第百六節:牢屋の魔神

 

 「……此処は……?」

 

 眩んだ視界が晴れた時、其処はもう無限に続く通路は消え去っていた。

 但し、元々いた場所とも大きくかけ離れている。

 明かりのない暗闇の中。

 クロエが一歩踏み出すと、足下からは硬い石の感触が伝わって来た。

 

 「ちょいと、罠抜けたんだし素直に出してくれても良かったんじゃないかい?」

 「やっぱそう簡単には逃がしてくれないっぽいねぇ……」

 

 ルージュの抗議に、ビッケは諦めの境地と言った様子で応える。

 それから二人は、それぞれ手元に呪文によって小さな光を灯した。

 暗闇を押し退けて、周囲の様子が照らし出される。

 其処に視線を向ければ……。

 

 「……ふむ、地下牢か?」

 

 光源無しでも闇を見通せる目を持つガルは、その場所を一言でそう表した。

 確かに、広い石造りの空間に鉄の格子で仕切られた幾つもの小部屋。

 地下牢という言葉がこれ以上なく相応しい。

 肉が腐ったような臭いも僅かに漂っており、クロエは思わず顔を顰める。

 此処も、元々いた屋敷の何処かなのだろうか。

 

 「……牢屋なら、誰か捕まってるのかしら」

 「確かに、何か気配はそこかしこに感じるかなぁ」

 

 出来るだけ声は抑えて言葉を交わす。

 口元に人差し指を当て、ビッケは周辺の様子を観察する。

 明かりは小さく、この地下牢らしき空間全てを照らすには足りない。

 だが聴覚や触覚は、目で見えない闇の中で何かが蠢いているのを感じていた。

 この牢に囚われた誰かか、或いはそれ以外の何かか。

 

 「ふむ。とりあえず、牢の中を確認してみるか?」

 

 そう言って、ガルは一番近くにある牢の一つを示した。

 牢屋は太い格子で隔たれているが、隙間から中を覗く事は出来る。

 この一行で、最も頑丈で勘が鋭いのはガルだ。

 彼が先ず危険を確かめる事に異論があるはずもなく、3人共に頷きを返した。

 

 「けど、気を付けね……?」

 「あぁ、問題ない」

 

 気遣うクロエの言葉を受けながら、ガルは躊躇いなく牢の一つに近付く。

 確かに、何かがいる。牢の中はそれほど広くはない。

 鉄格子から内側を覗けば、鎖に繋がれた様子の「何か」が部屋の奥に蹲っていた。

 その姿は、少なくとも人間のものではない。

 

 「……コレは」

 

 ガルは戦士であり、怪物に関する知識に詳しいわけでは無い。

 しかし其処にいた存在は、彼も良く見知ったものだった。

 

 「何がいたの?」

 「あぁ、確か魔神だったか。クロエが良く魔剣の餌に呼ぶ奴がいるな」

 「……魔神が?」

 「とりあえず、動く様子はない」

 

 ガルの言葉を受けて、クロエもまた同じ牢屋にそっと近づく。

 見れば、其処にいたのは確かによく見る魔神の姿だった。

 赤黒い肌に蝙蝠に似た羽根、人型ではあるが人とは明らかにかけ離れた外見。

 それは奈落の神エ=イバンの落とし仔である下級魔神に間違いない。

 クロエも良く召喚しては魔剣で斬り殺しているが、彼らは例外なく凶暴な怪物だ。

 しかし目の前にいる魔神は、奥の壁と鎖で繋がった足枷を付けられた状態で牢屋の隅に蹲っている。

 此方の様子に気付いているのか分からないが、少なくとも何の反応も見せていない。

 

 「うーん、これどういうこっちゃ?」

 「さて、とりあえず思ったよりヤバい所に迷い込んだんじゃないかって気はするねぇ」

 

 一先ず危険はないと判断したビッケとルージュも、それぞれ牢屋の中を確認する。

 明かりで照らしてみても、やはり中の魔神に反応はなかった。

 或いは、弱っているせいで動きたくとも動けないのかもしれないが。

 

 「……これまさか、他の牢屋も全部……?」

 

 赤い下位魔神からは視線を外し、クロエはぐるっと辺りを見渡した。

 見える範囲でも、牢屋の数は十近い。

 しかもあくまで「見える範囲」でしかなく、この地下牢の区画エリアはまだ広がっている。

 それら全てに、これと同じように魔神が囚われているとしたら。

 

 「よく分からんが、これはどういう場所なんだ?」

 「それはこっちも聞きたいかなぁ。捕まえた魔神のコレクションでもしてんのかね」

 

 魔神を牢屋に閉じ込める、という行為の意図が分からない。

 ガルの問いに正しい答えを返す知識は、ビッケは持ち合わせていなかった。

 

 「――どうも何も、見ての通りの場所だよ」

 「!!」

 

 暗闇の中から、問いかけに対する答えが返ってきた。

 それは若い女の声だった。

 クロエは反射的に魔剣を構え、声の聞こえて来た方に向き直る。

 声は余り感情の色は乗せず、ただ淡々と言葉を続けた。

 

 「本来、魔神は召喚者との契約にのみ従う。

  だから此処では、呼び出した魔神を物理的に捕らえて、契約とは無関係に従うよう『調教』する施設だ」

 「はぁーん……魔神の調教とか、誰が考えたか知らないけどイカレてるねぇ」

 「そうだな、私も同感だ。あの女はイカれている」

 

 ルージュの言葉にも、声の主は静かに応じる。

 ガルとクロエは暗闇の向こうを視線で探り、その中から一つの牢を見つけた。

 他の魔神が繋がれている牢とは違い、鉄格子ではなく鉄扉で厳重に遮られた場所。

 目線の高さぐらいに小さな格子窓があり、声は其処から響いていた。

 

 「……そういう貴方も魔神、という事で良いの?」

 「察しが良いな」

 

 クロエの言葉を、声の主は否定しなかった。

 魔神は問いかけに対して虚偽を口にする事はない、とは何処で得た知識だったか。

 だからと言って、魔神が常に公正な真実を語るという話ではないが。

 

 「――ところで君達は、何かの理由で此処に迷い込んでしまったとか、そういうクチかな?」

 「…………」

 

 自称魔神らしい相手の問いに、クロエは先ず沈黙を返した。

 魔神は虚偽を語らない。

 契約者の疑問には常に真実のみで答え、一度結んだ契約を保護にする事はない。決して。

 だが、そうして魔神と契約した者は悉く破滅する。

 物語の中には時に彼らを出し抜く知恵者もいるが、その結末もまた幸福とは言い難い。

 迂闊に関われば、ただそれだけで破滅を呼び込む。

 それが魔神という存在の本質なのだ。

 だからこそ、最初から滅ぼすつもりでもない限り、些細な言葉も交わすべきではないのだが……。

 

 「此処がどういう場所なのかも、君らは何も知らない。先ほどの会話から察しも付く。

  だからどうだろう。私は君らに有益な情報を提供できる。助け合いこそ必要だとは思わないかな?」

 「うーん胡散臭い」

 「随分とよく回る舌だな」

 

 饒舌に話す扉の向こうの魔神に、ビッケもガルもあしらうようにそう答えた。

 それでも魔神は言葉を続ける。

 

 「私は此処から脱出する方法を知っている。ただ私自身は、この扉を開ける手段が無いんだ」

 「……此処から出る方法を教える見返りに、この扉を何とかして欲しいと?」

 「あぁ、その通り。勿論、解放されたからといって君らに危害を加えるつもりはないよ。

  私は単純に、この牢屋暮らしに嫌気が差しているんだ」

 「…………」

 

 クロエは再度沈黙。

 甘言を弄している時の魔神を、まともに相手にしてはならない。

 それは分かっているし、それこそは間違いなく真実だ。

 しかし今、クロエは魔神の提案を受けるべきかどうか真剣に迷っていた。

 魔神は虚偽を語らない以上、「此処から脱出する方法」も知っているし、此方に危害を加える気もない。

 それらは間違いなく事実であり、そして自分達がこの場所に何の知識も持っていないのも事実。

 ――危険を承知で、敢えて呑み込むべきか。

 迷う。チラリと、扉についている格子窓を見やる。

 中の様子を覗く事が出来ないかとも思ったが、それは難しいようだった。

 それが何であるかは不明だが、クロエの眼でも見通せない暗闇が扉の向こうを完全に覆い隠しているのだ。

 

 「ふむ」

 

 一方、ガルは魔神の言葉に小さく頷きを返して。

 

 「お前の話を受けるか決める前に、幾つか確認したい事があるんだが」

 「おや、何かな? 契約や取引の前に確認すべき事を確認するのは、私も大事だと思うよ。

  これを怠る人間は意外と多いんだ」

 「そうか」

 

 まるで十年来の友人相手に語るかのように、魔神は実に気易い言葉で応じる。

 対するガルは、そんな相手の態度は気にも留めず。

 

 「なら、お前が『脱出方法を知っている』という『此処』は何処を差している?」

 「良いね、実に用心深い。ヴァイオラと名乗る女の事は知っているかな? あぁ、知っているなら良い。

  『此処』――私達のいるこの場所は、あの女が管理している地下施設。

  帝都の中心、《薔薇の宮》の奥底に存在する秘密の階層だよ」

 「最近どうにも地面の下と縁があるみたいだねぇ」

 

 魔神の回答に、ルージュはややうんざりした様子で肩を竦めた。

 更にガルの問いかけは続く。

 

 「成る程。それで、何故お前はこの牢に囚われている?」

 「不甲斐ない話で申し訳ないが、理由としては他の下位の連中と変わらないよ。

  契約を結ばずとも従うように……」

 「最終的にそうするのが目的だろうが、それはではないだろう」

 「…………」

 

 初めて。

 初めて、扉の向こうの魔神はほんの僅かに沈黙を挟んだ。

 ガルは表情も声色も変えぬまま、ただ淡々と言葉を口にする。

 

 「これは勘だが……お前は恐らく、あのヴァイオラという女に負けて、此処に放り込まれたのではないか?」

 「ハハハハハッ! あぁそうさ、そうともその通り! 恥ずかしいから言いたくはなかったんだが。

  とても勘の良い君に対するご褒美だ。私も少し本音を語ろうか」

 

 愉快そうに、わざとらしいぐらい仰々しく。

 魔神は大きく笑い、それから讃えるように激しく手を叩いた。

 

 「まぁ御明察だ。私は元々ヴァイオラと契約を交わして地上に現れた魔神だが、まぁ色々あってね。

  本当なら配下の魔神達を使ってこの地を我が物にするつもりだったのだけど、あっさり負けてご覧の有様だよ」

 「うーんロクでも無さ過ぎる」

 「まー魔神なんてそんなもんだわねぇ」

 

 自分企てていた悪事をさらっと暴露する魔神に、ビッケとルージュは呆れた声を漏らす。

 そんな言葉も魔神は軽く笑い飛ばして。

 

 「まぁまぁ、こればかりは仕方がない。私も敗者の立場を甘んじて受け入れていたんだが」

 「とてもそうは見えないけれど……」

 「其処に君らが来たわけだからね、まったく奈落の神がもたらす幸運に感謝しなければ」

 「本当に幸運かどうかは知らんがな」

 

 ゆっくりと、ガルは扉の方へと一歩近づく。

 更に二歩、三歩と。

 分厚い鉄扉に手が届く距離まで詰めて。

 

 「先ほどの話だが、受けても良いが条件がある」

 「それはこの地下階層からの脱出法を教える、という以外に?」

 「あぁ。それと教えるだけでは不足だ。協力ぐらいはして貰わねば」

 「うーん実に強欲だ。けど今の私の立場では素直に頷くしかないわけだ」

 

 あくまで強気を崩さにガルと、それに軽い口調で応じる魔神。

 これは悪魔の取引と言って良いのか。

 傍らに立つクロエは、少し心配になりながらガルの様子を見ていた。

 

 「それで、具体的な条件と言うのは?」

 「手伝え」

 「それは脱出を?」

 「いいや、それとは別にだ」

 

 一体、ガルは魔神に対して何を要求するつもりなのか。

 

 「最優先は当然、この帝都の地下から脱出する事だが、出来ればもう一つ。

  やれるならばやっておきたい事がある」

 「ほう、それは?」

 「ヴァイオラだ。あの女が、素直に俺達を逃がすとは思えない」

 

 今此処で言葉を交わしている間にも、何かしら追っ手を放つなりしている可能性は高い。

 だからこそ、ガルは魔神に対してその条件を突きつけた。

 

 「だから、お前も手伝え。追ってくるヴァイオラとその手下共を殴り倒して逃げるのをな」

 

 魔神とかいう御大層な看板を背負っておいて、まさかやられっぱなしで済ますつもりではないだろうな、と。

 ガルの言葉は、言外にそんな意味を含ませているようにも聞こえた。

 

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