第九十一節:神に挑む

 

 雷鳴が轟く。

 太陽を遮り、空に蓋をする黒雲。

 其処に神の怒りを代弁するかのような、青白い稲妻が走る。

 無論、それは雲の間だけではなく、裁きを下す鉄槌として地上へも降り注いだ。

 文字通りの雷霆。雷の一撃は、容赦なく神に逆らう愚か者達を焼く。

 

 「きっつぅい!!」

 

 叫んだのはビッケだった。

 最初に抜いた細剣は既に鞘に納めて、今は弓矢を手に走り回っている。

 身体のあちこちが焦げているが、まだそれほど大きな負傷ダメージは受けていない。

 それもルージュが施した奇跡による防護があっての事で、それが無ければ落雷で丸焦げになっていただろうが。

 火傷の痛みは、それでも転げ回りたくなる程度にはキツい。

 どうにか気合でそれを堪え、ビッケは一瞬も止まらず走り続ける。

 僅かにでも止まれば、恐るべき脅威に捕まる可能性があるから。

 

 「イアッ!!」

 

 戦士の咆哮。恐れを蹴散らすように、ガルは大金棒を振り下ろす。

 落ちてくる雷に鱗を幾度焼かれたとて、その戦意が衰える事はない。

 その気合と共に叩き込まれる大金棒の一撃は、如何なる敵も打ち倒して来た。

 だが、今回ばかりはそう容易くはない。

 渾身の力で振るわれる大金棒。それが迎え撃つのは黒い泥。

 魔法によって鍛えられた鋼の先端は、その一部を確かに削り取る。

 が、それは止せる波を棍棒で叩くのに等しい愚行だ。

 ほんの僅かに勢いを殺すだけで、黒泥の巨人が振り回す腕は止まらない。

 一撃。大金棒を振り抜いた姿勢のまま、ガルの身体は泥に全身を叩かれて思い切り吹き飛んだ。

 

 『脆い。脆い脆い脆い脆い。所詮は定命、神威に抗う事など不可能』

 「やってくれるわね……!」

 

 黒い閃光が走る。

 その身に「帳」を纏い、不可思議なる魔力で疾風と化したクロエ。

 落ちてくる雷も、振り回される泥の巨腕も避けながら。

 魔剣の切っ先で泥の巨人を何度も切り裂く。

 だがどれも結果は同じ。黒い泥を刻んでも、傷は直ぐに埋まって跡形も残らない。

 まるで巨大な粘体生物スライムを相手にしているような手応えだ。

 

 「これは泥の方を幾ら叩いても無意味か」

 「んー、確かにちょっと面倒だね」

 

 帝国の戦士、ガイストとシリウスの二人も奮戦を続けている。

 半竜の男が振るう大戦斧が巨人の泥を削り飛ばし、更に灼熱の魔剣が炎を吐き出し焼き尽くす。

 その火力は凄まじく、巨人の一部も大きく削り取る。

 しかしそれも、結果は他の攻撃と変わらない。

 削る面積が大きい分、復元するまでには多少の間があるが。

 それでも破壊された巨人の部位は、まるで時間が巻き戻るように元通りに治ってしまう。

 

 「こういう相手は、核を叩くのがセオリーだけどねぇ」

 

 そう言いながら、ルージュは神の化身たる骰子を振るう。

 出た目はそこそこ。発動した治癒の奇跡が、石床に叩き付けられたガルの身体を癒す。

 核を叩く。言葉にすれば実に単純な話だ。

 黒い泥が構成する巨人の部分は、恐らく叩こうが焼こうが直ぐに戻ってしまう。

 そうやって復元する為の力を送っている中心部分。

 それが何処であるかは、考えるまでもない。

 

 「……あの石の棺だな」

 

 口に溜まった血を吐き捨て、治癒を受けたガルは再び立ち上がる。

 この黒泥が沸き出したの時も、その中心はあの石の棺だった。

 其処に恐らく、樹海の神が宿った人柱が存在するのだろう。

 それを叩く事が出来れば、この不滅を思わせる泥の巨人を討つ事も可能なはず。

 

 「けど、それどうやって狙うの!?」

 

 そう叫びつつ、離れた場所からビッケは鋭く矢を放つ。

 その矢じりは巨人の顔辺りに突き刺さるが、当然何の影響も与えていない。

 火力が低く、攪乱や陽動を得意とするビッケにとって、この相手は極めて相性が悪かった。

 何か有効な魔道具はないかと考えたが、それもなかなか思い浮かばない。

 

 『無駄だ。諦めろ。受け入れよ。運命を。頭を垂れよ。祈れ。神に。それのみが救いである』

 

 樹海の神の声。其処には雑音ノイズも混じり始める。

 それは年月が刻み込んだ狂気が故か。それとも、別の何かか。

 人の身では分からない。

 理解出来るのは、眼前の脅威を何とかしなければならないという現実だけ。

 

 「っ……!!」

 

 疾風となって走るクロエに、黒い泥が押し寄せる。

 巨人の腕という、纏まった形でその速度を捕らえるのは難しいと、そう判断したのか。

 一部が泥の波へと変わり、走るクロエを押し包むように迫っていた。

 如何に速度があろうと空を飛んでいるわけではない以上、四方を物理的に遮られれば避けようもない。

 泥は「帳」に触れ、これを破らんと圧力をかける。

 拙い、捕まる――!

 そう覚悟を決めたクロエに、即座に救いの手が向けられた。

 

 「イアッ!!」

 

 それは当然ガルだ。

 分厚い泥の波を、手にした大金棒一本で突き破る。

 そして直ぐにまた泥が押し寄せてくる前に、ガルはクロエの身体を抱え上げた。

 

 「少し我慢してくれ」

 

 そう言うと、クロエの返事を待たずに石の床を蹴る。

 既に四方は泥に囲まれている――だから、ガルは泥に向かって突っ込んだ。

 片手でクロエを抱いたまま、もう片方の手で大金棒を振るう。

 先ほど突き破った泥を埋める為に、他の部分は泥の密度が幾らか薄くなっていた。

 其処を狙って、ガルは四方を囲っていた泥の波を再度無理やり突破する。

 

 『貴様……!』

 「生憎、彼女は俺の方と先約があってな」

 

 仮初とはいえ神体を傷つけられた事の憤怒か、それとも折角捕らえようとした得物を奪われた事への憎悪か。

 ガルは後者と判断し、真顔で応えながら泥にまみれた石の床を走る。

 戦いはまだ始まったばかりだが、既に絶望的な空気が漂いつつあった。

 泥と雷で隊列も何も乱されたが、それでも全員倒れる事無くギリギリの連携を保っている。

 シリウスとガイストという帝国の戦士二人は、積極的にクロエ達に助力を向けているわけではないが。

 それでも互いに奮闘を続ける事で、結果的に戦況の支えにはなっていた。

 それも「何とか全滅だけは避けている」程度の意味でしかないのだが。

 

 『諦めろ。抗いに意味はない。生はただの苦痛の延長に過ぎぬ。理解せよ。理解せよ』

 

 樹海の神の狂気は変わらず。

 さながら冷める事を知らぬ溶岩のようにくらい熱を発し続ける。

 

 「……助かったわ、ありがとう」

 「あぁ、問題ない」

 

 先ほどの発言にツッコミたいところだったが、今はそんなことをしている場合でもない。

 抱えられた状態からそっと床に下ろして貰い、クロエはガルに礼を口にした。

 それから改めて、黒泥の巨人を見る。

 今はガイストとシリウス、二人の攻撃をその身に受けているが――やはり効果は薄い。

 奇跡を上乗せした大戦斧が泥の身体を抉り取り。

 魔剣《炎獣》が劫火と共に焼き切ろうとも、巨人の動きが僅かに鈍る程度。

 その力が無尽蔵であることを示すように、全ての損傷は復元する。

 

 「さーて、どうしましょうかねコレ! 素直に逃げた方が良くない!?」

 「今さらそれを言うのかお前は……!」

 

 逃げようにも、この状況で背中を見せればどうなるか。

 そんなものは火を見るより明らかだろう。

 雷が地を打ち、泥の巨人は時に大波となりながら周囲を薙ぎ払う。

 一人たりとて逃がさぬと、神の意思を示すように。

 

 「爆ぜなっ!!」

 

 後方でルージュが火球の杖を振るう。

 放たれた《火球》は真っ直ぐに泥の巨人の足元――石の棺があるだろう場所に炸裂した。

 爆炎が渦巻き、しかしそれが晴れた後に残るのは傷一つない黒泥の表面だけ。

 

 「チッ、やっぱ徹るわけないと」

 「もーやだマジで。おうちかえして!」

 

 炎が消えると、反撃とばかりに雷が落ちた。

 このままだと当たる、そう直感したビッケは落雷が起こる直前にその場を素早く飛び退いた。

 空を裂く雷は、ビッケが先ほどまでいた場所――ルージュの直ぐ傍に落ちる。

 元々ルージュの方は狙っていなかったのか。

 命中する事のなかった雷の焦げ跡に視線を向ける。

 

 「……ふぅむ、コイツは」

 

 閃くものがあり、ルージュは泥の巨人の方を見ながら思考を巡らす。

 その間、ガルが再び大金棒を構えて巨人に挑んでいた。

 

 「イアッ!!」

 

 叫び、蠢く泥にあえて突っ込む。

 何度かの接触で、それに毒の類がない事は確認済だった。

 見た目こそ真っ黒い泥のようだが、実際に触れた感触は粘度の高い水に近い。

 故に力任せに巨人の身体を吹き飛ばし、石の棺に強引に近づこうと試みるが――やはり、簡単ではない。

 

 「ガルッ!」

 

 響くのはクロエの声。

 同時にガルの傍を黒い風が走り、周囲から迫りつつあった泥の波を蹴散らす。

 だがそれも直ぐに形を取り戻そうと蠢き、無謀にも踏み込んで来た蛮族を呑み込まんとする。

 

 「流石に厳しいか、これは」

 

 ガルの方は状況に即見切りを付けて、勢い良く後方へと下がった。

 先ほどまでいた場所は、四方から押し寄せた黒い波に呑み込まれて渦を描く。

 繰り返し、繰り返し。

 クロエ達にしろ、ガイストとシリウスにしろ。

 幾度となく樹海の神が操る巨人に挑むが、結果はどれも変わらない。

 届かない。誰も死したる神には届かない。

 

 『無駄だ。お前達の奮戦には何の意味もない。諦めろ。そして跪き、頭を垂れよ』

 

 頭上から抑えつけるような、神威の圧力。

 最早己が何者だったかも失っている神の残骸は、ただ服従と隷属だけを求める。

 そうやって得た祈りに、何の意味があるかも思い至らぬまま。

 ――けれど、人はただ無力なまま神に従うものではない。

 

 「……姐さん、やる気なん?」

 「まぁ、思い付いちまったからねぇ」

 

 そう言って、神の威など何処吹く風とばかりにルージュは笑って。

 不安そうにするビッケの手から、何かを受け取りながら。

 

 「まー下手したら死にかねないし、そうなりそうなら何とか助けておくれよ」

 

 その心には幸運の女神への祈りを描きながら、それに縋るのではなく己の一部に変えて。

 ルージュはこの戦いで初めて、挑むように一歩前へと踏み出した。

 

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