第一章:帝都にて

第九十八節:朝の風景

 

 「まー、何というか平和だったね。ウン」

 

 小さく千切ったパンを口の中に放り込みつつ。

 ビッケは椅子に深く腰を掛けながら、自分の見た物を簡潔に伝えた。

 クロエが目覚めてから、程なくして帰還したビッケ。

 部屋で酔い潰れていたルージュも引っ張り出し、今は四人揃って階下の酒場で食事を取っていた。

 特に珍しくもない酒場兼宿だが、それなりにランクの高い店なのは間違いない。

 クロエ達が良く知るのは冒険者の宿だが、客層が客層な事もあって大なり小なり「荒い空気」が存在した。

 けれど此処はそういった雰囲気も薄い。

 中には兵士か、或いは冒険者らしい軽い武装を身に帯びた者もいるのだが。

 

 「オレ、帝都に入るのなんて初めてだけど、イメージとは大分違うなぁ」

 「もっとオドロオドロしいのを想像してたかい? まぁあたしも似たようなもんだけどねぇ」

 

 まだ昼間だというのに強めの麦酒エールを呑みながら、ルージュは小さく肩を竦める。

 広い酒場のスペースには幾つものテーブルがあり、多くの客で賑わっている。

 普通に食事を取っている者以外にも、ルージュ同様に酒を呑んでいる者も珍しくはない。

 彼らは日常的な言葉を交わし、時に大きな笑い声を上げる。

 騒がしい酒場の空気ではあるが、其処にあるのは日々の営みだけ。

 特別荒んだ雰囲気も、沈んだような様子もない。

 其処にこれまで見て来た街と、そう大きな差は感じられなかった。

 

 「…………」

 

 クロエは黙したまま朝食を口にする。

 野菜や肉を柔らかく煮込んだ、少し濃いめの味付けがされたスープ。

 温かく、そのまま呑んでもパンを浸して食べても美味だ。

 そのパンも、特に硬かったりもせず味も悪くない。

 他の客が食べている食事も、大体同じようなものだった。

 

 「まぁ《帝国》も『国』であり、この帝都はその中心だ。特におかしい話でもあるまい」

 「……っても、あの《狂気の薔薇帝》のお膝元だしなぁ……って」

 

 朝から焼いた肉を骨ごと齧るガルに対し、ビッケは囁くような声で言った。

 《狂気の薔薇帝》。

 この帝都の真の中心であり、大陸の6割近くを征服する巨大軍事国家である《帝国》の支配者。

 そして、現在地上に留まり続けている数少ない「魔王」の一柱。

 神代にまで遡り、神々が争っていた時代から君臨し続ける超越者。

 ――伝え聞くところによれば、「彼女」は元々小国の女王であったという。

 それが神の導きに従い、とある魔剣を手にした事から運命が大きく変わる事になる。

 魔剣の持つ強大な魔力により連戦連勝、幾つもの戦場を駆け抜けてその全てを血で染め上げた。

 同じように魔剣を持つ者も数多に屠り、彼女の国はその力と共に肥大化し続けた。

 やがて女王は自らを《薔薇帝》と称し、自らの力を与えたはずの神々にさえその刃を向ける。

 それをきっかけに、神々の争いに魔王も加わり、最終的にほぼ全ての神格が物質世界を去る事になるのだが……。

 

 「……勝手に、悪の総本山みたいなイメージを持ってたのは、確かね」

 

 パンを小さく千切りながら、クロエはそっと呟いた。

 夢で見た過去の断片。その事もあり、頭の中がグチャグチャで纏まり切らない。

 目指すと決めた。何も分からない状態で、目的とと定めたからこそこの場所に来た。

 けれど過去は唐突に自分の前に現れ、そして悪徳の都と思っていた地には他国と変わらない日々の営みがある。

 ……深い暗闇を抜けた先は、まったく何もない断崖絶壁だったような。

 少し前まであったはずの目的を見失ったような気がして。

 

 「ふむ……そういえば、街の様子以外には何か気付いた事は?」

 「あぁ、ウン。やっぱ監視はされてるっぽいね」

 

 ガルの言葉に、これもビッケは小声で応える。

 

 「何か調子悪いクロエ見て、手早く宿だけ用意して解放はしてくれたけど、まぁ見張りぐらいは置くよね」

 「今も見られてるのかい?」

 「多分。向こうもそれなりに腕立つっぽいし、距離は取ってるようだから正確には」

 「…………」

 

 クロエもちらりと、今度は意識して酒場に視線を巡らす。

 けれど誰が監視役だとか、そういうのはやはりよく分からなかった。

 ――そうだ。幾ら普通の街のように見えても、此処は帝都。

 この場所にいる限り、自分達はあのヴァイオラの手のひらの上なのだ。

 

 「しっかし、相手の目的が見えないからねぇ」

 「どーもクロエにだけ用があったっぽいけど……」

 

 ルージュに応じながら、ビッケは視線をクロエの方に向ける。

 其処には気遣いの色があった。

 他の仲間達もまた、あの時にヴァイオラが言った「妹」という言葉は耳にしていた。

 恐らく、帝国でも相応の地位を持つだろう相手と。

 記憶の大半を失っていたクロエが、姉妹であったという事。

 それが事実であるからこそ強い衝撃を受け、体調を崩してしまったのは明白だった。

 

 「……私も、よく分からないわ。少しずつ、思い出して来た事はあるんだけど」

 

 クロエの方も、そう答えるので精一杯だ。

 夢で見たあの夜の事が、村が焼け落ちる直前だったのは間違いない。

 ならその後、具体的に何が起こったのか。

 其処まではまだ、クロエも思い出せないままだった。

 何故、自分一人だけあの場で生き残ったのか。

 何故、姉は――ヴァイオラは、この帝都で生きているのか。

 分からない。戻って来た過去はまだ断片で、その全容を見せたわけではない。

 記憶の中にあるのは、自分に優しかった姉の姿ばかりで。

 それは熱砂を旅する者を惑わす蜃気楼のように、クロエの心を掻き乱す。

 

 「……ふむ」

 

 ガリッと。大きな音を立てて、ガルが骨を噛み砕く。

 バリボリと、余り行儀が良いとは言えない様子で咀嚼する。

 一通り皿にあった肉を食べ終えると、満足したように息を吐いて。

 

 「此処で悩んでいるだけでは答えも出まい」

 「ガル……」

 「あの姉――ヴァイオラと名乗ったか、その本人に真意を問い質すのも良い。

  或いは、さっさとこの帝都を出てしまうのも選択肢だろう」

 

 無論そうなれば、また追っ手は掛かってくるだろう。

 最悪、ヴァイオラ本人が追跡を仕掛けてくる可能性も十分にあった。

 

 「だがそうなれば、何であれ状況は動く。悩むのはそれからでも良かろう」

 「……無茶苦茶言うんだから、もう」

 

 確かに状況は間違いなく動くだろうが、それで好転するとも到底思えない。

 指先で軽くこめかみを抑えながら、クロエは大きく息を吐いた。

 

 「……けど、そうね。ガルの言う事にも一理あるわ。

  椅子に座ってご飯を食べながらウンウン唸っていても、良い答えなんて出ないわよね」

 「酒呑んでイイ感じに酔いが回ったら、何か良いアイディアが浮かぶとは思わないかい?」

 「姐さん、それ酔っ払いの戯言と区別する難易度高くない?」

 「直感や閃きも大事だろう」

 

 結局、空気は少しずついつもの具合に戻っていく。

 悩むぐらいなら行動すべきだ。確かに一理ある。

 が、見知らぬ土地で闇雲に動くのも賢い判断とは言い難い。

 少し考えてから、ビッケは軽く手を打って。

 

 「……とりあえず、オレ以外の皆も帝都の中見てく? いや、オレも全部回ったわけじゃないしさ」

 「何か美味い酒でも売ってる店、他にもあるかい?」

 「そりゃいっぱいあるでしょうけど、オレ別に酒場のチェックしに出たわけじゃないんで……」

 

 脳が完全にアルコール漬けな女司祭の発言に、ビッケは心底困ったように言った。

 

 「そうね……敵情視察、というわけじゃないけど……」

 「街中で荒事になる可能性を考えれば、ある程度構造を把握しても損はないだろうな」

 

 何故か市街戦を想定しているガルの言葉もなかなか言霊が強い。

 

 「……多少なりとも此方が動けば、相手も行動を見せるかもしれないわね」

 

 仮にあのヴァイオラが自分クロエに用があるのなら、ただ放置したままにはしないだろう。

 今は監視をするだけで、それ以上の干渉をして来ない理由は不明であるが。

 もし相手が動いたとして、それが暴力的であるかそうでないのか。

 相手の真意が分からない為、どうしてもその辺りはまだ判断はし辛かった。

 

 「いやまぁ、こんな相手のお膝元でビシバシやり合う羽目になったら、そもそもこっち詰んでると思うけど」

 「そしたらまぁ、下手に対抗せずに逃げるしかないだろうねぇ」

 「冗談抜きで言うけどそれ逃げられる可能性どんだけありますかね……?」

 

 何とも、言葉にすればするほど状況が絶望的な事を再確認してしまう。

 それこそ、最初に帝都に辿り着いた時点で相手の目的とかが分かってしまえば良かったのだが。

 

 「……何にせよ、先ずは帝都の探索からか」

 

 思考が一巡ループしそうなところを、ガルはそれをザックリと断ち斬った。

 

 「出歩く分には問題ないのだな」

 「そうだねー、亜人の姿も別に珍しくなかったし、アニキが歩いてるからって騒ぎにはならないでしょ」

 「それならば良いが」

 

 ガルは蜥蜴人というだけで、どうしても外見的に目立ってしまいがちだ。

 しかし亜人の数が多いのであれば、多少はマシかもしれない。

 

 「じゃー先ず飯を片付けますかねぇ。あ、もう一杯飲んでもいいかい?」

 「姐さん、聞きたくないけど今日それで何杯目??」

 「いいじゃないかい、此処の金はあのヴァイオラって女が全部まとめて出してくれたみたいだしさぁ」

 「……とりあえず、動けなくならない程度にね……?」

 

 今の関係性は置くとして、仮にも姉の金でお酒をガバガバ飲まれるのもなかなか妙な気持ちだった。

 姉。ヴァイオラ。まだ昨夜の邂逅で、僅かに言葉を交わしただけ。

 真意も何も、まだ問い質せてはいない。

 

 「……そういえば昨日ここに来るまでに、姉は――ヴァイオラは、何処に……?」

 「分からん。この宿まで、あの女の使う《転移テレポート》とやらで一瞬だったからな。

  宿の手続きを済ませた後、同様に呪文を使って姿を消してしまった」

 「そう……」

 

 《転移》は高度な呪文だが、それを軽々扱える辺り実力の高さが伺える。

 思えば記憶の中の姉は、どんな事も容易く出来てしまう天才だった。

 剣や呪文にしても、子供達の中では姉が常に一番で。

 きっと今もそれは変わらないのだろう。

 

 「……大丈夫か、クロエ」

 「……うん、平気よ。ありがとう」

 

 また沈んだ空気を感じたのか、気遣うガルの声にクロエは軽く微笑みを返した。

 そうだ、弱気ばかりを見せても始まらない。

 考えればそれだけ悩みが頭の中で膨らむならば、今は兎に角行動あるのみ。

 そう改めて思いながら、クロエは朝食を手早く平らげていく。

 

 「(――今は何処で、何をして、何を考えているの? 姉さん)」

 

 この場では、声として口にはしなかった言葉。

 それを伝えるべき相手に伝えた時、果たしてどんな答えが返ってくるのだろう。

 問わねばならない。記憶の断片にある隙間の数々を。

 返ってくるだろう答えは、穏やかなモノでは決してないだろう。

 そしてそれを聞いたのなら――きっと、確実に刃を交える事になるはずだ。

 予感はある。確かな事など、今は何一つ口には出せないが。

 

 「…………覚悟を決めなさい」

 

 次に訪れる、三度目の邂逅の時を。

 そして、その先で起こるだろう一つの戦いを予感しながら。

 クロエは自らを戒めるように、そっと小さく呟いた。

 

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