第九十五節:交渉成立

 

 「……このまま平和的に別れる、って選択肢は無いのかねぇ?」

 「悪いけどこっちも仕事でねー」

 

 絞り出すようなルージュの言葉に、いっそ明るい口調で答えたのはシリウスだった。

 彼女もまた、相棒であるガイストに並ぶ形で魔剣を軽く手の中で回す。

 切っ先の動きに合わせて、赤い炎が虚空に円を描く。

 

 「やはりそういう話になるか」

 

 他より一歩前に出て、ガルは大金棒を構えた。

 ビッケはお宝を背にする形で素早く細剣を抜き放つ。

 先ほどまで流れていた穏やかな空気は一変し、再び張り詰めた戦場の空気が戻ってくる。

 クロエもまた、ルージュをその背に庇う形で魔剣を強く握り締めた。

 一方、ガイストの方は武器を抜いてはいない。

 いつでも構えられる姿勢である事は間違いないが。

 

 「中断してしまった話の続きだ。お前達さえ頷いてくれるなら、安全に帝都に招く事を約束する」

 「あらー、やっぱ無理やり連れてくわけじゃないんだ。ヘタレちゃった?」

 「黙れ」

 

 相棒の余計な茶々入れを言葉と拳で黙らせ、ガイストは冒険者達をそれぞれ一瞥する。

 このまま戦いになれば、双方共にリスクが大きい。

 そう言外に知らせるように、言葉を一つ一つ選んでいく。

 

 「お前達は帝都を目指している。ならばお互いにとって損な話ではないと思うが」

 「そういう話し方する奴は大抵信用ならないんだけどねぇ」

 

 片手に神の化身たる骰子を握って、ルージュはため息混じりに応える。

 さっきやったばかりの無茶もあって、体力的には相当にキツい。

 出来ればこのまま意識を手放して、自然と目覚めるまで伸びていたいぐらいだが。

 

 「……ふむ」

 

 警戒の為、大金棒を油断なく構えたまま。

 ガルはちらりと、視線だけをクロエの方へと向ける。

 

 「…………」

 

 魔剣を構え、その身に「帳」を展開しながらも。

 クロエは迷い、葛藤しながら二人の帝国の戦士を見ていた。

 失われている自分の過去、それに関わっているはずの「薔薇」の配下。

 抑えがたい衝動があった。

 奪われたものを奪い返したいという、根源的な欲求。

 或いは樹海の神も、同じような感情を頂き続けて狂ったのかもしれない。

 この場で戦う事を選ぶのは、余りに容易い。

 神殿地下で同じように誘われた時も、戦闘の継続を覚悟で拒絶するつもりだったが……。

 

 「クロエ」

 

 グルグルと回る思考に、冷静な声が割り込んでくる。

 見上げれば、其処には変わらぬ様子のガルの横顔があった。

 迷いも、葛藤も。全て分かっていると、そう伝えるように頷いて。

 

 「お前の好きにして構わない」

 

 それもまた、地下で聞いたのと同じ言葉だ。

 あの時は、躊躇わずに感情のまま言葉を吐き出したが。

 

 「……本当に良いの?」

 「あぁ、構わん。どの道、向こうもお前相手に聞いている事だろうからな」

 「まーウン、結局どうするか決めなきゃだし。お任せでーす」

 「何でも良いからあたしは酒呑んで横になりたいねぇ」

 

 仲間達は、各々好きに言葉を返して来た。

 ガイストは静かに返答を待ち、シリウスは戦いになる事を期待しているのか少しソワソワしている。

 クロエはもう一度、そんな二人を見た。

 見てから、自分の気持ちを落ち着けるように一度深く息を吸い込む。

 そして。

 

 「……良いわ。そちらの提案を、受け入れましょう」

 

 感情を抑えた声で、ガイストに向けてそう答えた。

 

 「……意外だな」

 「何が」

 「地下では一度断ろうとしていた。考え直すとは思っていなくてな」

 「……このまま戦っても、どっちも痛い思いをするだけでしょう」

 

 それが理性によって導き出された結論だった。

 近くに街もないような密林の中。

 ルージュの消耗が特に激しく、その状態で誰かが致命的な傷を受ければどうなるか。

 まったく不本意ではあるが、此処は矛を収める事が最も被害は少ない。

 

 「……ただし、私はあくまで『提案』に乗っただけ。貴方達に従っての事ではないから」

 「無論、承知している。こんな話をしている時点で、此方の方が負けを認めているようなものだからな」

 

 魔剣の切っ先を突き付けてくるクロエに対し、ガイストは素直に頷いた。

 最初は目標であるクロエ以外は、そのまま始末しても構わないという話だったのだ。

 それが不戦の上での招待にまで落ち着いたのだから、実質敗北したようなものだろう。

 結局戦いにはならない様子に、シリウスは小さく肩を竦めた。

 

 「なんだ、また一戦やるのかと思ったのに」

 「目標を帝都に連れて行く。任務の達成が最優先だ」

 「はいはい、分かってますよーだ」

 

 シリウスも不満はあるようだが、それ以上に文句を言う事もなかった。

 答えを出したクロエは、そっと息を吐く。

 それから改めて、他の仲間達の方を見て小さく頭を下げた。

 

 「……ごめんなさい」

 「何を謝る必要がある。好きにして良いと、そう言ったのは此方だ」

 

 そう言いながら、ガルはクロエの頭を軽く撫でる。

 ビッケやルージュも、その言葉を肯定するように頷いて。

 

 「まーどっち道、このままこの場で戦うっつーのは無かったし。うん、無いね。死んじゃう」

 「あたしもまぁ、ちょいと戦うって状態じゃあないしねぇ」

 

 もう立っているのもしんどいのか、ルージュは石の床にぺたっと座り込んだ。

 ビッケに背中を支えられていなければ、そのまま大の字になって寝転がっているかもしれない。

 やはり、この状態で戦うのは無謀に過ぎる。

 自分の選択は間違っていないと、クロエはそう信じる事にした。

 

 「……それで、帝都に招くと言ったけれど。具体的にはどうするの?」

 「それについては説明するが」

 

 クロエの問いに応じながら、ガイストは獲物の大戦斧を背中に担ぎ直す。

 

 「先ずは、この場から離れたいところだな。邪魔者が去ったとはいえ、まだ何が出てくるかも分からない状況だ」

 

 そう言いながら、見渡す限り広がった樹海の方を示した。

 死したる神は去り、朽ち果てた神殿は見た目通りの残骸へと変わっただろうが。

 未だに深く生い茂る森には、何が潜んでいるかも分からない。

 此処に落ちる原因となった蛮族達は、神が去った後はどうなったのか。

 

 「確かに、さっさと安全なとこ移動して休みたいのは間違いないね。特にウチの姐さんが」

 「酒」

 

 最早会話するのも億劫なのか、脱力し切った状態で欲求だけを口にするルージュ。

 ガイストの傍らに立っていたシリウスは、相棒の言葉に緩く首を傾げて。

 

 「いいんじゃない? 別に。蛮族が何処に潜んでいるか分からない場所で野営とか、スリリングで楽しそうじゃん」

 「お前一人でやっていろ」

 「えー、私が生活能力無いの知ってて言ってるー?」

 

 冗談なのか本気なのか――恐らく大分本気の発言だろうが。

 わざとらしくブーを垂れるシリウスに、辟易しながらもガイストは律儀に応じる。

 

 「…………」

 

 そんな二人を、クロエはやや不思議な気持ちで見ていた。

 《帝国》。過去の欠落に食い込む、どうしようもない傷痕。

 これまで何度か《帝国》に関わる相手と戦い、時にこれを討ち取って来た。

 後悔はない。やるべきことをやっただけなのだから。

 戦場で敵として相対した以上、それは単なる必然に過ぎない。

 ただ、其処から一歩だけ離れて見た時。

 《帝国》に属する者もまた、立場が異なるだけで自分達とそう変わらないのではないか、と。

 そんな単純な話に、今さら気付いたような気がした。

 

 「……何を考えているかは、敢えて聞かないが」

 

 頭上から、ガルがそう声を掛けて来た。

 それに応えるよりも早く、力強い腕に抱きあげられる。

 驚き、クロエは反射的にガルの首元辺りにしがみ付いた。

 

 「……いきなりは、止めてったら」

 「いきなりでないと逃げられるからな」

 

 清々しいまでの開き直りに、抗議の意を込めて細い尻尾が振り回される。

 ペシペシと叩かれながら、ガルは一つ頷いて。

 

 「難しい事など、今は考える必要もあるまい。知りたい事を知る為に、敵を打ち倒す。簡単な話だ」

 「……それは分かっているけど、悩む事ぐらいあるわ」

 「それを悪い事だとは言わんがな」

 

 クロエを片腕に抱いたまま、ガルはのそりと歩き出す。

 向かう先では、ビッケが脱力したルージュを支えつつ何とかお宝を掻き集めようとしていた。

 

 「やるべき事が定まっているなら、先ずはそれを果たすべきだろう。

  もしそうでないなら、向かう先を決めるしかない」

 「……向かう先」

 「あぁ。今ならば、帝都に向かう事が優先だ。だからあの二人の提案も、最終的に呑むと決めたのだろう?」

 

 ガルの言葉に、身を寄せたままクロエは頷く。

 密林の気温は高めで、少しひんやりした鱗が肌に心地良い。

 

 「ならば細かい事は、帝都に着いてから考えればいい。

  其処で敵になる相手を見定めたなら、後は殴り倒して片を付ければ済む」

 「……割と無茶苦茶言ってるわよね?」

 

 そう言って、クロエは小さく笑った。

 こうやってガルが一つの事を長々と語るのは珍しい気がした。

 良くも悪くも、この蜥蜴人の頭の中は実にシンプルに出来ている。

 そんな彼が、似合わず長広舌を振るう理由ぐらいは鈍いクロエにも理解出来た。

 

 「……ありがとう」

 「む」

 「礼を言われる理由はないって言いそうだけど、此方にはあるから」

 

 クスクスと笑って、クロエはガルの身体を少しだけ強く抱きしめ返した。

 パタリと、蜥蜴人の尾が大きく揺れる。

 

 「……俺にも、どうにも悩ましい事はある」

 「なんでも腕力で解決出来るだろうとか思ってそうなのに?」

 「大半はそうだと思っているが、決して全てでない事も分かっているつもりだ」

 

 例えば、そう。

 今まさに、ガルの頭を悩ませている問題がある。

 

 「惚れた女に妻となって貰う為、後必要なものはどのぐらいあるだろうか、とかな」

 「…………」

 

 誤魔化しも何もなく、極めて直線的にそう言われて。

 クロエは言葉に詰まり、思わず真っ赤になってしまった。

 

 「やはり世の中、いつも単純にとは行かんのかもしれんな」

 「……そうね。ええ、その通りよ。きっと」

 

 そう言いながら、クロエは恥じらうように顔を伏せる。

 出来れば、今どんな顔をしているのか、自分にも相手にも知られたくないと。

 

 「お二人さん、イチャつくのは良いんだけどそろそろこっち手伝って??」

 

 また状況そっちのけで二人の空気を醸し出した仲間に向けて。

 酒精が切れて半死人状態のルージュを背負いつつ、お宝の回収を続けるビッケは抗議の声を上げた。

 

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