第百節:夜が訪れる前に

 

 「すまんな。決して治安が悪いわけではないが、傭兵の中にはああいう輩もいる」

 

 結局。

 酔ってクロエ達に絡んで来た傭兵達は、ガイストが現れた瞬間に逃げ散ってしまった。

 今はガイストに先導される形で、再び通りをゆったりと進んでいく。

 ビッケは先頭に立つガイストの直ぐ後ろ辺りを歩いて。

 

 「それは良いけど、今日は相方さんは?」

 「……シリウスなら別件だ。いつも行動を共にしているわけではない」

 

 何気ない質問だったが、やや不機嫌そうに返された。

 仕事上の同僚ではあるようだが、その上でどういう関係性であるのかは当人同士しか分からない。

 それに興味がないわけではなかったが、クロエはそれとは別の事を問いかける。

 

 「貴方が、私達を監視していたの?」

 「俺だけ、というわけではないが、一応はな」

 

 ガイストは言葉を濁す事もなく、素直にその事実を認めた。

 

 「その図体じゃ目立ちそうなもんだけどねぇ」

 「種族がら目は良い方だ。斥候の訓練も一応は積んでいる」

 

 ルージュに対しても淡々と答えながら、進む足は緩めない。

 ふむ、とガルも興味深げに頷いて。

 

 「人は見かけに依らんものだな。それで、今は何処に向かっているんだ?」

 「何処、と特に決めているわけではない。少なくとも今はな」

 「ほう」

 「ヴァイオラ様の命令だ。本当はこんなに早く接触するつもりはなかったが、仕方ない」

 「…………」

 

 ヴァイオラの名前に、クロエは小さく肩を震わせる。

 生き別れたはずの姉。再開するその瞬間まで、自分はその存在すら忘れてしまっていた。

 そんなクロエの様子に気付いているのか否か。

 ガイストはあくまで淡々と、事務的な口調で言葉を続ける。

 

 「お前達にこの帝都を見せてやれ、という事でな。正確には、そちらの娘に対してだが」

 「帝都は平和で良い場所だから、お前も此処で暮らせば良いって、そういう姉の気遣いって奴かい?」

 「直接言われたわけではないが、まぁ近い事は考えているのではないか?」

 

 恐らく問う事の出来ないクロエに代わり、ルージュの方が言葉にする。

 ガイストも特に否定はせず、しかし曖昧な答えを返すだけ。

 確かに、帝都は平和だ。先ほどのように荒くれもいるので、完全に平和というわけでもないだろうが。

 それは何処の国とて同じだろう。

 むしろ《帝国》以外の国は、常に《帝国》による侵略という脅威に晒され続けている。

 それが無いのであれば、この大陸では《帝国》こそが最も平和な国と言えるのかもしれない。

 大きな手を軽く掲げ、ガイストは通りの様子を示す。

 

 「お前達も既に見ている通りだ。偉大なる《薔薇帝》が築き上げた百万都市。この地に大きな争いはない。

  人々の生活は豊かで、その繁栄は遥か過去より続き、そして未来はそれ以上に続いていくだろう」

 

 そう言うガイストの言葉には、先ほどとは違って感情の高ぶりがあった。

 心酔。《薔薇帝》の名を口にした時など、信仰者が抱くような宗教的な情熱さえ感じられる。

 彼にとって、《帝国》の象徴であるこの帝都は正に聖地そのものなのだろう。

 その様子に、何故かクロエは薄ら寒いものを感じていた。

 

 「何か怪しい勧誘に聞こえるけど、オレらからすると此処は侵略国家の本拠地みたいなものなんだけどねー?」

 「まぁ、それも否定し辛い事実ではあるな」

 

 ビッケは一歩間違えなくとも挑発にしか聞こえないような事を言ったが、ガイストは平静のまま応じる。

 そのぐらいの事は言われ慣れているのだろう。

 後はそれを事実と認めた上で、《帝国》の行いを大業として誇っているのか。

 

 「何にせよ、ヴァイオラ様はそちらの娘と話をされたいそうだ。

  この帝都の様子を見せた上で、《帝国》に対し正しい認識を持って貰ってな」

 「……正しい認識」

 

 一体、何を以て“正しい”などと言えるのか。

 自分の記憶の正誤すら曖昧なクロエには、これほど皮肉な言葉もない。

 

 「早ければ、今夜にでも。難しければ日を改めても良いそうだが、それまではあの宿に留まって貰う事になる」

 「……そもそも、姉――ヴァイオラは、何処にいるの? 話をしたいなら、直接来れば良いじゃない」

 「あの方は多忙だ。話をする時間を作るのも一苦労だ」

 

 声を絞り出すように言うクロエに、ガイストは小さく首を横に振る。

 傍らで聞いていたガルは、自分の顎を爪で掻きながら一つの疑問を口にする。

 

 「そも、あの女は何者だ? そうとう高い地位のようだったが」

 「不敬だぞ、と言いたいところだが、知らぬ以上は仕方あるまいな」

 

 ガイストはそう言ってから、一瞬だけ間を開けて。

 

 「ヴァイオラ様は、帝国騎士を束ねる騎士団長だ。そして偉大なる《薔薇帝》の愛娘であり、その次期後継者だ。

  本来なら言葉を交わすどころか謁見する事も難しい立場だ」

 

 一瞬、空気が止まったように感じた。

 クロエは自分の耳を疑う。今、この男は何を言った?

 

 「……待って、ちょっと待って。今、《薔薇帝》……」

 「あれ、ヴァイオラってのが確かクロエのお姉さんとか、そういう話だよね? って事は……?」

 「クロエも《薔薇帝》の娘だって、そういう話になるのかい?」

 

 動揺するクロエ以外にも、ビッケとルージュも驚きをそれぞれ口にした。

 それは文字通りの青天の霹靂に他ならない。

 身寄りはなく、親という存在に対する記憶も当然クロエは持ち合わせていなかった。

 断片的な記憶に残る肉親は、ヴァイオラ――双子の姉ただ一人。

 それが突然、《薔薇帝》が、大陸を戦火で焼き続ける魔王が自分の親などと。

 

 「成る程」

 

 混乱の極みに達しつつあるクロエに対し、ガルは冷静そのものだった。

 冷静に言葉を吟味するよう虚空に視線を向けてから、一つ頷く。

 

 「クロエを嫁に貰うにして、親への挨拶一つもなかなか難易度が高そうだな」

 「今の話で何を言い出すの……!?」

 

 葛藤とか困惑とか、クロエの中にあった諸々が一発で吹き飛びそうな発言だった。

 クロエが真っ赤になって叫んでも、ガルはやはり落ち着いた様子で。

 

 「あのヴァイオラという女が姉であるなら、そちらに一言あれば良いかと思っていたが。

  成る程、噂の《薔薇帝》がクロエの親だというなら、これはなかなか骨が折れそうな話だな」

 「いやホントに何を言ってるの貴方は……!」

 「……シリウスはお前達二人を見て、番いのようだと言っていたが、まさか真実なのか」

 

 一瞬で別の色に変わってしまった場の空気に、ガイストは何処か呆れたように息を吐く。

 クロエは真っ赤な顔で言葉に詰まってしまう。

 一方、ガルは実に堂々とした態度で。

 

 「まだ番ったわけではないが、そうなるよう鋭意努力しているところだ」

 「そ、そうか……」

 「ガル、向こうもどう答えたら良いか分からなくなってるから……!」

 

 自重する気の無い蜥蜴男の腕を、クロエはヤケクソ気味にペシペシと叩く。

 ――感情が煮詰まっている娘の緊張を解そうと、わざとこんな物言いをしているのだろうか。

 ガイストは真面目にその可能性も考えたが、相手の表情からは真意は伺えない。

 

 「うむ。……しかし、ヴァイオラとやらが話しをしたいと言うなら、良い機会かもしれんな」

 「良い機会って何? どういう意味で言ってる??」

 「いやぁすいませんねー、大体いつもこんなノリなもんで」

 

 やはりそんな細かい事を、あの蜥蜴男は考えてないかもしれない。

 ビッケの手慣れた軽いフォローを聞きつつ、ガイストは軽くこめかみを抑えた。

 暫し頭痛に耐えるような顔をしてから。

 

 「……いや、別に気にはせん。色恋に興味はないが、他人のものまで否定するつもりはない」

 「大人の対応だねぇ」

 

 水袋の酒を舐め、ルージュはケラケラ笑う。

 もしこの場に相棒であるシリウスがいたら、やはり似たような事を言われたかもしれない。

 ともあれ、このままでは話が進まない。

 流れを戻す為、ガイストはわざとらしく咳払いをした。

 ガルとクロエの意識が向いたのを確かめてから、改めてそちらに視線を向ける。

 

 「それで、どうする? ヴァイオラ様ご自身は、話をするならいつでも構わないとの事だが」

 「……そも、具体的に何を話すつもりなの?」

 「それは本人に直接聞いて貰わねば、俺からは何も言えんな」

 

 クロエの問いに、ガイストはただ小さく肩を竦めて答えた。

 

 「どうするかは、そちらが決めればいい。だが、対話を拒否して帝都から逃げ出す――というのはやめておけ」

 「仮にそうしたならどうなる?」

 「俺やシリウスを含めた、帝国騎士が複数追っ手としてお前達を狙う事になるだろうな」

 

 それは即ち、ガイストとシリウスの二人と並ぶ戦力が他にも多数存在しているという事。

 或いは、それ以上の実力者も其処に含まれているかもしれない。

 少なくとも一介の冒険者一党に差し向けて良い戦力ではないだろう。

 ――だが、それはそれで良き戦という意味では悪くないのではないか、と。

 答えを聞いたガルは一瞬考えたが、流石に延々と帝国騎士に襲われては他の仲間達が堪らない。

 その常識的判断の下、ガルは自分の本音を胸に秘める事にした。

 

 「今さらながら、面倒な相手に目を付けられてしまったか」

 「ヴァイオラ様が重要視しているのは、そちらの娘だけだがな」

 

 ガイストの言葉に、クロエは答えない。

 少し考えを巡らせてから、数回ほど深呼吸をする。

 そうしてから、覚悟を決めた様子で。

 

 「……良いわ、会いましょう。姉さん――ヴァイオラと」

 「……思ったより早く決めたな」

 「どの道、逃がす気なんてないんでしょう? だったら会う会わないは悩むだけ時間の無駄よ」

 

 そう言いながらも、クロエは他の仲間達にそっと視線を向ける。

 殆ど勝手に決めてしまったが、異論はないだろうかと。

 幸いにも、クロエの決定に誰も反対する様子はなかった。

 

 「だから、なるべく直ぐにでも」

 「分かった。そう伝え、早急に場を整えよう」

 

 そう言って、ガイストはクロエ達から離れる。

 自分の主人に、今の言葉を伝えに戻るのだろう。

 後は一度も振り返る事はなく、黒い巨体は幻のように姿を消した。

 クロエはそれを見送って、ぎゅっと強く拳を握る。

 早ければ、今夜にでも。

 今度はちゃんと、姉と言葉を交わす事が出来るかもしれない。

 何を言うべきか、何を聞くべきか。

 今はまだ頭の中で定まった事は何もないが、ただ一つハッキリしているのは。

 

 「……また、長い夜になりそうね」

 

 何を選び、どんな答えを出す事になったとしても。

 それだけは間違いなく、今のクロエでも断言できる唯一の事だった。

 

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