第九十四節:昇天

 

 「……ねぇ、どうなったの?」

 

 誰にともなく、クロエは不安げにそう問いかけた。

 未だ暗雲渦巻く空。

 激しい戦いによって更に荒れ果てた神殿の頂上。

 そして、完全に動きを止めてしまった黒泥の巨人。

 ルージュがその泥中に飛び込んでから、もうそれなりの時間は経過したと思う。

 正確な時間を計っているわけではないので、細かくは分からないが。

 ただクロエにとって、その一分一秒は途方もなく長い。

 反射的に助けに飛び込もうとしたのは、ガルによって止められてしまった。

 何が起こるか分からない以上、「神」に対する専門家であるルージュに任せた方が良い、と。

 

 「分からん。分からんが、巨人の動きが止まった事は確かだ」

 

 放っておくと直ぐに飛び出してしまいそうなクロエを、片腕で抱えたまま。

 ガルはじっと、ルージュが身を投じた辺りに視線を向け続ける。

 足元では、ややそわそわしながらもビッケが大人しく座り込んでいた。

 

 「姐さんは『自分が犠牲になれば』なんて殊勝なこと考える人格じゃないから、その点は心配してない。

  心配してないけど、基本行き当たりバッタリなのはオレらの特徴なので……」

 「まぁ、何か出来そうな気がしたからで突っ込んだ可能性は十分あり得るな」

 「やっぱり助けに行かないとダメじゃないそれ……!」

 

 足と尻尾をジタジタと振るクロエを、ガルは軽く抑え込む。

 ――そんな冒険者達の様子を、ガイストは呆れ顔で眺めていた。

 

 「……無茶苦茶だな」

 「でも、割と上手く行ってる感じじゃない?」

 「分からんだろう。生贄を得て満足しただけかもしれん」

 

 動きが止まっている今、攻撃を仕掛ける事も考えはした。

 考えはしたが、それが通じる保証も状況が悪化しない保証もない。

 そう言って止めたのは、ガイストではなくシリウスの方だった。

 まったく根拠はないが、こういう場合の「勘働き」に関しては彼女の信頼性は高い。

 故にガイストも、一先ず状況を見守る事にしていた。

 

 「……だが、これでまたあのデカブツが動き出したらどうする」

 「そん時はそん時でしょ。何なら、今からでも逃げ出しておく?」

 「それも選択肢ではあるがな」

 

 実際、あの巨人の脅威を考えれば今の内に撤退するのも十分「アリ」な選択だ。

 しかし冒険者達はそれを選ぶ事はないだろう。

 そしてガイスト達も、与えられた任務がある以上は下手に動くわけにもいかなかった。

 

 「…………」

 

 クロエは暗い想像を抑えきれず、変わらずガルの腕の中でジタバタとしていた。

 もし、あのいい加減で酔っ払いな女司祭が戻って来なかったら。

 もし、自分が止めてさえいればそうならずに済んだとしたら。

 もし、もし、もし、もし、もし。

 一度考え出すと、どうしても止まらなくなってしまう。

 ルージュは大丈夫。絶対に戻ってくる。

 ガルも、ビッケも、そう信頼しているからこそ落ち着きを失っていない。

 信頼。信頼だ。ルージュを信じていたから、彼女なら大丈夫だと送り出した。

 

 「……ルージュ」

 

 一度その名を口にして、クロエはぎゅっと奥歯を噛んだ。

 自分の中から溢れてくる不安を、無理やり押し殺す。

 それからぎゅっと、自分を抱えているガルの腕を強く抱きしめ返した。

 

 「大丈夫だ」

 

 少女の不安を感じ、ガルはそう言いながらもう片方の手で軽く頭を撫でる。

 そう、何も問題などない。

 ルージュはいい加減ではあるが、自分の命を粗末に扱うような人間ではない。

 ならば無謀な行いも、彼女なりに「何とかなる」と考えた末での事。

 後は結果を待つ他ない。振られた骰子が、必ずしも良い目を出すとも限らないが。

 蓋を開けてみるまで、どんな目が出るかは誰にも分からないのだ。

 

 「アニキの言う通り。姐さんだよ? 絶対に大丈夫だって」

 

 ビッケもまた同じ考えだった。

 不安が無いわけでは無い。

 当然だ、傍から見ても自殺と大差ない事をやってくれたのだから。

 だからこそ、信じて待つしかない。

 あの酔っ払いなら、このぐらいで死ぬ事なんて絶対にないと。

 

 「…………!」

 

 二人の仲間の言葉に頷きながら、クロエはその変化を見逃さなかった。

 動きのなかった黒泥。その一部が微かに動いた。

 それは巨人が動き出した結果ではない。

 水底から沸き上がるような、小さな気泡が黒泥の表面を僅かに揺らしたのだ。

 

 「ガル、あそこ……!」

 「うむ」

 

 同じものをガルも確認し、クロエを抱えたままで黒泥の方へと近付く。

 巨人の反応はない。いざとなれば直ぐに離れられるよう、警戒は解かぬまま。

 躊躇なく、空いた方の手を黒泥の中へと突っ込んだ。

 重い水の感触。濃い黒色の為、外側から中の様子を伺う事は難しい。

 ガルは肩のギリギリまで腕を入れて、手探りで気泡の元を探す。

 自然と祈りの形に指を組みながら、クロエはその作業を見守っていた。

 ――そして。

 

 「っ……げほっ、げほっ! ぶへっ」

 

 黒泥の奥底から、全身をドロドロに濡らしたルージュが引き上げられる。

 見たところ外傷の類もなく、ガルに掴まれた状態で何度も激しく咳き込む。

 

 「ルージュ……! 大丈夫なのっ? 何処か怪我は!?」

 「げほっ、おえっ……あー、大丈夫、今は兎に角酒が呑みたいね。まったく」

 

 ガルに抱えられた状態でなければ、そのまま突っ込んできそうな勢いのクロエ。

 それにどうにか言葉を返してから、ルージュは大きく息を吐き出した。

 助け出されたのを確認し、遅れてビッケも傍に走ってくる。

 

 「姐さんお疲れ。オレとしては今何がどうなってんのかを確認したいんだけど」

 「その辺、ちょいとあたしも説明し辛いんだけどねぇ」

 

 全身にこびり付いた黒泥を、嫌そうな顔をしながら払い落とす。

 それからガルに下ろして貰うと、ややふらつきながらも二本の脚で着地する。

 何度か確認するように身体を伸ばしてから、ルージュは改めて巨人の方を見た。

 

 「とりあえず、気が変わらない内にやっちまいますか」

 「どうすればいい」

 「んー。多分、もうちょいしたら……」

 

 ガルの言葉に、ルージュが答え終わるより早く。

 今ルージュが出て来た辺りの黒泥が大きく脈打ち、其処から何かが吐き出された。

 それは見覚えのある、大きな石の棺だった。

 突然の事に、クロエは驚きに目を見開く。

 

 「これは、どうして……?」

 「一応、説得というか交渉が通じたんかね」

 

 何が決め手となり、その決断をさせたのかは分からない。

 それはきっと、当人(?)にしか分からない事だろう。

 どちらにせよ、目の前の結果こそが全てだ。

 

 「この石棺が“楔”さ。死んだはずの神の魂を、物質世界に繋いでおく為のね」

 「……つまり、これを壊せば……?」

 「あぁ、樹海の神を名乗る誰かは、他の神々と同様にあるべき場所へと還るはずさ」

 

 そう言って、ルージュは最後の言葉を思い出していた。

 

 『その祈りに応えよう』

 

 ただ一度だけ。

 これまで狂気に染まっていた樹海の神が、一度だけ発した狂気ならざる言葉。

 その清浄な意思を知る者は、最早地上にルージュしかいないのだろう。

 何とも言えない気分でルージュは笑った。

 

 「……ま、感傷に浸るような間柄でも無し。後はこの石棺を壊しちまえば終わりだよ」

 

 そう言って示すのは、今は固く蓋を閉ざした石棺。

 強い存在感を放つそれは、今までと変わらず重い圧力を伴っていた。

 ビッケは自然と滲む汗を拭って。

 

 「姐さん、姐さん。簡単に言うけど壊せるもんなのコレ」

 「まぁ祭器の類だろうし、物理的に破壊不能だろうねぇ」

 「ダメじゃん。つーかアーティファクトじゃんソレ」

 

 人の手からなるものではない、神の力が宿った遺物。

 それは本来なら壊す事など不可能に近いはずだが。

 

 「旦那、お願い出来るかい?」

 「うむ」

 

 此処には、不可思議なる混沌の力を宿した蜥蜴人の戦士がいる。

 未だに抱えていたクロエを下ろしてから、ガルは改めて大金棒を担いだ。

 

 「試みてはみるが、確実に壊せるという確証はないが」

 「普通なら難しいだろうけど、今回に関しては『同意』があるからねぇ。多分大丈夫でしょ」

 「そうか」

 

 ならば他に問う事もないと、ガルは石棺の傍らに立つ。

 それから力強く大金棒を振り上げる。

 

 「……名も知らぬ樹海の神よ。叶うなら、己の力で神殺しを為し遂げたかったが」

 

 赤い竜に復活した魔王と。

 それに続いて堕ちた神を打ち倒せたなら、良い勲となっただろうが。

 今回ばかりは完全には届かなかったと、自らの未熟を認めて。

 

 「良い戦だった。――さらばだ」

 

 振り下ろされたのは、手向けの一撃。

 大金棒の先端はあっけなく石棺の蓋を砕いた。

 それだけではない。

 破壊は瞬く間に広がり、棺本体も大きな破片に分かれて散らばる。

 割れた石棺の中には、人柱となっていた少女の亡骸が横たわっていた。

 後には何の気配も残ってはいない。

 ただ一瞬だけ、何かがその場にいる全員の傍を横切って、それから天へと上って行く。

 強い風に少しだけ目を細めながら、ルージュは空を見上げた。

 

 「……今度、酒の一つでも備えておくかねぇ」

 

 暗雲が晴れて、再び陽光に照らし出される青空。

 それを見上げながら、ルージュは静かに呟く。

 ビッケも同じように空を見てから、虚しくため息を一つ溢した。

 

 「こんだけ無茶苦茶な目に遭ったのに、収穫は用途不明の魔道具っぽい錫杖一つかぁ……」

 

 それも鑑定しない事には、正確な価値は分からない。

 残念そうに項垂れるビッケだったが。

 

 「……いや、そうとは限らんぞ」

 「へっ?」

 

 ガルの言葉にビッケは顔を上げた。

 それから、太い蜥蜴人の指が示す方――砕けた石棺の方を見る。

 人柱の亡骸は、後程埋葬する為に其処からはどけてあった。

 そして残るのは棺の破片と、煌く黄金の輝き。

 

 「お宝……!!」

 

 一瞬でテンションが振り切れたビッケは、慌てて棺の残骸に飛びついた。

 恐らくは神への供物として捧げられたものだろうか。

 相当な量の金貨や銀貨、宝石や装飾品がその場に散らばっていた。

 もしそれら全てを換金したならば、かなりの額になるはずだ。

 

 「やったぜ……! やっぱり遺跡探索はこうでなくちゃ……!」

 「ホントに現金だねぇ、アンタは」

 

 文字通りの意味に、ルージュは軽く苦笑いを浮かべる。

 神の供物を持ち出すのは色々拙い気もするが、今回ばかりは手間賃として貰っても文句は出まい。

 そんな事を考えながら、ふと視線を感じた。

 視線の元を辿れば、いつの間にやら傍らにクロエが少し不機嫌そうな様子で立っていて。

 

 「……ガルみたいに頑丈じゃないんだから、余り無茶をしないで」

 「心配性だねぇ、アンタは」

 「そりゃ……心配ぐらい、するわよ。当然」

 

 仲間なんだから、と。

 少し恥じらいながら言葉にするクロエの頭を、ルージュはわしゃっと撫でた。

 

 「っ、ルージュ……!」

 「言われんでも分かってるって。あたしも好んで無茶したいわけでも、死にたいわけでもないしねぇ」

 「……それならホントに、自重して欲しいわ」

 「けど、必要があればどんな無茶でもするだろう? あたしに限った話じゃなくね」

 

 そう言われてしまっては、返す言葉に困ってしまう。

 可愛らしく唸るクロエに対し、ルージュは楽しげに笑みを返し――。

 

 「ようやく、無駄な障害が排除されたな」

 

 流れを断ち切るのは、黒鉄の如き声。

 大戦斧を肩に担ぎ、半竜人の聖騎士パラディン――ガイストが、改めて冒険者達の前に立つ。

 そう、邪魔だった樹海の神も消えて、任務に支障を来す要素は全て排除された。

 ならばやる事はただ一つ。

 

 「では、此方の話の続きをするとしようか」

 

 熱く煮える戦意を隠す事もせず、ガイストは力強くクロエ達の間合いへと足を踏み入れた。

 

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