第百七節:薔薇の猟犬達

 

 急な招集を受ける、というのは別段珍しい事でもない。

 珍しい事ではないが、漂う空気が普段と異なるのをガイストは肌で感じていた。

 場所は帝都の将、ヴァイオラの管理する屋敷の一つ。

 焼け焦げた痕の残る広間にて、多くの騎士達がその場に集っていた。

 薔薇の紋章を掲げた、皇帝の剣。

 自身や傍らに立つ相方のシリウス以外にも、多くの実力者達が下される命を待っている。

 

 「さて、急な事で申し訳ないですね」

 

 いっそ穏やかな様子で、ヴァイオラは自身の配下達にそう声を掛けた。

 緊急という話であったが、いっそ状況を楽しんでいるように見える。

 それを示すように、ヴァイオラは涼やかに笑いながら。

 

 「少々、久方ぶりに会った妹と語らっていたら逃げられてしまいまして。

  どうも無限回廊の仕掛けを突破した際に、生じた空間の裂け目ポータルからまったく別の場所に落ちたようで」

 「……別の場所、というと?」

 「恐らくは地下にある『館』でしょうね。此処には飛ぶ為の『門』が複数ありますが。

  無限回廊を無理やり破った時に、空間を曲げる術式と『門』の術式が干渉しあったのでしょう」

 

 気付いた時には、妹――クロエ達の姿は何処にもなく。

 ただ残った空間の痕跡から、地下へ転移してしまった事だけは分かっていた。

 

 「もっと細かい位置情報とかは分からない感じですかね?」

 「ええ。ですから貴方達は、それぞれ異なる地点に飛んで其処から追って貰おうと考えています」

 

 シリウスの問いに、ヴァイオラは微笑みながら答える。

 やはり、この状況を楽しんでいるのだろう。

 そう思いながら、ガイストはその事について何か言おうとは思わなかったが。

 

 「……生死の程は、如何様に?」

 

 そう問いかけたのは、ひと際背の高いローブ姿の男。

 複雑な紋様の描かれた分厚い法衣にフードも目深に被っており、表情を伺う事さえ出来ない。

 しかし微かに漂う死臭が、その男が何者であるかを周囲の者に知らせていた。

 

 「問いませんよ、ダラル。妹は出来れば生かしておいて欲しいですが、絶対にとは言いません」

 「承知。それを聞けて安心しました」

 

 ダラルと呼ばれた男は、低い声で笑う。

 生かして捕らえるのは手間だが、殺して死体を運んでくるなら容易い。

 死霊術師リッチである彼の語る言葉は、そんな自信に満ち溢れたものだった。

 恐らく、他の者達も似たようなものだろう。

 《帝国》の剣として認められ、薔薇の紋章を掲げる事を許されるのは並大抵の事ではない。

 今この場に立つ者は、例外なく一騎当千の魔人である。

 ガイストもそれは認めている。

 だが同時に、あの冒険者達がそう容易い相手ではない事も理解していた。

 ヴァイオラも同じ考えかは不明だが、配下の慢心を諫めるような事はしないようだ。

 ただ結果さえあれば良い。それは《帝国》だ。

 故にこれ以上の言葉は必要ないだろうと、後は行動のみをヴァイオラは求めた。

 

 「さて、早速ですが「門」を開きます。繋がっている場所は異なるので注意を」

 

 そう言って、ヴァイオラは手にした白い魔剣を軽くその場で振るった。

 それに合わせて複数の空間の歪みが、立ち並ぶ配下達の目の前に現れる。

 

 「どれが何処に繋がっている、というのは」

 「適当に繋げたので、潜ってからのお楽しみという事で」

 「承知しました」

 

 そのぐらいの雑さも、やはりいつも通りだ。

 肩を竦めて笑うヴァイオラに、ガイストは特に抗議もしなかった。

 これぐらいの事でいちいち何かを言っていたら、それこそ身が持たない。

 傍らに立つシリウスは、直ぐにでも「門」に飛び込みたいと言わんばかりにソワソワとしている。

 この相棒の存在もまた、ガイストにとっては深刻な胃痛の種だ。

 

 「オイ、はしゃぎすぎるなよ」

 「そういうガイストだって、結構楽しみなんじゃない?」

 

 諫めるつもりが、そう言葉を返されてガイストは一瞬言葉に詰まる。

 楽しみにしている。自分が?

 否定しようとしたが、確かに昂りのようなものを感じる自分を自覚する。

 思い出されるのはやはり、あの大金棒を振り回す蜥蜴人の戦士。

 あの蛮族との戦いは――成る程、確かに「楽しかった」と言えるかもしれない。

 不明の地下神殿では、決着がつかなかったが……。

 

 「……そうだな。確かに、お前の言う通りかもしれんな」

 「おっ、素直に認めるとか珍しいじゃん」

 「だからと言って、逸って暴走するような真似はするなよ。足下を掬われるぞ」

 

 高揚する自身は認めつつも、やはり相棒に釘を刺す事は忘れない。

 シリウスも相方の様子を分かっているのか、軽く笑いながら素直に頷いた。

 それから視線を「門」へと向ければ、既に何人もの薔薇の騎士達がその向こう側へと身を投じている。

 彼らは強い。それは事実だ。

 そして彼らの大半は、今回の事は「少し変わった狐狩り」程度にしか考えていないだろう。

 果たして、本当にそうだろうか。

 狩り場の獲物が自分達ではないなどと、一体誰が保証出来るだろう。

 

 「じゃ、こっちは油断せずに行きましょうか」

 「あぁ。そもそも出会えるかどうかが、先ずは運試しだがな」

 

 そう言葉を交わしながら、ガイストとシリウスの二人も前へと進む。

 目の前に並ぶのは複数の「門」。

 この空間の歪みと繋がった場所の何処かに、あの風変りな冒険者達がいる。

 ――こんな形式で追っ手を放つのも、恐らくはヴァイオラのお遊びのようなものだろう。

 自分以外も気付いているだろうが、誰もそれを問題とは思わない。

 ただ命じられた通りに踊る事だけが、自分達の義務なのだから。

 

 「好きなのを選んでいいぞ。お前の勘に任せる」

 「あ、そう? じゃ、これで良いかな」

 

 特に迷う様子もなく、シリウスは「門」の一つに身を躍らせる。

 ガイストは僅かに躊躇う事もなく、相棒の後を追って空間の歪みへと飛び込んだ。

 

 

 

 「――成る程、成る程。ハハハッ、やはり面白いことを言うな。君は」

 

 暗闇の底で。

 人ならざる者達を鎖しておく牢に、愉快げな笑い声が響いた。

 未だ開かれぬ扉の向こう側。

 其処にいるだろう魔神は一体どんな顔をしているのか。

 

 「……ガル、本気で言ってるの?」

 「無論だ」

 

 囁くクロエの問いにも、ガルは変わらぬ調子で答えた。

 冗談を口にしているような空気はなく、あくまで至極真面目な様子で。

 

 「どちらにせよ、此方はこの場所についてロクに知らんからな。情報源は必要だろう」

 「……相手は魔神よ?」

 「魔神については確かによくは知らんが」

 

 クロエの言葉に、ガルは力強く頷く。

 

 「いつも、日課としてお前が呼び出して殴っている相手と同じであるなら。

  妙な真似をした時点で、同じように殴ってしまえば良いだろう」

 

 その理屈で問題ないと言われて、クロエもどう答えるべきかと言葉に窮してしまう。

 ビッケやルージュも似たような顔をしている。

 扉の向こうにいる魔神だけが、余程ツボに嵌ったのかげらげらと笑っていた。

 

 「ハハハハハッ! あぁいやはや、馬鹿だの愚か者だのと侮るのは随分簡単だが。

  下手に賢しいよりも、こういう単純な手合いの方が時に恐ろしい」

 「お前の評価に興味はないな。それで、条件を呑むのか?」

 「呑もう。君の話は面白かったからね」

 

 即答。

 心底楽しげに魔神は笑っている。

 

 「この牢から私を出してくれるならば、見返りとしてこの地下階層からの脱出。

  そしてヴァイオラやその追っ手を叩く助力を惜しまない。――間違いないかな?」

 「うむ……問題ないな?」

 

 今さらな気はするが、一応ガルは他の仲間達に取引の内容を確認する。

 問題がないわけはないが、今は右も左も分からぬ状況。

 毒と分かっていたとしても、それを呑みこむ決断が必要だろう。

 クロエは小さくため息を吐いてから、ガルの言葉に頷いた。

 

 「もし何かあったら、頑張って頂戴ね?」

 「うむ、それは当然だな。責任を持って叩き潰そう」

 「いやいや、私は契約を遵守する善良な魔神だから、そんな心配しなくて大丈夫だよ?」

 「契約遵守は基本どの魔神でもやってる事だろう? 

  それをわざわざ口にするのは、逆に危ない奴だって相場が決まってるもんさ」

 

 ルージュの辛辣な評価に対しても、やはり魔神は笑い声を返す。

 それから闇の中で軽く手を叩き。

 

 「さて、では扉を開けるのに必要な鍵だが……」

 「下がっていろ」

 

 魔神が何かを伝えようとする前に、ガルは扉の前で大金棒を担いだ。

 これから起こる事を知っている三人は、その言葉に従って躊躇わずに距離を取る。

 扉に遮られている魔神だけは、目前で何が行われようとしているのか理解出来なかった。

 

 「オイオイオイ、まさか力技で突破する気かな。流石にやめた方がいい。

  確かに、扉に施された封印で遮断されるのは、私のような魔神の力だけだが……」

 「イアッ!!」

 

 忠告は完全に無視して、大金棒が分厚い鉄扉に叩き込まれた。

 見た目は錆びた鉄だが、魔神を閉じ込める為の封印と形状保持の魔術が刻まれた扉だ。

 物理的な破壊など到底不可能な代物である。本来ならば。

 

 「イアッ!!!」

 

 2度目の打撃音。

 最初の一発で歪み始めていた扉が、目に見えて折れ曲がっていく。

 更に打撃。打撃。打撃。打撃。

 手を緩める事無く、渾身の力を込めて何度も。何度も。

 そして。

 

 「イアッ!!!」

 

 扉は遂に蛮族の怪力に屈した。

 壁の一部も巻き込んで、折れ曲がった扉が勢いよく牢の内側に転がる。

 その結果を確かめてから、ガルは大金棒の先端で強く床を叩いた。

 

 「……で、何の話だったか」

 「――お見事。いや、実際素晴らしい。

  野蛮過ぎる程に野蛮な暴力だが、逆に力というものの本質的な美しさを感じたよ」

 

 回りくどい言い回しにより、分かり辛い賛辞を語りながら。

 解き放たれた牢屋の奥、視界を遮る暗闇から。

 黒い羽根を散らして、その魔神はゆっくりと姿を現した。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る