第九十九節:繁栄の薔薇

 

 宿は大きな通りに面しており、一歩出れば其処は活気と騒々しさに満ち溢れていた。

 空を見上げれば、太陽は高い位置に差し掛かりつつある。

 朝の時間は過ぎて、そろそろ昼になるぐらいだろうか。

 人々の賑わいも一日で最も高まる時間帯だ。

 その喧噪の中へと、帝国人ではない冒険者達は足を踏み入れる。

 通りを行く者の多くは人間だが、ビッケが言っていた通り亜人の姿も少なくはない。

 他の街でも珍しくははない古妖精エルフ地妖精ドワーフ

 それ以外にも人の身体に猫の頭を持つ猫人バステトなど、珍しい種族の姿もチラホラ見える。

 それはまさに人種の坩堝とも言うべき有様だった。

 

 「早朝歩き回ってた時も思ったけど、人多いなぁ」

 「嘘かホントか、帝都の総人口は百万とか聞いた覚えはあるねぇ」

 「数字が大きすぎて全然ピンと来ないわね……」

 

 概ね、都市と呼ばれるような規模で数千人。

 大きな国の主要都市で一万人を超えれば大都市と称される。

 其処に百万などと言われても、確かに実感など掴みようもない。

 しかしこの大通りの様子だけを見ても、他の街とは比較にならないほど賑わっている事は理解出来た。

 百万人が住む巨大都市メガロポリス、というのは大袈裟でなく真実なのかもしれない。

 

 「何だか、うっかりすると観光気分になりそうだねぇ」

 「監視がなければそれでも良かったんだがな」

 

 特に明確な目的地もあるわけではなく、四人はゆったりとした足取りで人の流れに入っていく。

 クロエは逸れないよう、出来る限りガルの傍に寄る。

 それに気付いてか、長い尾がそっとクロエの腰の辺り、触れるか触れないかのギリギリの位置に回って来た。

 そんな少し過保護ではないかと思える動きに、クロエは小さく笑う。

 

 「ありがとう」

 「逸れては面倒だからな」

 「オレはうっかりすると蹴飛ばされそうで怖いんですけど」

 

 背の低いビッケの視点から見ると、人込みは動く壁にも等しい。

 隙間を器用に抜けてはいるが、ちょっと街の様子を見るような余裕はなかった。

 

 「なんだい、おんぶでもしたげようか?」

 「随分前にそれやって息上がってバテバテになったの姐さんじゃないですかヤダー」

 

 そんな事もあったかねぇ、と。

 水袋いっぱいに詰めた果実酒を舐めながら、ルージュはケラケラと笑う。

 二人のやり取りを聞きながら、クロエは改めて街の様子に目を向ける。

 此処は大きな通りであるため、並んでいる多くは商店のようだった。

 自分達が泊まっていたのと同じような宿に、食事を取る為の店。

 生活用品を商っている雑貨屋に、何かよく分からない物を店頭に並べている怪しげな店もある。

 そのどれも、多くの人の出入りが見て取れた。

 無論、繁盛している店とそうでない店の差はあったが。

 人々は言葉を交わし、時に笑って、中には値段交渉で熱くなっている者もいる。

 

 「……ホントに、賑やかね」

 「あぁ」

 

 独り言に近いクロエの呟きに、ガルは小さく頷いた。

 これが帝都。《帝国》の中心であり、大陸で最も栄えている巨大都市。

 《帝国》は魔王が従える恐るべき侵略国家だ。

 神代から繰り返され、今も尚諸国へ向けて侵攻を続けている。

 その事実だけは決して揺らがない。

 だが内側に入ってしまえば、其処にあるのは「平和」の二文字だ。

 当然と言えば当然の話、侵略による血生臭さは他国と接する辺境でのみ起こっている事。

 争いから遠く離れたこの帝都には、一滴の血も流れてはいない。

 あるのはただ平和と、それ故に活気に満ちた繁栄のみ。

 他国の人間がこの様子を見たら、一体何を思うだろうか。

 明確な故郷を持たず、国に属した事のないクロエでも複雑な気持ちを抑えられない。

 ――この薔薇は、自分以外の者達の血を吸って、赤く赤く咲き誇っている。

 何を憚る事もなく、それこそがこの世の真理だと言わんばかりに。

 

 「……しかし広いな」

 「でしょー? オレも思ったけど、この通りだけでどんだけ長いんだか」

 

 小さく呟いたガルの言葉に、ビッケも同意する。

 別段急ぎ足でもないが、人の流れに乗ってそれなりに歩いたつもりだったが。

 それでもまだ通りは真っ直ぐ続いており、人の流れも途切れる様子がない。

 もし百万の人口が真実であるなら、街の規模もそれに見合うもののはず。

 そう考えると、人の足では一日で街全体を歩く事など到底不可能かもしれない。

 

 「――よぉ。お前らお上りさんかい?」

 

 ふと、聞き慣れない声が響いてきた。

 クロエがそちらに視線を向ければ、いつの間にやら並ぶように歩く厳つい男達。

 纏う空気からして、明らかに堅気ではない。

 街中なのもあり目立つ武装こそしていないが、それでも厚い皮鎧を身に付けて腰には長剣を下げている。

 兵士ではない。恐らくは傭兵の類だろう。

 声と共に吐く息には、離れていても分かる程度には酒精が混じっていた。

 

 「一体、何処の田舎から出て来たんだ? 特にそっちのデカいのとかよ」

 「きっと密林とか、あの辺の未開地から迷い出て来たんだろうさ」

 

 何が面白いのか、その発言にドッと笑い出す男達。

 帝都にもこんな輩がいるのかと、クロエは煩わし気に視線だけ向けている。

 人数が見える限りで六人ほど。

 全員人間で、身に付けている武装も似たようなものだ。

 やはり傭兵団か何かの所属なのだろう。

 《帝国》では冒険者は少なく、安価で戦場に駆り出される傭兵の数が多いとは聞くが。

 この連中も、恐らくはそういう傭兵の一団か。

 

 「ふむ……俺の故郷なら、帝都近辺ではなくもっと南の方にあるな。田舎なのは間違いない」

 

 無意味に嘲笑を向ける男達に、ガルは感情を見せずに淡々と答えた。

 余りにも冷静な言葉は、酒に酔った連中に「あしらわれた」と強く感じさせたる。

 無関係な街の人々は、不穏な空気を感じ取ってか距離を開け始めていた。

 

 「おい」

 「……ふむ。そうか。そういえば故郷の話は特にした事はなかったか」

 「ま、まぁ、そう言われたらそうね」

 

 威嚇するように凄む男はスルーして、ガルはクロエに向けて問いかける。

 余り身の上話をするような質でもないので、すっかり失念していた。

 クロエの答えに対し、ガルはやはりと頷いて。

 

 「そうか。深い森に年中温かい気候、後は広い湖ぐらいしかない場所だが。

  それでも良ければいずれ案内しよう」

 「田舎……というか、やっぱりどこかの未開地にしか聞こえないけど……」

 

 本当に断片的な情報だが、それだけ聞くと野生動物の住処としか思えなかった。

 元よりガルは蜥蜴人の蛮族なので、似たようなものかもしれないが。

 

 「おいっ!」

 

 男の一人が、炸裂した火薬のように叫んだ。

 見れば半分が進行方向を塞ぎ、もう半分が退路を断つように背後に回っている。

 それぞれ酒の回った赤ら顔のまま、剣の柄に手をかけていた。

 

 「自分らから挑発しといて、スルーされたら逆ギレとかどうなん?」

 「そんなん、昼間から酒呑んでる時点で、まともに話出来る奴なわけがないだろうからねぇ」

 「うーん凄い説得力」

 

 そう皮肉で突きつつも、それ以上の事をビッケは口にしないが。

 

 「真昼間の往来で何を考えてるのかしら……」

 「何も考えていないんだろう」

 

 感情のまま斬りかかって来そうな男達に注意を向けながら、クロエは嫌そうに呟く。

 その言葉に、余り物を考えてなさそうなガルが応えた。

 そんな冒険者達の態度も、当然ながら酔っ払いの傭兵達の神経を逆撫でした。

 中には怒り任せに剣を抜く者までいる始末。

 

 「ちょっとちょっと、此処街中でしょ」

 「うるせぇ! 田舎者が馬鹿にしやがって!」

 

 一応形だけでも宥めておこうと思ったビッケだが、案の定返ってくるのは罵倒だけ。

 傭兵達はやる気だが、クロエ達――正確にはガルやビッケだが、彼らの武装はビッケの大鞄に収納されている。

 クロエは己の魔剣ならいつで手に取る事が出来るが、他の仲間達に同じ真似は出来ない。

 とはいえ、流石に衆人環視の中で武器を構えて殴り合う、など軽々しくするわけにもいかない。

 

 「……面倒だ。黙らせるか」

 「止めるべきなんだろうけど、向こうさんが止める気ないからどうしたもんかねぇ」

 

 見たところ、傭兵とは言ってもそう腕が立つ相手にも思えず。

 言葉を聞く気がないなら殴り倒すのが良いだろうと、ガルはあっさり結論付けた。

 ルージュは諦めたように肩を竦め、乱闘の巻き添えにならない位置取りを考え始めた。

 傭兵達は、イマサラながら蜥蜴人の巨体と雰囲気に酔いが少し引いてしまったようではあったが。

 

 「糞っ、舐めンじゃねぇよ! この蜥蜴野郎め!」

 

 此方も後には退けないのか、抜いた剣の切っ先を向けて傭兵の男が吼える。

 ガルはそれに応じて、軽く拳の骨を鳴らす。

 真昼間からの喧嘩騒ぎに、周囲には人だかりが出来つつあった。

 文字通りの一触即発。

 ガルは先手を取って、手近にいる傭兵からさっさと殴り倒してしまおうと考えるが。

 

 「待て」

 

 強い、有無を言わさぬ圧力を伴った声が、その空気に待ったを掛けた。

 人だかりの向こうに見える、一つの大きな影。

 今の声も含めて、それはクロエ達も見知った相手だった。

 

 「貴方は、確か……」

 「ガイストだ。こんな昼間から喧嘩騒ぎとは、つくづくそういう星を背負っているらしいな」

 

 半竜人の男――ガイストは改めて名乗りながら。

 道を譲る人々の間をゆっくりと進み出て、騒ぎを起こした傭兵達を見下ろした。

 

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