第百九節:魔神は嘲笑う

 

 「死の爪デスクローか。どうやら完全に調教済のようだが、あの女も良くやる」

 

 鋼と爪。その激しい応酬を眺めながら。

 魔聖霊の女ジェーンはそんな呑気な感想を口にした。

 死の爪、と呼ばれた六腕の魔神。

 魔神としての位階は下級レッサーだが、その力は侮りがたい。

 

 『GAAAAAA!!!』

 

 意味ある言葉となっていない咆哮。

 基本的に魔神の知性は人間と同等かそれ以上だが、この六腕の怪物は獣の如し。

 牙を鳴らし、雄叫びを上げながら鋭い爪を備えた腕を振り回すのみ。

 その様は狂乱した獣そのもの。

 魔術を扱う能力を持たず、ただ只管に強靭な肉体に備わった爪や牙で敵を引き裂く。

 そんな完全に物理に特化したのがこの「死の爪」と呼ばれる魔神だった。

 並みの戦士なら即座に八つ裂きになる攻撃を、ガルは臆することなく正面から受け止める。

 

 「ふんッ……!!」

 

 多方向から同時に迫る爪を、構えた武器や鱗で防ぎ。

 それから相手の足目掛けて強烈な蹴りを打ち込む。

 大したダメージにはならないが、強い衝撃を足に受けた事で「死の爪」が僅かによろめく。

 その一瞬の隙で、ガルは大金棒を大きく振り上げると――。

 

 「イアッ!!!」

 

 真っ直ぐに、「死の爪」の腕に向けて先端を叩き落す。

 当然、一撃だけでは済まさない。

 二度、三度、四度。

 最初に大金棒を打ち付けた腕に目掛けて、更に打撃を重ねる。

 肉が潰れて、骨が砕ける感触。

 仮に人間ならば片腕が丸ごと挽き肉になるような威力だが、相手は魔神。

 明らかに骨の砕けた腕に力を込めて、振るわれる大金棒を逆に掴んで見せた。

 苦痛を感じないのか、それとも狂乱によって吹き飛んでいるのか。

 そのどちらかは定かではないが、結果としてガルの動きは「死の爪」に抑えられる。

 

 「むっ……!?」

 『GYAAAAAAAA!!!』

 

 何とか振り払おうと大金棒を引っ張るが、力は拮抗していた。

 「死の爪」は足掻くガルに対して牙を見せて笑う。

 二本の腕で大金棒をガッチリと捕まえて、それから残り四本の腕を振り上げる。

 その爪の先端は、ガルの鱗であっても容易く切り裂く。

 魔神がそれらを振り下ろせば、鍛えられた蜥蜴人の身体であろうと関係はない。

 全ての生ける者はただ無力に引き裂かれるのみ。故に「死の爪」。

 狂える魔神は哀れな犠牲者を嘲笑う。

 武器から手放す事無く、未だに無理やり振り払おうとする相手を愚かだと笑う。

 抑えて、そのまま「死の爪」は四本の腕を叩き付けようとするが。

 

 「――呪われよ」

 

 言葉が。視線が。

 冷たく、鋭く、「死の爪」の身体を貫いた。

 それは物理的な意味ではない。

 呪いを囁く声と、敵意を乗せた視線が魔力を込めて放たれたのだ。

 物理的な実体を持たないその力は、「死の爪」の身体を硬い石のように縛り付けた。

 《金縛りホールド》の呪文。

 ガルが戦っている間、「死の爪」の後方に回っていたクロエが呪いを飛ばす。

 相手の動きを完全に束縛する呪いであるが、維持の時間は短く高い集中力が必要なものだ。

 この状態では新しい呪文は使えないし、前に出て戦えば術の集中が切れる可能性もある。

 だが十分だ。自分は別に、一人で戦っているわけではないのだから。

 

 『GYAAA!?』

 

 痛み。今度は物理的なものが「死の爪」の顔を貫いた。

 正確には目。何が起こったのか、魔神の目は捕えてはいなかった。

 それが小人――ビッケが、三つの目だろうと構わず取った死角から放った矢だとは。

 クロエの呪いで身動きを封じられている「死の爪」。

 ビッケはここぞとばかりに懐へと飛び込む。

 狙うは腕。縛られた状態でも、ガルの大金棒を掴んだままの二本の腕だ。

 

 「当たれ……!」

 

 祈りを込めた呟きと共に、ビッケは腰から抜き放った細剣を振るう。

 走る前に、ルージュの手から幸運の女神の骰子は振られている。

 常より「幸運」を呼び込みやすくなる祝福の奇跡。

 その導きに従って、鋭い剣の先端は「死の爪」の腕を貫く。

 狙ったのはガルが大金棒で殴った腕。

 硬い表皮も、鉄の如き骨も、既に負傷ダメージを受けている。

 ビッケの剣はそれらを容易く切り裂いて、魔神の腕から赤黒い血を噴き出させた。

 致命的な一撃クリティカルヒット

 無論、それはあくまで腕に大きな傷を刻んだのみで、生死に関わる負傷ではない。

 そもそも例え腕一つがもげたところで、魔神の生命力なら致命傷にはならないだろう。

 だが当然、腕の力は万全な状態と比べて半分以下に削ぎ落されて。

 

 「良くやった……!」

 

 ガルがその爪から、己の得物を無理やり引き剥がすには十分過ぎた。

 

 「っ……動く! 気を付けて!」

 

 それとほぼ同時に、クロエの呪いが途切れた。

 痛み。屈辱。怒り。その全てを狂気という泥で一つに合わせて。

 

 『――――!!』

 

 「死の爪」は叫ぶ。

 聞く者の心を恐怖で押し潰す死の咆哮。

 もしその声に身を竦ませたなら、次に待っているのは爪と牙で血肉を引き裂かれる結末のみ。

 事実、ビッケは細剣を構えたままの状態で思わず足を止めてしまった。

 クロエの方は展開していた「帳」でその影響を防いでる。

 そしてもう一人、至近距離でその雄叫びを浴びせられた男は。

 

 「イアッ!!」

 

 僅かの怯みも無く、大金棒を再び「死の爪」へと叩き込んだ。

 技術も駆け引きもない。

 力の侭に暴れる魔神に、自らもまた己の力をぶつける。

 戦の声を上げて、ガルは大金棒を振るう。

 爪を叩き、腕を殴り、時には大金棒以外でも思い切り殴りつけて。

 

 『GYAAAAAA!!』

 

 「死の爪」また一歩も退かず、ガルの五体を引き裂こうと爪を激しく振り回す。

 それらは鱗を幾らか切り裂くが、その下の肉や骨にまでは届かない。

 ガルの振り回す大金棒によって阻まれているからだ。

 打ち付ける。叩き込む。殴る。切り裂く。足りない。届かない。

 狂気によって理性も知性も濁っている「死の爪」。

 だが、生命を皆殺しにするという本能は滞りなく回っている。

 蜥蜴人は目の前の脅威に集中し、それ以外は何も見えてはいない。

 故に「死の爪」は、確実に敵を仕留める為の一手を相手の死角に蠢かせて――。

 

 「……流石に、ガル一人に気をやりすぎでしょう」

 

 声。また鋭い痛み。

 先ほど自分を呪いで縛った相手の声に、「死の爪」は吼えようとした。

 だがそれは声にはならず、打撃音によって喉奥へと潰される。

 

 「イアッ!!」

 

 ガルだ。痛みに怯んだ「死の爪」の顔面を、大金棒で思い切りぶちのめす。

 もう一人、魔神の背後に回っていたクロエは手にした魔剣を閃かせる。

 狙いは一つ、「死の爪」の尾だった。

 長く太い鞭のような尾の先端には、鋭い刃が備わっている。

 刃の長さは短剣ショートソード程はあり、先端は極めて鋭い。

 恐らくは胸の辺りを狙えば、ガルの鱗や筋肉など簡単に突き抜けて心臓を貫いていた可能性は高い。

 それを実行される前に、クロエの剣が尾を半ば断ち斬ったが。

 ダメ押しの刃で、今度こそ完全に「死の爪」の尾が切断される。

 

 「ガル!」

 「応ッ!!」

 

 腕一つに目玉が一つ、そして切り札の尾が一本。

 これだけ失ってしまえば、後は一気に押し切るのみ。

 クロエに名を呼ばれ、一層力を漲らせたガルは火の玉の如くに弾けた。

 先ほどまでとは比較にならない力で、大金棒を叩き込む。

 「死の爪」はこれを腕で防ごうとしたが、無駄な抵抗に終わる。

 骨も筋肉も纏めて叩き潰し、更には胴体までも拉げさせた。

 血が零れる。魔神特有の濁った血が。

 その全てが物質界との接点を失って塵になるまで、決して攻撃の手は緩めない。

 

 『――――ッ!!!』

 「ちょっと、死ぬ死ぬ死ぬ……!」

 

 叫びは最早断末魔に等しく、まともな音にもなっていなかった。

 つい今しがたまで魔神の咆哮に怯んでいたビッケは、巻き添えを食らう前に床の上を転がる。

 幸いにも、踏み潰される事も大金棒の誤爆を受ける事もなく避難出来た。

 離れた場所に立つルージュの足元辺りまで来たら、跳ねるように起き上がる。

 それから大きく一息吐いて。

 

 「あの魔神って結構強いよね?」

 「だと思うけどねぇ」

 

 ビッケの問いに、ルージュは適当な答えを返す。

 そうしている時も、ガルの攻撃は途切れる事無く続く。

 此処にクロエが呪いなども交えて援護に動けば、もう戦いとすら呼べなかった。

 おかげで最初にビッケに対して祝福を施した以外、ルージュは完全に見物の構えだ。

 これももう少し前であれば、間違いなく苦戦する脅威だったろうが。

 

 「――ま、あのぐらいはもう敵じゃないって事だろうね」

 

 そんな事を言いながら、ルージュは軽く笑った。

 そしてその言葉とほぼ同時に、「死の爪」の動きが完全に停止する。

 

 「終わりだな」

 

 一撃。

 死の確認の兼ねたトドメの大金棒が、魔神の巨体を打ち倒す。

 何の抵抗もなく「死の爪」は石の床を転がって、そのまま壁にぶつかって動かなくなる。

 それを見て、完全に絶命してる事を確認してからクロエは初めて力を抜いた。

 

 「お疲れ様。そう苦戦はしなかったけど、怪我は大丈夫?」

 「問題ない。……と言うところだが、念の為にルージュの治療をして貰うか」

 「ええ、そうして。直ぐに治る傷ばかりでしょ?」

 

 比較的に軽傷だが、それもあくまでガル自身の基準だ。

 受けた傷の数や深さはそれなりにある。

 下級魔神でも単純な戦闘力なら上位に入る「死の爪」を相手に戦って、その程度で済む事自体が驚異だが。

 既にこれ以上の死線を幾度も潜って来た冒険者達に、余りその自覚はなかった。

 

 「……成る程、これはなかなか」

 

 ただ一人。

 余計な戦いに干渉することなく、ただ眺めていた上級魔神だけがそれを認識していた。

 名を秘した魔聖霊は密やかに笑う。

 ――思った以上に、退屈しないかもしれないな。

 それは声に出す事無く、ジェーンを名乗る女はただ嘲笑う。

 その嘲笑は誰に、何に対して向けられたモノか――それは、彼女自身にしか分からない事だった。

 

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