終章:そして、薔薇の帝都へ

第九十六節:黒白の邂逅

 

 「此処だ」

 

 結局、地下神殿を後にしてから、その場所に辿り着いたのはすっかり日が暮れた頃だった。

 特に目印などない樹海の一角。

 外に向かうでもなく、帝国人である二人の案内で此処まで来たが。

 手に持つ魔法の明かりの中で視線を凝らし、ビッケは周囲の様子を伺う。

 

 「……何があるの? とりあえず何も無いっぽいけど」

 「今はな。もう直だ」

 

 疑いを含むビッケの言葉にも、ガイストは淡々と応える。

 それから程なくして。

 

 「……む」

 

 変化に気付いたガルは、ぴくりと尻尾を揺らした。

 ガイストとシリウスの二人が立っている傍、木々の隙間の空気が震えたのだ。

 やがてそれは小さな渦を作り、そして空間の一部が歪み始める。

 数分後、其処には不気味な光を放つ次元の門ポータルが口を開けていた。

 

 「帰還の為の次元門ポータルだ。予め連絡を入れておいた」

 「これ便利だけど、何処でも開けるわけじゃないのが面倒よねー」

 

 次元門の傍に立ち、シリウスは軽く笑う。

 遠隔地を繋げる次元門はかなり高度な魔法技術だ。

 それを移動にあっさり利用する辺り、《帝国》の技術力の高さが伺える。

 ガイストもまた次元門の方へと足を向けながら、冒険者達を促す。

 

 「さぁ、覚悟は良いか? この次元門の先が、我らの帝都だ」

 「ま、此処まで来て怖気づくも何もないだろうけどねぇ」

 

 まだ微妙にフラついてはいるが、ルージュはいつもと変わらぬ調子で応える。

 

 「…………」

 

 クロエは少し沈黙し、怪しげな光を湛える次元門を見ていた。

 この先は《帝国》、その中枢である背徳の都。

 帝都に辿り着いたなら、自分が求めていた答えはあるのか。

 踏み込むまでは何も分からない。

 踏み込んだからと言って、何かが分かる保証もないが――。

 

 「……行きましょう」

 「あぁ、そうだな」

 

 行くべき先を定めたならば、後は進む他ない。

 覚悟と決意を感じさせるクロエに、ガルも頷く。

 

 「急ぎなよー、これもずっと開いてるわけじゃないからさ。あ、それじゃお先にー」

 

 特に緊張感も何も無しに、最初に次元門に入ったのはシリウスだった。

 光の中にひょいっと飛び込めば、一瞬遅れてその姿が跡形も無く消え去る。

 そんな相棒を見送ってから、ガイストはため息を一つ。

 

 「……さて、どうする? 俺としては、お前達がこのまま何処かへ行ってしまわぬよう、一番最後にしたいが」

 「ぶっちゃけそれもちょっと考えたけども」

 

 大鞄を担ぎ直しつつ、前に出たのはビッケだった。

 

 「敵地だし、いきなり飛んだ先で兵士がいっぱいお出迎え! ……なんて事はないよね? ないですよね?」

 「信用しろ、とは言えんが」

 

 この場で何を言ったところで、そもそも根拠もないと。

 肩を竦めるだけのガイスト。ビッケは若干嫌そうな顔をしつつ、次元門の方を見て。

 

 「……じゃ、先に行くから。ヤバそうなら直ぐ引き返してくるんで」

 「気を付けろ」

 

 ガルの言葉に送られて、続いてビッケが光の中へと消えた。

 それを確認してから、ガルがのっそりと前に出る。

 ひょいっと、何気ない動作でクロエを抱えてから、次いでにルージュの方も軽く持ち上げた。

 

 「行くか」

 「……良いけど、凄く間抜けに見えない? コレ」

 「まー旦那やクロエは兎も角、あたしは一人でフラフラ入るのも何かあったらヤバいだろうしねぇ」

 

 これから目的地だった帝都に踏み込む姿としては、何とも情けない気はするが。

 見た目に拘っている場合ではないと、クロエは思い直す事にした。

 娘二人を抱えつつ、ガルは半竜人の傍を横切る。

 

 「では、先に」

 「あぁ。俺も直ぐに行く」

 

 矛を交えた戦士二人、そう短く言葉を交わして。

 ガルは躊躇なく次元門へと踏み込んだ。

 瞬間、視界が白く染まり、奇妙な浮遊感が全身を包み込む。

 上下左右の感覚が消失し、自分の身体がグルグルと渦を巻いているような不快感。

 それが一秒続いたのか、それとももっと長い時間が経過したか。

 光が晴れて意識が浮上すると、クロエは余りの気持ち悪さにその場に座り込んでしまった。

 感じるのは冷たい石の床の手触り。

 先ほどとは違う、魔法か何かの明かりを目が捉えているが、視界はぼやけて定まらない。

 

 「オーイ、大丈夫?」

 

 近くで聞こえてくる声は、ビッケのもののようだった。

 特に焦ったりなどしている様子もないので、とりあえず今は安全なのだろう。

 

 「所謂、転移酔いって奴かねぇ。直ぐに治まると思うけど」

 「ふむ、確かに少し眩暈がするが。ルージュは平気そうだな」

 「あたしは酔っ払いの経験値が高いからねぇ。このぐらいじゃ戻しゃしないよ」

 

 他にもガルとルージュの声も聞こえてくる。

 どうやら次元門による転移は無事に成功したようだ。

 

 「……大丈夫、少し待って」

 

 仲間達に何とかそう言葉を返してから、クロエは一度目を閉じて深く呼吸を続ける。

 転移酔いという言葉通り、普通はあり得ない別空間同士の跳躍に身体の機能が混乱する症状だ。

 兎に角心身を落ち着ける事で、身体の状態の正常化を図る。

 少しすれば、気分の悪さはまだ残っているがそれ以外については落ち着いてくる。

 そうして閉じていた目を開き、クロエは改めて周囲の状況に視線を向けた。

 其処は少し前までいた地下神殿を彷彿とさせるような、石造りの一室だ。

 狭くはないが広くも無く、掃除のされている床には赤い塗料で複雑な魔法陣が描かれている。

 恐らくこれが、先ほど通った次元門の基点なのだろう。

 

 「……地下牢、というわけではないみたいね」

 「いきなり無理やり突破する必要がないのは何よりだな」

 

 クロエの皮肉交じりの言葉に、ガルは至って真面目に答える。

 まだ少しふらつく少女の身体を、逞しい腕が支えた。

 やや遅れて、魔法陣からガイストの姿も出現する。

 二人の会話は聞こえていたようで、小さくため息を吐いて。

 

 「とりあえず、暴れるのはまだ止してくれ。

  此処は帝都――正確には、帝都を守る砦の一つだが、先ずは……」

 「――ご苦労様でした。ガイスト、シリウス」

 

 まったく唐突に。

 ガイストの言葉を、その声が穏やかに遮った。

 殆ど反射的に、名を呼ばれた二人はその場に膝を付く。

 クロエと他の三人は、その声の主へと視線を向けた。

 いつの間に其処にいたのだろう。

 部屋にただ一つある扉を開き、佇んでいる少女の姿。

 

 「…………え?」

 

 一瞬、クロエは其処に鏡があるのかと考えた。

 何故なら扉のところに立つ少女の姿は、自分クロエと瓜二つだったから。

 体格から顔立ち、細く長い尾も頭から伸びる角の形に至るまで。

 まったく両者の見た目は同じだ。

 文字通り、鏡と向かっているかのように。

 ただ一つ、大きな違いは「色」だった。

 クロエの髪や尾、頭の角が黒なのに対し、鏡映しの少女はその全てが白に染まっていた。

 髪も尾も、頭の角に至るまで。

 瞳だけは同じ金色の輝きを宿していて、互いの視線が絡み合う。

 

 「本当は、貴方達が来るまで待つつもりだったけど、我慢が出来なくて」

 

 そう言う声も、やはりクロエによく似ている気がする。

 頭を垂れる二人の部下を通り過ぎ、少女は軽い足取りで冒険者達に近付く。

 より正確に言うならば、その中の一人――自分と鏡合わせの姿を持つ、少女の前へ。

 

 「ッ……貴方、は……?」

 

 今のクロエは、正に蛇に睨まれた蛙そのもの。

 金縛りにでも遭ったように動けず、何とか喉の奥から言葉を絞り出す。

 それに対し、白い少女は楽し気に笑って。

 

 「分からない? 本当に?」

 

 吐息が感じられる距離まで近づき、そっと囁く。

 過去が。奪われ、失ってしまったと――そう思っていたはずの過去が。

 今さら、形となって目の前に現れた。

 白い少女は笑う。

 敵意はない。いっそ慈悲と愛情をたっぷりと詰め込んで。

 笑う。笑った。笑いながら、刃のような事実をクロエの胸に突き立てる。

 

 「ようこそ、帝都へ。薔薇の主に代わって、貴方達を歓迎しましょう。

  ――特に貴女はね、私の可愛いクロエ

 

 その言葉には、慈悲と愛情がたっぷりと詰め込まれていて。

 それを聞いたクロエの心を、絶望的なまでに引き裂いた。

 

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