して、万一があっても困る」

 

 身を案ずるクロエを安心させようと、ガルは大きな手でその髪を撫でた。

 痛みを与えたりしないよう、慎重な手つきで触れる。

 

 「俺が潜った後、直ぐに来てくれれば良い。なに、多少の修羅場なら問題ない」

 「……それは分かってるけどね」

 

 だからこそ、無茶をしがちな男の事が心配で仕方ないのだが。

 これ以上は足を鈍らせるだけだと、クロエは小さく頷いた。

 そうして自分を撫でている手を握って、其処に軽く唇を寄せる。

 

 「けど、本当に気を付けてね。その魔神も、この場所も、どれも危険は未知数だから」

 「――あぁ、勿論だ」

 

 力強く頷いて、名残惜しむ心を表には出さずにガルはクロエから離れた。

 

 「ま、直ぐに行くから勝手に先に進まないようにねぇ」

 「アニキならその辺大丈夫だとは思うけど、一応コレ渡しとくよ」

 

 果実酒を舐めながら見送りモードのルージュ。

 ビッケは大鞄から、普段は自分が纏めて預かっている冒険用の道具一式を詰めた袋をガルに渡した。

 それを片手で受け取って、ガルは軽く礼を言ってから改めて床に刻まれた『門』に目を向ける。

 赤く、不気味な光を放つその陣へと歩き出す。

 

 「まったく君は大した男のようだね、蜥蜴君」

 「無駄話か?」

 「生きる事の多くは無駄ばかりなら、少しばかり空気と言葉を浪費しても贅沢とまでは言い難い。そう思わないかな?」

 「知らん」

 

 何かよく分からない事を口にし始めたジェーンに対し、ガルの態度は変わらない。

 無抵抗な魔神をぶら下げたまま、ガルは『門』の前で立ち止まる。

 どうにも嫌な予感がする。

 この先に過酷な環境が待ち構えているとか、それとは別種の何かだろうか。

 を、第六感が告げている。

 根拠らしい根拠などまるでないただの勘働きに過ぎないが……。

 

 「どうしたのかな? 進むんだろう?」

 「……何か言い忘れた事はないか?」

 「この先の魔導士達に領域についてなら、私が知っているのは先ほど言った事が全てだよ」

 

 魔神は虚偽を口にしない。

 ならば今の発言も真実である事は間違いないはずだが。

 だが危険を知らせる予感は消えない。

 ジェーンの様子からして、この女は何かを理解した上で敢えて口にしてないようにも見える。

 が、それを正面から聞いたところで素直に答えるとも思えない。

 

 「……仕方ない」

 

 どの道、この『門』を潜らねば進めないのだ。

 危険は承知のものとして、ガルは遂に赤く輝き陣の中へと足を踏み入れた。

 一瞬の浮遊感と、視界を染め上げる白。

 別の空間同士を繋げる――という自然にあり得ない現象は、どうしても人体に強い負荷が掛かる。

 しかしガルは持ち前の強靭な肉体で、転移酔いなどまったく受ける事無く新しい区画に降り立った。

 明かりの無い暗闇を、ガルはその眼で昼間のように見通す。

 

 「ふむ」

 

 見た目上、先ほどいた部屋より広い事以外は特筆すべき物は何もない。

 ただ天井が高く、部屋岡部の三方向に妙に大きな扉がある事だけが少し気になった。

 陣から一歩踏み出して、周囲を見渡す。

 今のところ、これといって特に危険な事は……。

 

 「む……?」

 

 そう考えたところで、突然大きな音が鳴り響いた。

 複数の管楽器を同時に激しく吹き鳴らしているかのような騒音。

 一体これは何の音なのか。

 流石に困惑するガルに対し、ジェーンは変わらずニヤニヤと笑っている。

 

 「分からないかな? これは警報という奴だよ。

  異常の発生を、施設内の他の人間に纏めて知らせる為の仕掛けだろうさ」

 

 笑う。悪戯が上手く行った事を喜ぶ子供のように。

 ガルは喉の奥で唸り声を鳴らす。

 やはり罠か。

 しかしビッケが確認した範囲では、あの転移の陣以外は何もなかったはずだ。

 或いは転移した先である、こちら側に何かしらの罠があったか。

 一瞬考えを巡らせるガルに向けて、ジェーンは楽し気に笑いかける。

 

 「見落としがあるとしたら、それは私だろうね」

 「お前が何かしらを仕掛けたと?」

 「いやいや、そうじゃないとも。ただ、最初に気付くべきだったんだよ」

 

 魔神は笑い、そしてこの事態の種を明かす。

 

 「? しかも魔神としてあの牢獄に入れられていた。

  当然それが勝手に『門』を使えば、そりゃ異常を知らせる警報ぐらいは鳴るだろうさ」

 「……成る程、そういうわけか」

 

 クロエ辺りは激昂しそうな話だったが、クロエはただ静かに頷いた。

 もうこうなってしまった以上は仕方ない。

 このジェーンとか名乗る魔神の存在も、リスクの一つに過ぎないとガルは考える。

 片手で吊るしていたジェーンを適当な床の上に放ると、背負っていた大金棒を肩に担いだ。

 

 「扱いが雑だねぇ。あぁそれと、契約の方は違えるつもりはないから其処は安心して欲しい」

 「それがなければ直ぐにでも潰しているところだな」

 

 魔神の軽口をバッサリ切り捨てて、ガルは意識を周囲に向けた。

 程なく、背後にある「門」が反応を見せる。

 クロエ達だ。彼らも少し遅れて、魔神の監獄からの転移を果たした。

 相変わらず薄暗い部屋に、何故か鳴り響く魔法の警戒音。

 

 「ちょっと、何これ……!?」

 

 やはり驚き戸惑うクロエ。

 ビッケやルージュなど余りの音量に思わず耳を塞いでしまう。

 さて、どう説明するべきか――そうガルがほんの少しでも頭を悩ませた時。

 鳴り響く警報の音に混ざって、地を揺らす「何か」の存在に気付いた。

 最初は微かに、けれど今は確実に音も揺れも大きくなっている。

 

 「備えろ! 直ぐに敵が来る!」

 

 響く警報に負けぬよう、ガルは声を張り上げる。

 それとタイミングを合わせたかのように、大きな三つの扉が一斉に弾け飛んだ。

 

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