第百一節:迎えの馬車に乗って

 

 夜。宿の前に停まったのは一台の馬車だった。

 立派な軍馬三頭に引かれた、大きな黒塗りの馬車。

 目立たないようにしてあるが、各所が装甲で補強された頑丈な造りとなっている。

 恐らくは要人を護送する為に使用されるものだろう。

 これ一台で、一体どれほどの価値があるのか。

 

 「お偉いさんってスゲー。ちょっとそのお金を分けて貰いたい」

 「仲間の身内に金をせびる、って言葉にすると凄いクズに聞こえないかねぇ?」

 

 停まった馬車に近付いて、ビッケとルージュはそれを物珍しそうに眺める。

 クロエとガルの二人も、少し遅れて傍に寄るが。

 

 「……御者がいない……?」

 

 その奇妙な点に気付き、クロエは緩く首を傾げた。

 そう、馬車の御者台には本来いるべきはずの御者の姿がない。

 加えて、クロエ達四人が揃って近くに来たタイミングで、馬車の扉が一人でに口を開けた。

 そんな不可思議な動きを見せる馬車に、ガルはほうっと感嘆の息を漏らして。

 

 「馬車、というのは余り利用した事はなかったが。これはなかなか便利そうだな」

 「いえ、普通馬車はこんな風には動かないと思うわ……」

 

 この馬車自体がそういう魔法の道具なのか、もしくは別の仕掛けがあるのか。

 それは分からないが、兎も角この馬車が迎えなのだろう。

 クロエの姉――《帝国》の実力者である、ヴァイオラからの招き。

 後はこの馬車に乗り込めば、此方の意思に関わりなく導いてくれる。

 

 「…………」

 

 扉の開いた馬車の前に立って、クロエは呼吸を整える。

 覚悟は決めた。決意はしたつもりでも、やはり心は揺れてしまう。

 覚悟はあるのか。その決意は本物なのか。

 今まで意識もしていなかった、過去に相対するという事。

 それを求めて此処まで来たはずなのに、どうしようもない恐怖も感じる。

 ガルは何も言わなかった。ビッケやルージュも。

 元より、相手の誘いに乗ると決めたのはクロエ自身だ。

 仲間達はそれに反対する事なく、黙って付き合う事を選んでくれた。

 ――ならば自分は、最後まで自分の意思で前に進まないと。

 

 「……行きましょう」

 

 己の心を、簡潔な言葉に変えて。

 クロエは馬車に手を掛け、その中へと乗り込む。

 馬車内部も広く、派手ではないが上等さを感じさせる落ち着いた雰囲気に満たされていた。

 座席には柔らかなクッションが敷き詰められており、荒れた道でも乗っている者に負担を与える事もない。

 続いてガルが乗り込むが、天井も高く作られているので頭はぶつけずに済んだ。

 それでも頭の位置は低くしながら、クロエの隣に腰を下ろす。

 

 「やはり少しばかり手狭だな」

 「ガルは身体が大きいものね……」

 

 極力他の邪魔にならぬよう、尻尾を丸める姿が少し可愛らしい。

 そんな風に感じてしまったクロエは、状況も忘れて楽し気に笑った。

 ビッケとルージュも、最初に乗った二人と向かい合う形で座席に座る。

 それと同時に、再び扉が一人でに閉じてしまった。

 合わせて、扉についていた窓も勝手にカーテンが引かれて目隠しをされてしまう。

 

 「うーん、何かデッカイ生き物に呑み込まれた感覚が凄い……」

 「案外間違っちゃいないとは思うけどねぇ」

 

 ビッケは試しに閉じたカーテンを引っ張ってみるが、鉄で出来ているかのようにビクともしない。

 ルージュも扉が開かないかどうか確認するが、此方も同様に動く事はなかった。

 そうしている間に、ゆっくりと馬車が走り出す。

 敷かれたクッションの影響もあるだろうが、揺れは驚くほどに少ない。

 

 「……その、ありがとう。三人とも」

 「此処まで来ちゃった以上は一蓮托生だし、別に気にする事はないって」

 「そうだねぇ。あたしとしては、このまま美味い飯や酒でも用意されてんのかと期待しちゃいるけどねぇ」

 「俺は自分の意思で同行している。問題はない」

 

 少し遅れて口に出した礼の言葉に、三人はそれぞれの答えを返す。

 馬車は進む。カーテンは固く閉じられている為、外の風景を確認する事は出来ない。

 半ば閉じ込められたに等しい状況に、ビッケは退屈そうに欠伸を漏らす。

 

 「何処まで連れてくか知らないけど、もーちょっと客人ゲストに気を配って欲しいなぁ」

 「《帝国》産の高い酒とか出してくれりゃ良いのにねぇ」

 「自分で用意して呑んでるのに、まだ追加で呑むの……?」

 

 水袋に入っている酒も、帝都に入ってから購入した物だろうに。

 自分の酒と他人の酒は別と笑うルージュ。

 酒は其処まで嗜まないクロエにとっては異文化にも等しい考え方だ。

 

 「……ふむ」

 

 ガルは別段、退屈そうにしているわけでもなかった。

 ただ考え事をするように、少し首を傾げて。

 

 「クロエ」

 「? 何?」

 「ヴァイオラ――お前の姉には、俺達の事はどのように伝えるべきだと思う?」

 「……その話、まだ考えてたのね」

 「流石に実姉が相手となれば、多少なりとも礼儀は弁えるべきかと考えているんだが」

 

 蛮族なのか紳士なのか。

 どちらにせよ、放っておくとトンデモナイ事を言い出しそうで困る。

 ガルの言葉にまた頬が火照るのを感じつつも、クロエ自身も似たような悩みを覚えていた。

 

 「……分からない。私自身、姉に何を言って良いか……」

 「別に、それは思った事を口にすれば良いのではないか?」

 「それが自分でもよく分からないから悩んでるの」

 

 予想通りの単純シンプルな答えを返してくるガルに、クロエは少し子供っぽく頬を膨らませた。

 思っている事を口にして、それがそのまま相手に伝わるなら苦労はしない。

 泡のように千切れた記憶。其処でだけ垣間見える、優しい姉の姿。

 彼女は――あのヴァイオラを名乗る白い女は、果たして本当に自分の姉なのか。

 この記憶は本当に真実なのか、何処か誤りが含まれていないのか。

 考えれば考える程に思考の沼は深く、答えは闇に沈んだままだ。

 だが、何よりも恐ろしいのは――。

 

 「……仮に、仮にヴァイオラが本当に私の姉だとして。

  もし、話をした結果、敵として戦わざるを得なくなったら……」

 

 果たして自分は、この記憶に刻まれた温もりの影を振り払う事は出来るのだろうか。

 分からない。それこそクロエは答えを出せずにいた。

 万が一……いや、万が一ではない。そうなる可能性は十分以上にある。

 姉と敵対し、剣を交える。そうなったとして、本気で戦える自信がクロエにはない。

 相手の誘いに乗り、こんな馬車に乗っておいてまで何を言っているのか。

 クロエは自身の馬鹿さ加減に、イマサラのように呆れてしまった。

 

 「……ふむ」

 

 クロエの話を黙って聞いていたガルは、言葉の区切りに一つ頷いてから。

 

 「……そういえば、話した事はなかったが俺にも兄弟が8人ほどいてな」

 「8人」

 「あぁ、もう死んだ兄弟も含めれば13……いや、15だったか?」

 「15人」

 「先ほど言った8人も、あくまで俺が郷を離れる前の数で、もしかしたら減っているかもしれんが」

 「蛮族……」

 

 肉親の命が軽すぎる話に、クロエは思わず言ってしまった。

 いやしかし、亜人の中には人間と比較して多産な種族もいるとは聞くが。

 というか、ガルの求婚する上での目的の一つが子供なわけだが、まさか産む数も蜥蜴人基準で考えているのか。

 聞いたら絶対後悔する羽目になりそうだったので、クロエはそれについては思考を中断する。

 ガルの方はそんなクロエの頭の中など知る由もなく、頷きながら話を続けた。

 

 「幼い頃は喧嘩も絶えなかったし、成長してからも本気で殺し合いになる事もしばしばあったな」

 「どうして……??」

 「力試しに手合わせをして熱くなってしまったり、別の氏族に寝返った上の兄を返り討ちにしたりと。

  理由に関しては相手と状況によって様々だな」

 「蛮族……」

 

 そうやって、身内同士ですら日夜戦い続けている為、他所では余り蜥蜴人の姿を見ないのか。

 蜥蜴人にはドラゴン同様に寿命はない、というのは有名な話だ。

 しかしそれはあくまで当人達の言っている事で、大半が戦死するせいで蜥蜴人の正確な寿命は誰も知らない。

 確かに、今の話を聞く限りでは天寿を全うする蜥蜴人など存在しない気もしてくる。

 

 「ふむ……何の話だったか」

 「それを私に聞かれても困るのだけど……?」

 「うむ。いや、そうだな。俺の言いたかった事としては、だ」

 「うん」

 「別に姉妹同士で戦ったり殺し合ったりする程度は、まぁ良くある事だろう」

 「イヤイヤイヤイヤ」

 

 真面目な顔でサラっと無茶苦茶な結論を捻じ込んで来た。

 横で聞いていただけのビッケも、堪らずツッコミを入れてしまう。

 クロエもこめかみを指で押さえながら、ため息一つ。

 

 「流石にそれはよくあっても困ると思うのだけど……」

 「そうか?」

 「そうよ」

 「そうか……」

 

 姉と矛を交える事になるかも、という事実に気を落としていたクロエを励ますつもりではあったのだろう。

 自分なりの考えを伝えたようだが、流石にクロエもそこまで人生蛮族ナイズされてはいない。

 ただ、多少なりとも考えさせられるぶぶんはあった……ような気もする。

 微妙にしょんぼりした気配を漂わせるガルを見て、今度はクロエの方から問いかけた。

 

 「ねぇ、ガル。一つ聞きたいのだけど」

 「む?」

 「貴方と兄弟は……その、仲は良かった?」

 「そうだな。殺し合いは稀にあったが、別に仲が悪い事はなかったな」

 「仲良くても稀に殺し合いのなるのはよく分からないけど……」

 

 それこそ、文字通り異文化と言えばいいのだろうか。

 

 「……思い出した限り、私は姉とは一度も喧嘩をした事は無いの」

 「そうか」

 「姉は優しくて、私はいつもあの人の言うことを、ただ聞いてるだけで良かった」

 「なら、今はどうだ?」

 

 ガルは改めて、クロエに胸の内を問うた。

 分かっている。過去は大事かもしれないが、自分にとって最も重要なのは「この先」だ。

 馬車は遠からず、目的の場所に辿り着くだろう。

 決めなければならなかった。

 

 「……私は、昔のままじゃないから」

 「あぁ」

 「姉が――あの人が、私に何を望むのかは、まだ分からない。

  そもそも過去の事とか、確かめたい事はいっぱいある」

 

 だから。

 

 「……昔みたいに、良い子にはなれない。今の私は、ただ黙って言う事を聞くわけにはいかない」

 「うむ、それで良かろう」

 

 ガルは大きく頷くと、クロエの頭を軽く撫でる。

 

 「言いたい事を言えばいい。気に入らぬ事を受け入れる必要もない。

  それで争う事になるのなら、逆に殴り返してしまえばいい」

 「平和的な解決、っていう手はないの?」

 「平和というのは勝った側の都合だからな」

 

 だからこそ、戦いに勝たなければ話にならない。

 身も蓋もない話だが、それもまた一つの真理だろうか。

 

 「あたしとしちゃ、出来れば飯食って酒呑んでそのまま解散したいけどねぇ」

 「オレはお宝さえ貰えれば足の裏ぐらいなら舐めても良いんだけど。絶対そんな楽な話じゃないよなぁ」

 

 欲望がダダ漏れなルージュとビッケ。

 そんな二人の仲間に、クロエは困った風に笑って。

 

 「状況が落ち着いたら、何か埋め合わせはするから」

 「そういうこと言っちゃうと姐さん絶対調子乗るから覚悟しとけよー」

 「やだねぇ、何事にも対価は必要ってだけの話だろ?」

 

 ケラケラと笑うルージュの言葉は、本気とも冗談とも言い難い。

 何にせよ、全ては終わってからの話だ。

 やがて、微かに揺れていた馬車の動きが完全に停止する。

 一瞬の間を置いて、扉がカチャリと音を立てた。

 

 「どうやら、目的地に着いたようだな」

 

 ガルの言葉に応じるように、馬車の扉がゆっくりと開く。

 此処から一歩出れば、もう後戻りは出来ない。

 或いは後戻りが許されるラインなど、とうの昔に過ぎ去ってしまったか。

 また僅かに揺らめく心を抑えるように、クロエは胸の前で小さく拳を握り締めた。

 

 「……行きましょう、皆」

 

 仲間を促し、弱い自分を鼓舞する為に。

 クロエは再び己の意思を言葉にしながら、開いた扉の向こうへと足を踏み出した。

 

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