第九十節:最後の試練

 

 風の精霊が消えて暫くすると、階段に施された仕掛けも解除されていた。

 あの狂える精霊が核だったのか、それとも倒す事で消える罠だったのかは分からない。

 どちらにせよ、面倒な障害が無くなった事で確実に進行はスムーズになった。

 とはいえ、またどんな妨害が来るかも分からない為、警戒を怠る事は出来ないが。

 

 「……天井が見えて来たな」

 

 程なく、先頭を歩くガルの眼に頭上を塞ぐ岩壁が映る。

 階段は当然其処で途切れていて、他に進める通路や扉の類はない。

 先ずはガルとガイスト、二人が他よりも先へと進み、その天井に触れる距離まで接近する。

 それぞれ手にした武器で軽く叩いてみるが、硬い感触が返ってくる以外に異常はない。

 

 「今のところ、特に仕掛けはないようだが」

 「ちょっとオレも調べて見て良いかしら」

 

 大戦斧で天井をゴツゴツと叩くガイストの脇を、小柄なビッケがするりと抜ける。

 それから同じように剣の柄で天井を軽く叩いてから、手で触れたり耳を寄せたりと調べ始めた。

 斥候の作業を邪魔せぬように、二人の戦士は一歩退く。

 ビッケは触れられる範囲の天井を、慣れた動作でざっと調べて。

 

 「……うん、とりあえず向こうに空間はあるね。ただ結構厚いけど、コレ」

 「先があると分かれば問題ない」

 

 大金棒をゆるりと持ち上げて、ガルは淡々とそう言った。

 通れる道がないなら作れば良いと、言葉にせずともその意思が伝わってくる。

 ガイストの方も同様に、得物である大戦斧を無言で構えていた。

 

 「ぶち破ったら大岩が転がってくる罠ローリングストーンでした、なんて事がないといいけどねぇ」

 「そうなったら逃げ場がないわね……」

 

 ルージュの言葉に、クロエは天井から巨岩がゴロゴロと転がってくる絵を想像した。

 既に長い長い螺旋階段を上り切った現状、実際そうなったら逃げる事も防ぐ事も難しいだろう。

 嫌そうな顔をするクロエとは対照的に、シリウスはやはり楽し気に笑って。

 

 「そうなったらマッチョ二人が責任持って受け止めてくれるだろうし、大丈夫でしょ?」

 「大丈夫ではない、とは言わんが保証はせんぞ」

 

 軽口に応じながら、ガイストは大戦斧を振り被る。

 武器の軌道を遮らぬ距離で、ガルもまた手にした大金棒を振り上げた。

 

 「ぶち破る、という事で構わんな」

 「……他に道もないものね」

 「待って、もう少し離れるから待って」

 

 ガルの確認にクロエは頷く。

 まだ細かく調べていたビッケは、慌てて想定される破壊範囲から逃げ出した。

 他の者達も、それに合わせて距離を取る。

 それで準備が整ったと、戦士二人は認識した。

 

 「イアッ!!」

 「ふんっ!!」

 

 掛け声が重なり、タイミングも殆ど同じ。

 叩き込まれた大金棒と大戦斧が、硬い激突音を響かせた。

 分厚い、本来ならとても通る事など叶わないだろう岩の天井。

 それを無理やり押し通ろうと、原始的な暴力が炸裂する。

 

 「……今さらだけど、冗談みたいな光景ね」

 「酒が残ってれば見物しながら一杯やったんだけどねぇ」

 

 武器が振るわれる度に、分厚い岩が確実に削られていく。

 ツルハシで岩を掘る様子を更に早回ししたようなペースは、何処か非現実的でさえある。

 それを離れた場所で眺めながら、クロエとルージュは自分達の言葉に軽く笑ってしまった。

 ガルが凄まじい事は分かっていたが、ガイストという戦士もやはり凄まじい。

 今この瞬間は肩を並べているが、此処から一歩でも外に出てしまえばどうなるか。

 並び立つ戦士二人も、同じような事を考えているのだろうかと。

 

 「ま、とりあえずは此処出る事が優先だしね?」

 

 もう一人の敵である人物。

 シリウスの方は、やはり態度や表情は明るく軽いものだ。

 逆にそれが内心を読ませ辛くしていて、クロエは警戒を続けていた。

 警戒されているシリウスの方は、そんな事は全く気にも留めていないようだったが。

 

 「おーすげー、ガンガン穴が開いてくー」

 

 此方もまた妙な妨害とかが起こる事を警戒しているが、それはそれとして見物に回っているビッケ。

 今や人が入れそうな穴が出来た天井を見て、思わず感嘆の声を漏らした。

 ガツリ、ガツリと。岩を削る音は止まらない。

 二人の戦士の武器は、それぞれ魔法と共に鍛えられた大業物。

 どれほど硬い岩にぶつけようが、得物の方が欠ける心配はない。

 故に躊躇なく、ただ全力をぶつけて掘り進めていく。

 

 「……む」

 

 今まで、ただ硬いばかりだった手応えに僅かな変化が生じた。

 ガルは更に大金棒を天井目掛けて叩き付ける。

 先端から伝わってくるのは、何かをぶち抜いた時の感触。

 

 「見えたか」

 「そのようだな」

 

 ガイストの振るった斧も、やはり硬い岩を突き抜けた。

 とうとう、地下神殿と地上が繋がったのだ。

 武器によって無理やり開かれた天井の裂け目からは、微かな自然光が漏れ出している。

 

 「朝? 昼間? とりあえず真夜中とかじゃなくて良かったけど」

 

 閉鎖された地下を彷徨っていて、時間の感覚はまるでないが。

 久しぶりに日の光を感じて、ビッケは軽く目を細める。

 そうしている間も、ガルとガイストによるトンネル開通作業は続く。

 小さな裂け目を更に広げて、人が通れる程の大きさにしていく。

 

 「……こんなものか」

 

 最後にもう一度、ガルが穴の形を整えるように大金棒で叩いて。

 地下神殿の天井に、大きな出口が開かれた。

 見上げれば太陽の光と、雲が流れる空の様子がはっきりと見て取れる。

 日の位置からして、恐らく時間は昼を過ぎたぐらいだろうか。

 落下した時も大体似たような位置だった事を考えれば、少なくとも丸一日以上は彷徨っていた事になるだろう。

 何にせよ、久方ぶりの明るい空にクロエは小さく吐息を漏らす。

 

 「んじゃ、さっさと出ますか。神サマの反応が怖いけどねぇ」

 「構わん。何かしてくるつもりなら、無理やり突破するだけだからな」

 

 ルージュの言葉に一つ頷き、最初に天井の穴へと手を掛けたのはガルだった。

 本来なら斥候であるビッケが、先ず安全確認をするべきだろうが。

 何が飛んでくるかも分からない以上、最も身体が頑丈なガルが先陣を切る事にした。

 

 「……気を付けてね」

 「あぁ、問題ない。大丈夫だ」

 

 気遣うクロエの声を受けながら、ガルは躊躇なく穴の向こう側へと身を躍らせた。

 眩しい。穴蔵の暗闇に慣れ切った目に、真昼の明るさは酷く染みる。

 ガルは一瞬目を細め、片手で少し影を作りながら改めて周囲の様子を確認する。

 其処は神殿の最上部、今は殆ど朽ち果ててしまった神の祭壇だった。

 最初に目にしたのがルージュならば、地下で見た祭壇との類似性に気付いたかもしれない。

 それを知らぬガルは、特に思う事もなく周辺の安全を確認するべく視線を巡らせる。

 

 「……む」

 

 何もかもが朽ち果てたこの神殿で。

 一つだけ、僅かな傷さえ無く在り続けるモノ。

 それは大きな石の棺だった。

 棺とは死を表す象徴シンボルだが、神殿の最も高い位置に祀られたソレは通常とは異なる。

 強烈な意思、死しても尚残り続ける妄念。

 焼け付く炎にも似た存在感をその身に浴びながら、ガルは棺に向けて大金棒を構える。

 

 『――来たか。来たか来たか来たか来たか』

 

 同時に、狂気の滲んだ思念が辺りに広がる。

 樹海の神。その声は穴の下の者達にも等しく伝わっていた。

 クロエ達もその脅威に対応する為に、それぞれ急いで祭壇へと這い出した。

 その間、相手の意識を自らの方へ向けるべく、ガルは棺の方へち一歩踏み出す。

 

 「散々世話になったが、此処にはもう用はないのでな。さっさと立ち去らせて貰いたいが」

 『それは認めない。認めない。お前たちは見事に、試練を踏破し我が前に立ったのだから』

 

 会話が成立しているのか、そもそも言葉が通じているのか。

 それは誰にも分からない。或いは、樹海の神自身にすら。

 ただ一方的に神は語り続ける。

 

 『祝福しよう。そして祈り、信仰を捧げよ。神威をこの地に表す為に。必要だ。祈り、信仰が!』

 「……こりゃ、本格的にヤバそうだねぇ」

 

 ガル以外の者達も、祭壇に上がって各々身構える。

 一番最後に上がって来たルージュは、ため息と共にそう呟いた。

 とうに死んでいて、だからこそ物質世界から離れる必要があったのに、そうしなかった末路か。

 狂える樹海の神を、ルージュはほんの少しだけ哀れんだ。

 

 『……何故、こうべを垂れない』

 

 その声に宿るのは、狂気と憤怒。

 口を開いた石の棺から、ゴボリと音を立てて何かが溢れた。

 それは一見すると、真っ黒い泥のようにも見える。

 沸騰しているように沸き立ちながら、それは神の狂気を具現化するように形を変えていく。

 

 「……まったく、完全に任務外だぞ。これは」

 「いいじゃんいいじゃん、コイツはコイツで楽しめそうだし」

 

 苦々しく呟いたガイストを、シリウスは軽く笑い飛ばした。

 その視線の先には、棺を中心に広がった黒い泥と、其処から立ち上がった巨大な影がある。

 泥が半端に人の形を模倣したような、不出来の姿の巨人。

 不気味な神気を全身に纏いながら、泥の巨人は空に向かって咆哮する。

 

 『神の前に頭を垂れよ、定命モータル! そして祈り、信仰を捧げよ。伏して拝せよ!』

 

 声の圧力が強まると、俄かに日の光が翳り始める。

 見上げれば、先ほどまでは快晴だった空が分厚い暗雲に閉ざされつつあった。

 これもまた神威の成せる業か。

 神殿上空のみとはいえ、天候さえも変える力。

 その強大さは、以前復活した死者を支配する魔王を彷彿とさせた。

 

 「……ホント、明らかに危険リスク見返りリターンが釣り合ってないと思うんですけど」

 

 気圧されそうな自分を誤魔化す為に、ビッケは軽口を叩きながら細剣を握る。

 クロエもまた、己を鼓舞するように魔剣を構えた。

 けれど、屍に等しいとはいえ神は神。

 その圧力に晒されて、人間としての本能が震え慄く。

 だが、それを捻じ伏せて一歩も退かぬ男が一人。

 混沌の戦士、蜥蜴人の蛮族。

 ガルは神など知らぬと言うように、自慢の大金棒を振り上げた。

 

 「お前が言っている事は何一つ理解出来ん。頭を垂れて地に伏すのは、お前の方だ」

 「……凄いこと言うわね、ホントに」

 

 容易く神威を冒涜するガルに、クロエは苦笑いを溢す。

 その言葉が、動きが、その背中が。

 不思議と、怒れる神から感じる畏怖を和らげてくれる。

 彼と共に戦う限りは、何も恐れる事など無いのだと。

 そんな安堵を胸に、クロエもまた魔剣を構えて一歩を踏み出す。

 

 『――――――ッ!!』

 

 それに対し、樹海の神は怒りの侭に吼えた。

 最早人語ではなく、獣の叫びにも等しく。

 

 ――その咆哮を合図にして、最後の試練が始まった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る