第百二節:宵の宴

 

 辿り着いたのは大きな屋敷だった。

 目隠しの状態で馬車が走った為、帝都内での正確な位置は分からない。

 しかし《薔薇帝》の城である《薔薇の宮》がかなり近くに見える事から、帝都の中心近いのは間違いないだろう。

 全体を頑丈な石材で作られた屋敷は、むしろ小さな砦と言った方が近いかもしれない。

 馬車はその玄関前に止まり、クロエ達が下りると再び扉を閉ざす。

 そして其処に待つのは2つの影。

 

 「出迎えご苦労さん……って言って、通じるかね。コレ」

 

 ルージュがそう声を掛けるも、相手の方に反応はない。

 立っているのは2体の甲冑だった。

 華美過ぎない程度に装飾の施された立派な全身甲冑フルアーマー

 それらはクロエ達が馬車を下りると同時に一礼をし、分厚い玄関の扉に手を掛けた。

 僅かに軋む音を響かせながら、扉が開く。

 その向こうは真っ赤な絨毯の敷かれた広いホールとなっており、其処にもやはり複数の全身甲冑が控えていた。

 気になるのは、その甲冑から人の気配がしないという一点。

 

 「動甲冑リビングアーマー……?」

 「人間配置しない辺り、何か病的なものを感じるんですけど」

 

 魔法の力によって、中身はなく甲冑だけで動く存在。

 クロエはその可能性を口にし、ビッケは生きた気配の希薄な屋敷の雰囲気に軽く身震いをした。

 ガルの方は物怖じする事もなく、開かれた扉も先陣切って踏み込む。

 幸いと言うべきか、屋敷は全体的にかなり大きな造りをしている為、大柄なガルでも頭をぶつける事はなかった。

 油断せず、けれど構え過ぎる事も無く、ガルは屋敷の中へと入る。

 天井から吊るされた大きなシャンデリア、名のある石工の手からなるだろう見事な彫像の数々。

 煌びやかな玄関ホールを一瞥してから、扉の外側に視線を戻し。

 

 「特に罠の類はないようだ。とりあえず入る分には問題ないだろう」

 「……もしそれで、本当に罠があったらどうするの。もう」

 

 どうやら罠が仕掛けられている可能性を考えて、他の仲間より先に踏み込んだらしい。

 確かに危険を踏むのは頑丈なガルの役目だが、躊躇いが無さ過ぎるのも考え物だ。

 少し心配しながら言いつつ、クロエもまた玄関の境界を超える。

 不思議と、懐かしいような気持ちに襲われた。

 この場所に全く見覚えはない。

 ただ何処か、記憶を刺激するような空気をクロエは感じていた。

 恐らくは、幼い頃にいたあの真っ白い「家」と雰囲気が似ているのだ。

 何人かの子供達、そして姉と日々を過ごしたあの場所に。

 

 「…………」

 「無駄に高そうな内装だなぁ、金ってあるところにはあるもんだ」

 「くすねるのは止めときなよ? まぁくすねられるサイズの物は置いてないっぽいけどねぇ」

 

 黙して観察している間に、ビッケとルージュの二人も屋敷に入る。

 同時に、外に立つ動甲冑が玄関の扉を閉ざした。

 バタンッ、と。扉の閉じる音が屋敷の内側に大きく響いた。

 合わせて、ホールに立っていた動甲冑が動き出す。

 一体が扉の一つを開いて、他の甲冑が先ずその先の通路に入る。

 それから改めて、クロエ達をその先へ進むよう促す動作を示した。

 この通路の奥に、待ち人がいるのだろうか。

 

 「この先に、この屋敷の主人がいるのか?」

 

 ガルが言葉として問いかけたが、動甲冑たちは反応を見せない。

 そもそも言語を理解する機能が付いているかも怪しいが。

 

 「……とりあえず、行きましょうか。引き返す道はないようだし」

 「よく見るとこの屋敷、手の届く範囲に窓少ないんだよなぁ……」

 

 クロエの言葉に頷きながら、ビッケは忙しなく周囲に視線を走らせる。

 閉じ込められた状態に近いのは、最早疑いようもない。

 穏便に話が済めばそれが一番なのだが。

 

 「ま、覚悟を決めて行くしかないねぇ」

 

 そう言って、もしもの場合を考えてルージュはその手にほのかに輝く骰子を握った。

 いざという時は、いつでも奇跡を行使できるように。

 

 「……私を、先に行かせて貰って良い?」

 「む」

 

 いざ新たな扉を潜ろうとした時、先を行くガルにクロエはそんなことを口にした。

 本来なら、未知の危険に対応する為にガルかビッケが先に立つのだが。

 

 「お願い」

 「……分かった。俺はそのすぐ後ろに付くが、それで良いか?」

 「ええ、むしろ私の方からお願いするわ」

 

 小さく笑って頷き、改めてクロエが先頭に立つ。

 それから言葉通りに、そのすぐ後ろにガルが続く形となる。

 後はルージュ、ビッケの順に、動甲冑の案内に従って扉の向こうへと進む。

 広く長い通路には、ホールと同じように真っ赤な絨毯と、壁には幾つもの絵画が飾られていた。

 クロエは芸術の良し悪しなどは分からない。

 ただ鮮やかな色彩で描かれているそれらの大半が、戦争の様子を描いている事だけは理解出来た。

 

 「《薔薇帝》の征服の軌跡、ってところかねぇ」

 

 同じように絵を眺めながら、ルージュは小さく呟く。

 確かに、飾られている絵画の殆どに赤い衣装を纏い、赤い剣を掲げた美しい女の姿が描かれていた。

 常に戦いの中心に立ち、華々しい勝利で着飾るその姿。

 ――《狂気の薔薇帝》。

 七柱の魔剣の王、その一角にしてこの《帝国》全ての支配者。

 当然、その姿を直接見た者はこの場には誰もいない。

 故にこの絵画に描かれている《薔薇帝》の姿が、本物にどれだけ近しいかも分からないが。

 

 「……狂気の薔薇」

 

 クロエは、背に冷たいものが這い上がるのを強く感じていた。

 恐ろしい。絵画に刻まれた仮初の似姿に過ぎないというのに、酷い恐怖を感じる。

 或いはそれは、未だクロエが思い出していない記憶の中に潜む心の傷トラウマなのだろうか。

 ガルもまた、少し目線を低くしながら並ぶ絵画を眺めて。

 

 「……ふむ。聞いた話が正しいのなら、この絵の女がクロエの親になるわけか」

 「そ、そうなるの……かしら」

 

 ガイストは姉の事を「《薔薇帝》の愛娘」とは言っていたが、其処に血縁があるとは明言していなかった気がする。

 例えば養子であったとしても、娘である事に違いはないはずだ。

 その辺りは正直ハッキリとしないし、或いは本人に問えば答えてくれるだろうか。

 

 「何にせよ、一度は言葉を交わしてみたいものだな」

 「……アニキはそんなつもりないだろうけど、それめっちゃ命懸けの発言だよなぁ」

 

 この大陸を見渡して、一体どれだけの人間が「薔薇の魔王と話がしてみたい」などと口に出来るだろう。

 冗談でも憚る者も少なくないはずだ。

 ガイスト当たりがこの場にいたなら、余りの事に絶句したかもしれない。

 そんな意識は欠片もないガルは、顎の下を軽く爪で掻きながら。

 

 「そんな驚くほどの事でもあるまい。

  娘を妻に迎える前に、相手の親に一言でも入れるのが人の文化と聞いたんだが」

 「お願いだからその話は此処までにしてね……?」

 

 頬を赤く染めながら、念のためにクロエは釘を刺しておく。

 このまま姉のところでまで同じような話をされたら、一体どうなってしまうのか。

 正直、嫌な想像が止まらないので勘弁して欲しい。

 

 「はいはい、馬鹿話も良いけどそろそろ目的地みたいだよ」

 

 そんなルージュの言葉に前を見れば、通路の終着に両開きの扉が一つ。

 先導していた甲冑が傍に立つと、扉の取っ手に指を掛ける。

 躊躇う理由も、時間をかける意味も彼らにありはしない。

 そのままゆっくりと、クロエ達の前で最後の扉が開かれた。

 

 「っ……」

 

 開いた扉から差し込む光に、クロエは少しだけ目を細めた。

 視界は程なくその明るさに慣れ、改めて目前の景色を確認する。

 それは、文字通り目を奪われるような光景だった。

 

 「すげーなコレ……」

 

 広い、驚くほどに広いその空間に、ビッケはやや呆れたように呟いた。

 壁には色彩鮮やかな風景がが描かれ、天井や柱には見事な彫刻が幾つも施されている。

 天井から下がる大きなシャンデリアには魔法による光が灯っており、様々な宝石が煌くように輝いていた。

 そしてその部屋の中心には、長く大きなテーブルが一つ。

 其処には色々な種類の料理や果物が皿に盛られ、大きな銀製の瓶は赤いワインでたっぷりと満たされている。

 豪華な広間に、豪勢な酒や料理の数々。

 それらを用意した屋敷の主は、クロエ達と向かい合う形でテーブルの正面に座っていた。

 

 「――ようこそ、私の屋敷に。歓迎しましょう、《帝国》の外から来た客人方」

 

 その声は小鳥の囀りのように甘く、彼方に響く遠来のように重い。

 クロエは小さく息を呑んだ。

 覚悟は決めた、決意に偽りもない。

 それでも、ただ声を聞いただけで心が一瞬屈してしまいそうになる。

 何とかそんな弱さ故の衝動に耐えて、クロエは相手の顔を真っ直ぐに見た。

 全てが白に染まっている以外は、鏡合わせそのものな姿。

 姉――ヴァイオラもその視線を正面から受け止めて、滲むような微笑みを見せた。

 

 「昨日、意識を失ってしまった時は心配したけど、変わりはないみたいね。クロエ」

 「……ええ」

 

 変わらない。

 それは記憶の中と、何一つ変わらない。

 お互いに身体的には成長してはいるが、それを差し引いても変化は殆ど見当たらない。

 優しく、いつも自分を気遣ってくれる姉の声。

 仕草も表情も、何もかもが記憶の中の姿と一致する。

 けれど今、確かに感じる冷たい感覚。

 ――果たして変わってしまったのは自分なのか、それとも相手なのか。

 何も変わらないはずの姉から感じる、言葉では表現する事の出来ない決定的な「変化」。

 それを本能的に感じてか、クロエは知らず身震いをしていた。

 そんな妹の感情を知ってか知らずか、ヴァイオラはやはり穏やかな笑みを見せたまま。

 

 「さぁ、どうぞ。好きな席を選んで。この場には私達しかいないのだから、遠慮する事はないわ」

 

 細い指先で、テーブルに並んだ椅子をそれぞれに示す。

 それが、今宵の宴を開始する合図。

 

 「夜は深く、そして長い。時間は十分にある。こうして、私達が此処に出会ったのも何かの縁。

  ――今は一時、楽しく語らいましょう?」

 

 そう言って、柔らかく微笑むヴァイオラ。

 その笑みから、微かに薔薇の香気が漂っているような気がした。

 

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